なんだか言い訳じみてた8月の「こぼれ話」(100分DE名著『覇王の家』より) | せいぜいひまつぶしの小話

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5年目から創作系ブログとして新装開店しました。
色々と思うところ書いてます。講談社への抗議不買は一生続けます。
2022年12月からは小学館もリストに加わりました。
「人を選ぶ」とはつまり「自分は選ばれた」ということです。

「終わりの始まり」とまでは言いませんけどね、
(こぼれ話で)な~んかわざわざこんなコト書いてンのが怪しいよなぁ~

 

…って思いました。
↓『論語と算盤』のときはそんなのひと言も書いてなかったじゃん?

 

 

「家康よりお前(中の人)の方が『どうする』のかよっぽど気になるわw」

自分の周囲だけでも“たったのコレだけで”話が通じちゃうぐらい盛大にミソついちゃってる
現状が逆風なのは分かりますけど今回のコラムは言い訳じみててイマイチでしたね。
というかここ最近、改めて確認してみたら今年4月の『精神現象学』からなんですが、
ですます調」から「である調」に書き方が変わってるのがなんだか気になりました。

批評家というかそのテの連中は、往々にして自己肥大からの視野狭窄と独善の自家中毒
陥りがち
ですが、このプロデューサーAさんとやらもそうなりつつあるんじゃないかと。
「楽しんで作ってる」感じが全然伝わってこないんですよね。

番組の中身もでしたが、同調圧力で勝てもしねー戦争に突っ込んで結局100万人単位での
犠牲を出しボロ負けしたパチンカスみたいな戦前のジャップのアホっぷりを日本の歴史から
根源的に問い直すのが目的なら、その辺もうちょっと突っ込んでほしかったです。
司馬遼太郎はその辺を問い直すつもりで書いてきたんでしょう?

「徳川泰平300年の間にDNAレベルで刷り込まれた
 三河気質
(かたぎ)の“忠誠心”と“団結力”とやらが悪さした」
という解釈でいいんでしょうか?


ここ最近、問題が表面化してきた日大やジャニーズやビッグモーターに代表される組織単位での
事なかれ主義による自浄能力の無さとそれに伴う間違った意思決定、もっと早くにキチンと対処
していれば被害が拡大することも無かったのに、明るみになってからなおも繰り返される一連の

クソムーブを見るにつけ「戦前からなんも学習できてねーな」と思うわけですが、
DNAの問題だとしたらこの世の全てを呪い尽くしてやりたいです。

「間違ったことをお止めするのもまた忠義」という考えがどうして出来なかったんでしょう?
足抜けして初めて認められるんだよ「タレントに罪は無い」ってさ。

 

↓調査報告書URL(PDFファイル)

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↓解説動画

 

 

 

↓嘘じゃなかったって認められたね

 

 

↓出るわ出るわ