「新しい人に優しくない世界は滅びる」 | せいぜいひまつぶしの小話

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5年目から創作系ブログとして新装開店しました。
色々と思うところ書いてます。講談社への抗議不買は一生続けます。
2022年12月からは小学館もリストに加わりました。
「人を選ぶ」とはつまり「自分は選ばれた」ということです。

昨年末(2021年12月27日)にテレ朝でやっとりましたゲーム総選挙
テレビで流すこのテのランキングが任天堂かドラクエかFFで

最新ゲームばっかなのは毎度のことですし、実際良作揃いなので文句はありませんが、
『幻想水滸伝』の1と2が、しかも『2』がかなり上位に食い込んでいたのは意外でした。
20年近く前にファミ通でやってた続編希望タイトルのランキングで何故か1位だった
『かってに桃天使』もコナミでしたね、確か。フとそんなことを思い出しただけですヨ。

 

 

それにしてもまぁかなり昔の作品のはずなのに何と言いますかこう、
ゾンビみてーな信者どもの組織票がずいぶん集まったモンだなと。
“好き”や“憧れ”を通り越して“信仰”と化し、ましてやそれがパチスロに身売りされて
何年もほったらかしにされた作品に対し、あれだけの結果を出すほどの怨念じみた“狂信”と
神格化が進んでたのかと思うと、何やらうすら寒い不気味さを感じずにはいられませんでした。
基本的にすがる相手が違うだけで“狂信”者ってのは一皮むけば
聖戦やらハルマゲドン起こすよーな輩と何も変わりませんが、

この調子なら百英雄伝もさぞ売り上げが見込めることでしょう、たぶん。

 

さて個人的な心象はさておき事実として以降のシリーズがどうなったのかと言えば、
ナンバリングタイトルは『5』で打ち止めとなり、DSで再スタートした新シリーズは
2012年にPSPで発売された『紡がれし百年の時』を最後にパッタリ途切れてしまい、
その後パチスロに身売りされたことを考えれば、お世辞にも発展していったとは言えません。
というか衰退しました。

その原因は一体どこにあるのでしょう?少なくともナンバリングに関しては、
新しい人に優しくない”のが最大の原因だと考えています。

右も左も分からない入りたての新しい人が“それだけで”負わされる無駄な苦労と理不尽、
集団というかコミュニティのソトでは通じないどころか納得のいく説明すら出来ない
身内の論理とお仲間ごっこに付き合わされること…途中から入ってきた新しい人にとって、
その集団やコミュニティに馴染むために要求される理不尽や疎外感を与えるものは、
新しい人にとって“それだけで”優しくありません。
わざわざ不快な思いをするために、娯楽商品にカネを出そうとする人間はいません。
新しく人が入らなければ“それだけで”衰退し、やればやるほどジリ貧になっていくのは
商売だけに限った話ではありません。

『幻想水滸伝(以下『幻水』)』が新しい人に優しくなかったのはズバリ、
過去作とのつながり”を露骨に描いていたからに他なりません。

 

↓たとえばこういうのとか、

『幻水4』より(『1』に登場)

 

↓こういうのです。

『幻水5』より(『2』に登場)

同じく『幻水5』より(『2』との関連あり)

 

もちろん、意味が分かったところで本筋に影響も無ければ攻略面での有利不利もありません。
シリーズ通して遊んできた人にはニヤリとさせられる演出かもしれませんが、
途中から入った人には、身内だけで盛り上がっているところに入っていけない疎外感と、
後追いで過去作にも手ェつけなきゃならない状況にウンザリさせられるだけです。

映画とかなら1本2時間程度の話ですし、ほっとけば再生機の方が勝手に垂れ流して
くれますが、ゲームは自分で動かす必要がありますから、かかる負担は段違いです。
しかも108人もいて毎度毎度顔と名前が一致しない中で続けていれば、
いずれは古参の人間でも誰だよコイツとかなっていたに違いありません。

作る側にしてもいい加減ややこし過ぎてワケが分からなくなっていたはずです。

『ドラクエ』ではロト3部作以降、それぞれが“ほぼ”独立した世界の物語として存在し、
過去作とのつながりに関しても、公式に明言されたようなことは多くありません。

『ファイナルファンタジー』は、そもそも“最後”になるかもしれないからということで
あんなタイトルになったわけですから、つながっているはずもありません。

だからこそファミコン時代からここまで続けてこられたわけです。

最初の『幻水』は、初代プレイステーション発売から間もなくリリースされた作品で、
ゲームの大容量化に伴う“大作志向”がブイブイいわしてた時代の成功体験から
脱却するのは、さぞ難しかったことでしょう。
遅まきながらDSの『ティアクライス』で過去作とのつながりを断ち切ったのは
賢明な判断だと思いますが、戦争パートまでなくしたのはいただけません。
そんなの『ブレスオブファイア』で釣りが出来ないようなモンです。
ミニゲーム要員だけでなく、多くの人手を割く戦争パートがあればこそ活躍の場も
用意出来たわけで、普通のロープレに108人も必要ありません。

さてここまで書いてきた批判は自分では真っ当なものだと思っていますが、
あくまで“当時の目線”からであって、何も知らない真っ新な状態から入ってしまえば
それはそれ
です。1コの作品として抜き出してみればクソゲーというわけでもありません。

あくまで「新しい人に優しくない世界は滅びる」という話です。

 

↓釣りの出来ない『ブレスオブファイア』

 

↓戦争パートが無くなった『幻想水滸伝』

 

↓108人のうち半分近くがグラ無しの名前だけな『幻想水滸伝』