思想のウイルス『負のご都合主義、あるいは大人だまし』・① | せいぜいひまつぶしの小話

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5年目から創作系ブログとして新装開店しました。
色々と思うところ書いてます。講談社への抗議不買は一生続けます。
2022年12月からは小学館もリストに加わりました。
「人を選ぶ」とはつまり「自分は選ばれた」ということです。

・負のご都合主義、あるいは大人だまし ②、 ③、 ④、 ⑤、 ⑥(終)

 

『トロッコ問題』あるいは『カルネアデスの板』というのがありますが、
あくまでこれから話すテーマの一部でしかありません念のため。

どういう状況?

「1人と5人(多数)どっちを助けるか」とか、
まぁとにかくそういうどっちか見捨てなきゃならない状況でどっち選ぶ?
とかいうクソ意地悪問題を自分が初めて尋ねられたのは、小学3年生だか4年生の頃でした。

哲学だか何だかで倫理問題として長年議論されてきたとのことですが、
思考実験とはいえ人命をダシにしたやり方を含め多くの反発も招いてきました。

 

 

まずツッコミどころとして「何がどうなったらそうなるんだ?」というのは
よく言われてることでして、もしリアルで似たような場面に出くわすとしたら、
ジグソウ(『SAW』シリーズ)ルーカス(『バイオハザード7』)みたいなサイコ野郎の
デスゲームに巻き込まれているか、そうでなければ災害救助か救急医療の現場くらいでしょう。
他にあったら逆に教えてほしいくらいです。

デブを突き落とすバージョンにしても「そんなデブどっから連れてくるんだ」とか
そんなデブそもそも物理的に突き落とせるのかとか疑問は尽きません。
ジャバザハットくらいじゃなきゃ止められンでしょう。

だからどういう状況?

 

↓もちろんそんなツッコミは向こうも想定済みですのでここでも最初に書かれている通り

 

 

「まず前提として与えられた条件まるっと受け入れンだオラ!」

ってな具合に有無を言わさず回答者に片方を見殺しにする決断を要求してくるわけなのですが、
人はこの『与えられた条件をそのまま受け入れる』ということ、
それを前提として考えるということを、そのままその通りにやるわけではありません。

相手からの指示や命令、主義主張(スローガン)…広告看板や写真立てが見えているのと
反対側から支えられているように、人が“何か”を受け入れ、人にそれを認めさせるには、
逆の論理”が同時に成立していなければ、
とても難しいものになります。

前にも書きましたが障碍者支援が支持を得られにくいのも、不正利用の標的にされるのも、
眼鏡をかけるようにそれが必要で”あると同時に“他の人には役に立たないやり方が
出来ていないからです(だから「他に方法が無い」方向で説得する必要がある)。

 

 

ああしろこうしろと人に何か指図されたり頼まれごとをされたとき、
(逆に言えば)つまりこういうことだよね?」と、
逆の論理での返答や確認をした経験が、誰しも一度はあるかと思います。
意識的にせよ無意識にせよ、人に“何か”を認めさせるのと同様、人が“何か”を
受け入れる過程においても多くの場合『“逆の論理”での解釈』が行われています。

つまり『与えられた条件をそのまま受け入れる』ことを逆の論理で解釈すれば、
この場合与えられた条件“以外”のことは考えなくてもいいとなります。
でなければ、ヘタをすれば前提が成り立たなくなる恐れがあります。

そこに倫理問題としての欠点があると考えています。

『与えられた条件をそのまま受け入れ』て、その範囲内での判断と行動を取る限りは、
それ以外での判断を求められることも無ければ“結果責任”を問うことも出来ません
(軍隊の兵士はそうやって組織単位での破壊や殺人を可能とし、精神衛生を保っている)。
もちろん人間の感情を加味して考えればそうもいきませんが、理屈の上ではそうなります。

トロッコの行き先に寝転ってるのがどこの誰なのかは分からないし、それ以外の情報なんか
与えられていないのだから考えようがありません。回答者にとってのトロッコ問題はこの場合、
単なる“数的損失”の問題であって他は知ったこっちゃありません。

“数的損失”という単なる状況判断としてしか考えていない、またそうせざるを得ないように
仕組んでおきながら、それとは本来無関係であるはずの“倫理”で推し量るのは筋違いというか
モノサシが違うンじゃねーのと。

単なる数的損失として考えた結果として多い方を助ける選択をする可能性があるのはもちろん、
1人を助ける選択をした場合は、おそらく回答者の中では『与えられた条件“以外”』の
余計なコト考えてる可能性があり、こちらはこちらで厳密に言えば作法に反しています。
それとも『前提を破綻させない範囲であれば何を付け加えてもよい』なんて暗黙の了解でも
あるんでしょうか?まぁそれならそれで自分だけ安全な場所から非情の決断を要求する卑劣な

傍観者のニヤけ面に置き換えてやれば遠慮無く1人を見殺しにしてやれます。
どちらにしても「1人か多い方か?」という純粋な問いかけと、
その回答としてキチンと機能しているとは思えません。

設定があまりにも非現実的なのはもちろんのこと、
その回答を元に“倫理”とやらを議論するのはチと無理があるのではないかと。
単なる状況判断に倫理もクソもあったもんじゃないと思います。

そこに加えて出題者の振る舞いにも問題があると思うのですが、
長くなってきたので次回にします。 ……まだ本題に入れてねぇ。

〈続く〉

 

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