(再録)新作落語”風”与太話『ゆりげら』・後編 | せいぜいひまつぶしの小話

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5年目から創作系ブログとして新装開店しました。
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2022年12月からは小学館もリストに加わりました。
「人を選ぶ」とはつまり「自分は選ばれた」ということです。

新作落語“風”与太話『ゆりげら』→前編

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「上り調子で金や人気が集まってくると、知らず知らずのうちに厄介なものまで
 引き込んでしまうことがあるのは、今も昔も変わらない世の常というヤツだ。
 ある日もの凄い剣幕で運天堂本舗に乗り込んできた1人の手妻(てづま)師がいた。
 
 てめえら人のネタ勝手に使いやがってどういうつもりだ!!
 
 その手妻師、名を“ゆりげら”といった。
 手妻というのは、今で言うところの手品のことだね。
 シルクハットから鳩は出ないが扇子の先から水が出る、
 トランプは飛ばないが紙で作った蝶ならヒラヒラ飛ばせる、
 どこかで一度は目にしたことがあるんじゃないかな?

 ゆりげらの得意な手妻は“杓(しゃく)曲げ”だった。
 もちろん力任せにねじ曲げていたんじゃあ芸が無い。木でも紙でもでも鉄(かね)でも
 なんでも棒みたいにぬぼっとしてりゃあどんなものでも指の先でこすってやれば
 たちどころにぐにゃりと曲がる。アブラカブラのちちんぷいぷいと、
 呪(まじな)いはいかにも胡散(うさん)臭いが手妻の腕は本物だった。
 神か妖(あやし)かコイツはいかなるカラクリかと皆こぞって持て囃(はや)してきた
 もんだがそれも今は昔の話、いつまでも同じネタばっかり続けてちゃあそのうち
 飽きられるのが芸事の世界の常識だ。

 最近はスッカリ落ち目になって“あの人は今”なんて言われる始末、
 もうひと花咲かせてやろうと意気込んではみるものの、他に何をやってもいまいち
 パッとしない。通りを歩いても誰一人気にも留めない落ち目の手妻師が、
 今や飛ぶ鳥を落とす勢いの人気商売相手に因縁ふっかけようってんだから、
 中身はロクなもんじゃないのは誰の目にも明らかだ。

 そしてやっぱり中身はロクなもんじゃなかった。
 だがロクなもんじゃないからといって別に8なもんでもなければ9なもんでもない、
 9を引っ繰り返せば6に見えなくもないがそれも違う。そもそも」


「ねえ」

「?なんだい?」

「そういうダジャレとかうんちくはどうでもいいから早くしてよ」

「はいはい。ではとっとと終わらせてユンゲラーを戻してあげるとしよう。
 いや、通信で進化するから今はフーディンだったね。

 さてこの落ち目の手妻師、何を言い出すかと思えば自分の名前が勝手に使われている、
 “ゆんげら”なんてチョイと変えただけでごまかせると思ってンのか、
 しかも同じ杓曲げが得意とくりゃあどう見ても俺のことじゃあねえか。
 何の断りも無くこりゃあ一体どういう了見だ、俺に使用料払うのがスジじゃあねえかと、
 まぁ言いがかりもいいとこだが奴(やっこ)さんのあまりの剣幕にお店(たな)の若衆、
 2つの玉をスッカリ縮み上がらせてしまった。
 
 調子に乗ったクレーマーのやることはいつの時代もおんなじだ。
 下っ端じゃあラチが明かない、主(あるじ)を呼んでもらおうなんて言い出した。
 だがこのままじゃラチが明かないのはお店の方も同じこと。旦那さまを連れてきなさいと
 丁稚(でっち)の小僧が使いに出されたが、道中どこも目が合うだけで勝負をふっかけて
 くるような物騒な連中だらけなもんだから、隣町から連れて帰って来た頃にはドップリ
 日も暮れ辺りはスッカリ真っ暗闇で、木戸番も大木戸(オーキド)を閉じようかという
 ギリギリのところだった。
 
 帰り道の道すがらにことの仔細(しさい)を聞かされていた運天堂の主は、
 すでに何か妙案を思いついていたようだ。さんざ待たされてスッカリ腹を立てた
 ゆりげらにいくら詰め寄られても顔色ひとつ変えやしない。
 それどころかそれほど自分の訴えに自信がおありなら、ここはお白州の場で
 白黒つけてもらいましょう、お上(かみ)のお墨付きをいただいてこの運天堂から
 好きなだけむしり取ってみてはいかがでしょうと、ゆりげらの“いちゃもん”に
 “ちょうはつ”して返してみせた。

 さて後日、お白州の場に引っ立てられたる手妻師ゆりげらと
 運天堂本舗の主、2人を前にお奉行様が尋ねなすった。
 
 運天堂の、その方ゆりげらの訴えに間違いは無いか。
 
 とんでもございません。私(わたくし)共まったく身に覚えの無いことでございます。
 おおかた落ち目で食いっぱぐれた手妻師が私共の人気をやっかみ、そこにたまたま
 自分とそっくりのネタを見付けたものだからこれ幸いとばかりにゆすりに来たので
 ございましょう。すべてはゆりげらの手前(てめえ)勝手な珍言、妄言でございます。

 お奉行を前に動じることなく啖呵を切ってみせたその度胸はさすが、
 大店の主といったところか。しかし客商売で度胸を鍛えてきたのは手妻師も同じこと。
 すぐさまゆりげら反撃に出た。

 てめえとぼけんじゃねえ!“ゆんげら”なんてソックリな名前を勝手に使うだけなら
 まだしも俺の十八番(おはこ)の杓曲げまで盗みやがって誤魔化せると思ってるのか!

 たしかに私共の“ゆんげら”は同じように杓曲げを得意としてはおりますが、
 それはあくまで摩訶不思議なる神通力によるものでございまして、
 タネも仕掛けもある手妻とは似ても似つきません。
 同じものであると仰(おお)せなら証を立てていただきましょう。
 自分の杓曲げはタネも仕掛けも無い摩訶不思議なる神通力によるものであると、
 それが出来たのなら私共さすがに弁解の余地はございません、
 使用料でも権料でもみかじめでも何でも望み通りに致しましょう。

 さしものゆりげらこれにはさすがにぐうの音も出ない、杓を曲げても道理を曲げる
 ことは出来なかった。結局訴えは取り下げられ、お上のお墨付きを頂いた運天堂は、
 ますます上り調子で勢い付いていったというわけだ」


「終わった?終わったよね?」

「いや、最後のオチが」

「もういいから早く返してよ、フーディンになったんだから」


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かつてスプーン曲げで一世を風靡した超能力者のユリ・ゲラーが、
ユンゲラーのことで任天堂を訴えたのがいつの頃だったかは定かではありませんが、
少なくともラジオのニュースで初めて聞いたのが4月1日でなかったのは確かです。

その辺りの顛末は、まるで都市伝説のように伝えられておりまして、
「ユンゲラーは超能力でスプーンを曲げるキャラですが、
 あなたは超能力でスプーンを曲げていることを証明出来るのですか?」
と、
おそらくその辺りを元ネタにしたと思われます。

ですが実際のところは、
「日本でしか使われてない名前なんだから(海外版では"Kadabra")、
 (住居も国籍も違うという意味での)外人のあんたがいちいち目くじら立てなさんな」と、
意外と常識的に諌(いさ)められて決着したようです。

ただ通信交換で“かわらずのいし(進化しなくなる)”を持たせてもユンゲラーだけ効かないので、

本当の意味での決着は、まだついていないのかもしれません。

久し振りに思い出したじいさんとの思い出は、ニューシネマパラダイスのような
グッとくる爽やかな感動とは程遠く、まるで落語みたいなしょーもない与太話でしたが、
物語を受け継いでしまった身としては、このしょーもない話にオチをつけてやるのが、
この世を去ってしまったじいさんへの手向けであり、ぼく自身の使命のようにも思えます。

超能力を使っていようがいまいが、落ち目になるのは時間の問題だったでしょう。
(自称)超能力の見世物だけで稼げなくなるのも当然の話で、

曲がったスプーンじゃ飯は食えない

おあとがよろしいようで。

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