古代福岡南部の中心都市 筑後国府跡 | 筑前由紀のプチトリップ

筑前由紀のプチトリップ

2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

 

 

国指定史跡 筑後国府跡

福岡県久留米市合川町、朝妻町、御井町一帯

 

サムネイル

「国府」って何?

 

国の政治を司る施設である国庁が置かれた都市のことよ。

 

国庁とその周りの役所群を国衙(こくが)といい、それらの都市域を総称して国府と分けて用いたりもするし、国府と国衙を同一視する場合もあるわ。

サムネイル

 

 

この辺りのかなり広い範囲に役所の跡や道具が出土している。

 

現在の筑後地方付近は「筑後の国」となり、「筑後国府」は政庁が3回移転しながら飛鳥時代から平安時代まで約500年続いたとされる。

 

 

    

大化の改新


皇極天皇(再度即位した時の名前は斉明天皇)4年(645年)6月12日、飛鳥板蓋宮の乙巳の変に始まる一連の国政改革。改革そのものは、年若い両皇子(中大兄=後の天智天皇、大海人=後の天武天皇)の協力によって推進された。

この改革によって、豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと移り変わったとされている。

 

大化の改新以前、朝廷から任命されてその地方を統治していた豪族の有力者を「国造(こくぞう/くにのみやつこ)」と呼ぶわ。

サムネイル


サムネイル

筑後国府の前は筑紫国造政所だった。
かもしれない。

 


 

 

 

 

久留米市:久留米の遺跡を歩こう「筑後国府跡」 (city.kurume.fukuoka.jp)

久留米市:史跡筑後国府跡保存活用計画 (city.kurume.fukuoka.jp)

https://www.city.kurume.fukuoka.jp/1080kankou/2015bunkazai/3010bunkazai/files/conservation_utilization_plan_chapter3.pdf