朝日輝く山城跡 朝日山宮地嶽神社 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
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お寺や神社に行ったりしています。

 

 

朝日山宮地嶽神社

佐賀県鳥栖市村田町

 

朝日山は標高133mの小さな山。

 

昔筑紫ノ何某、此山二城郭ヲ構ヘ軍ヲシケルニ、敵寄セ来ル度毎二、朝日ノ光二湧出シテ、此山眩シク見エケレハ、敵怖レテカカル事ナシ、古ハ丸山ト伝ヒシヲ、夫レヨリ朝日ノ城山ト云ヒ伝ル也

— 肥前古跡縁起

 

(現代語訳)
昔、筑紫の何某という人が、この山に城郭を構え、軍政を敷いた。
敵が寄せて来る度に、朝日の光が湧き出してこの山が眩しく見えたので、敵は怖れてかかってくる事はなかった。
昔は丸山と呼んでいたが、この事から朝日の城山と言い伝えている。

 

 

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筑紫何某…、筑紫君磐井?

 

「筑紫」って人が皆、筑紫君磐井じゃないわよ。

筑紫氏っていうのは、筑前国や筑後国、肥前国に勢力を張った人で、少弐氏の庶流が有力視されているそうよ。

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現地に「朝日山城は建武元年(1334年)少弐一族の朝日但馬守資法が築城したことにはじまる」ってあったけど、この朝日資法が筑紫何某ってこと?

 

そういうことなんでしょうね。

ただ、朝日山は古代から交通の要衝で、少なくとも奈良時代には狼煙台もあったそうなの。

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奈良時代よりももっと前から城塞があった可能性があるね!

 

筑紫何某は、筑紫火君だという説があるわ。
筑紫国の王磐井と、火国(肥国)の王の娘との間に出来た子供。
そしてそれは、後に磐井君の後継者となる葛子の事ではないか、と

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この宮地嶽神社。

総本社の福津市宮地嶽神社が真北、十連寺古墳上の宮地嶽神社が真南にあるそうな。

 

 

 
十連寺古墳上の宮地嶽神社については良く知らないけれど、福津市宮地嶽神社もちょっと高いところにあって見晴らしが良いし、朝日山もそうだから、例えばそれこそ狼煙を上げ合うなどして、ちゃんと意図してまっすぐ並んだ場所になっている可能性は十分ありそうだなと思われる。
 

 

展望台から眺める。

 

パノラマ撮影した写真。