押熊からテクテク40分以上歩いて、神功皇后陵へ向かう。
五社神(ごさし)古墳
奈良県奈良市山陵町字宮ノ谷
五社神の名前は、かつて後円部墳頂に五社権現の祠があったことから。
仲哀天皇皇后神功皇后
狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)
呼び名が沢山あって悩ましいね。
神功皇后の陵について。
『古事記』では「御陵は沙紀の盾列池上陵に在り」。
『日本書紀』では「狭城盾列陵に葬る」と記されている。
五社神古墳は、古墳時代中期初頭の4世紀末葉頃の築造と推定されており、被葬者は明らかではないが、ヤマト王権の大王墓というのが定説。
幕末の文久3年(1863年)〜文久4年(1864年)に神功皇后陵に治定された。
この古墳を代表としてこの辺りに並んだ古墳群を佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)と呼ぶ。
今まで何度も「ここがこの人の陵!」ってのが変わってきているようなのが微妙だけど、
「ここが神功皇后の陵!」って思うとおおおっ…ってなる。
やっと来たよ!
そして、この付近の古墳群の中でも大きくて立派なものが、神功皇后の陵だとされているのは嬉しい。
福岡にも古墳がたくさんあるけれど、こんな風に拝所ってなかったので新鮮
拝んでおこうって気になる
ただ、そういうのと表裏一体だなーって思うことには、宮内庁が管理している天皇陵は立ち入りは不可で、発掘は不可となっているとういうこと。
う~~~ん、何が埋葬されているか気になるよぅ!
仮にここに神功皇后が埋葬されているとして。
一体どういう形で、どんな副葬品と共に埋葬されているのか、気になる!
伝承だけでない、形ある何かでも神功皇后が感じられたらいいなぁと思う。とても思う。