相島は「朝鮮通信使の島」でもある。
朝鮮通信使とは、朝鮮李王朝から国書(信書)を持って来日し、徳川将軍から返書を持ち帰った使者のこと。
※広い意味では室町時代に始まったものだが、ここでは江戸時代のものを言う。
「通信使」とは、「信(よしみ)を通わす使節」つまり、お互いに信頼関係を深めあう使節という意味。一行は三使(正使・副使・従事官)を中心に、上々官など300人から500人位で構成されていた。
(以下3つはシーオーレ新宮歴史資料館にあったものの写真。)
徳川将軍の代替わりのたびに、祝賀の目的で来日している。
徳川幕府260年余りの間に12回来日している。(最後の12回目は、費用がかさむので江戸には行かず対馬に場所を変えて行った。)
通信使の通り道である福岡藩は11回を相島でもてなした。
10万石以上の藩ではすべて自藩で負担する取り決めとなっていた為、当時52万石(のち47万3千石)の藩だった福岡藩は朝鮮通信使のもてなしへの出費を負担した。
かなり良いご馳走様が出てたみたいね…。
私好みの料理が並んでいたよ↑
朝鮮通信使関連遺跡群「前波止」。
「前波止」は対馬藩主や随行者が上陸するため利用していたもの。
ん、なんで対馬藩?
どうやら、江戸幕府と李氏朝鮮の仲介にあたったのは主に対馬藩らしく、そのせいなんだろう。
この、対馬藩により日韓の偽書作成の話なんかを読むと楽しいが、相島とは関係ないので割愛。
(多分こちらが)「先波止」。
通信使一行が利用したもので、「前波止」と併せて作られた。
波止場の猫。
宮若神社の中に、井戸がある。
宮司さんなのかどういう人物なのか分からないけど、男性の方が来て井戸を開けてくれた。
今はもう使われていない。
朝鮮通信使をもてなす時に使われた。
相島は、日韓交流に重要な場所だったのだ!