朝鮮通信使の島 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

相島は「朝鮮通信使の島」でもある。



朝鮮通信使とは、朝鮮李王朝から国書(信書)を持って来日し、徳川将軍から返書を持ち帰った使者のこと。

※広い意味では室町時代に始まったものだが、ここでは江戸時代のものを言う。




 「通信使」とは、「信(よしみ)を通わす使節」つまり、お互いに信頼関係を深めあう使節という意味。一行は三使(正使・副使・従事官)を中心に、上々官など300人から500人位で構成されていた。


(以下3つはシーオーレ新宮歴史資料館にあったものの写真。)

徳川将軍の代替わりのたびに、祝賀の目的で来日している。
徳川幕府260年余りの間に12回来日している。(最後の12回目は、費用がかさむので江戸には行かず対馬に場所を変えて行った。)



通信使の通り道である福岡藩は11回を相島でもてなした。

10万石以上の藩ではすべて自藩で負担する取り決めとなっていた為、当時52万石(のち47万3千石)の藩だった福岡藩は朝鮮通信使のもてなしへの出費を負担した。


かなり良いご馳走様が出てたみたいね…。

私好みの料理が並んでいたよ↑


朝鮮通信使関連遺跡群「前波止」。

「前波止」は対馬藩主や随行者が上陸するため利用していたもの。


ん、なんで対馬藩?

どうやら、江戸幕府と李氏朝鮮の仲介にあたったのは主に対馬藩らしく、そのせいなんだろう。


この、対馬藩により日韓の偽書作成の話なんかを読むと楽しいが、相島とは関係ないので割愛。


(多分こちらが)「先波止」。

通信使一行が利用したもので、「前波止」と併せて作られた。


波止場の猫。



宮若神社の中に、井戸がある。

宮司さんなのかどういう人物なのか分からないけど、男性の方が来て井戸を開けてくれた。


今はもう使われていない。


朝鮮通信使をもてなす時に使われた。



相島は、日韓交流に重要な場所だったのだ!