ってのは、上府のと同様。
しかし神社の運営などで上府、下府の意見が分かれたため、明治十五年九月二日に分社し、現在の場所に移りました。
って記述と、祭神が違う。
こちらの祭神は「墨江三前神」と書かれていた。
(住吉でなく墨江の方で書かれているの珍しい!)
鼻周りの模様が特徴的な猫ちゃんいた🐈⬛
上府の案内板にあった
筑前国続風土記拾遺には、住吉神社を新しく、この地に移したので新宮大明神といい、新宮の名前もこの神社から起こったと書かれています。
という説明、繋がりが分からなくて謎だった。
色々なものを総合的に考えて導き出したのが以下。
元々は墨江三前神=住吉三神を祀る住吉神社だったのを移動した。
その後、新宮大明神/新宮神社という名前になった。
新宮という地名は、神社の名前から来ている。
この地の地名が神社名から来ているのであれば、「新宮神社」はどこから来たの?
それがどうやら、熊野信仰の地から来ているらしい。
「熊野権現御垂迹縁起」(一一六四年長寛勘文)はじめ諸書によると、熊野の神々は、神代の頃、まず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨され、その後、景行天皇五十八年、現在の社地に真新しい宮を造営してお遷りになり、「新宮」と号したことが記されています。
上記が、和歌山県新宮市新宮1にある熊野速玉神社にある説明。
そう、新宮の名前は和歌山から来たのだ!(多分ね)
↑のサイトに
とあるけれど、現在はリンク切れ。
上記の説が書かれたページはなくなっていた。
なんでよ〜。
「神社の運営などで上府、下府の意見が分かれた」ってのはやっぱり、住吉三神を信仰するか熊野の神を信仰するかで割れたって事なんだろう。
今となっては、熊野の神を勧請したってのを大っぴらにしたくないのかな。
きっとそういう事なんだろう、って事で、了。