鹿毛馬の神籠石と神武天皇の牧野神社 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

バスハイクのお仲間さんに、「(飯塚といえば)鹿毛馬の厳島神社には行きましたか?厳島神社の元宮ですよ」と言われた!

え、そうなの⁉︎

 

そんな事言われたらすごく気になる。

バスハイクで御所ヶ谷神籠石を見てから、鹿毛馬神籠石を見に行きたいと思いながらも今までずっと行っていなかったので、どちらがついでか、両方行く事に。

 

そうしたらなんと、またもや馬に繋がったので、先にその辺りの事を書きましょう🐴

 

鹿毛馬神籠石

福岡県飯塚市鹿毛馬997-1

 

まずは水門のある場所。

 

鹿毛馬神籠石の特色としては、

一、標高七十六メートルの低い丘陵に立地する。

二、列石は約二キロと小規模であり、保存状態が良好。

三、谷部には暗渠式の水門が二カ所。

四、牧場説がある。(牧の石とも呼ばれる)

などがあげられます。

 

っていう、鹿毛馬神籠石=牧場説におお!となった🐴

それだ‼️

 

 

 

 

 

水門の上の方に列石あり。

 

そしてまたちょっと歩いた先。

 

 

 

こちらには鳥居。

扁額には「山守神社」。

その上には「牧野」の文字。

登っていくと

かなり立派な列石あり。

丘の上には祠。

神籠石に囲まれたこれが守山神社。

またの名を牧野神社。

 

かつては社殿も神籠石の中にあったけど、明治時代に焼失し、御神体は歩いて15分程の厳島神社に合祀されたそうな。

 

牧野神社

御祭神

狭野命(さぬのみこと)


保食命(うけもちのみこと)

大山積命(おほやまつみのみこと)



倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

 

何故か境内の説明書には「狭野命(神武天皇)」という主語を抜いて書かれていて分かりにくくなっているので、飯塚市観光ポータルの方から由緒を引用。

 

由来

神武天皇が、狭野命(さぬのみこと)と申されていた時、豊前國の求菩提山を経由して鹿毛馬村を訪れ、山麓の野に多くの馬が群れていたのをご覧になり馬の牧(牧柵/牧場)を開かれたといいます。


以来、五月朔日から7日までの間、馬を使うことを禁止し、その間に大祭が執り行われていたそうですが、文暦元年(1234年)に牧が廃され、以後神社も荒廃するにしたがい元龜年間(1570〜1572年)に嚴嶋神社の相殿に合祀されました。
現在も「嘉麻郡の鎮守神」として鎮座しています。



 

また、鹿毛馬(かけのうま)の地名は、昔 鹿毛馬神籠石の周辺にあった馬の牧より、鹿毛(馬の毛色の一種)の良馬がでていたことに由来するといいます。

 

 

 

 

神武天皇が牧場を作った場所なんだって‼️

神籠石自体は、神武天皇の時代よりずっと後なんだけど、神武天皇の作った牧場をより強固に守り固める意図で石を組んだという事なんだろうって、私は考えることにする😊😊😊

 

 

 

ちなみに、今回の私の馬🐎

久しぶりのエストレア💫

 

父にすごいカブ勧められるし、確かにカブの方が軽くて乗り易いからそっちにしようかなって気にもなるんだけども。

エストレア格好良い✨って惚れ惚れする☺️