厳島神社
福岡県飯塚市鹿毛馬1088
御祭神
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
こちらもまた、境内案内板の由緒ではなんだかよく分からないので、以下、発掘ばいサイトより引用。
嘉穂郡誌によれば、三女神が高天原の神々より神勅を受けて、宇佐より宗像へと向かう途中、道に迷い、烏に導かれて豊前国と筑前国の境に位置する山に立ち寄った。その場所を「烏尾」と呼ぶようになった。
三女神は、山頂の「方丈の瑞石」に日神(ひのかみ)を思い天照大御神を祭った。「日を思う山」という意味で「日思山」、後に「日王山」と記されるようになった。
宗像三女神と呼ばれる市杵島姫命・田心姫命・
湍津姫命が降臨した場所は、宗像説と宇佐説がある。
この厳島神社では、宇佐説を採用しているらしい。
そして三女神が途中の山で天照大御神を祀ったってのは面白いね☀️
日本書紀には、景行天皇がこの地を訪れた時、日王山の頂に三女神と天照大御神を祭り「厳島大明神」を建立したとも記されている。
私が日本書紀を見てもその部分を見つけられなかったのだけど…
景行天皇も出て来て嬉しい😆
景行天皇が!三女神が天照大御神を祀った場所に、天照大御神と三女神を祀ったんだと。
ちなみに、「厳島神社」の「いつくしま」は、か市杵島から来てる説もあれば、神に斎く島って説もあるという。
後者なら、天照大御神が主祭神でも良さそう。
山頂への参詣は不便なことから、南北朝時代に本宮の三女神を現在地に遷座し、天照大御神を現在の福智町神崎の飯土井神社に移したとされている。
交通の便の問題で移動するのは分かるとしても、何故天照大御神と三女神が分裂したのかが分からないけども…。
まぁなんかそういう経緯で(おおよそここの近くに)、三女神自身が宗像に鎮座するよりも早い段階でやって来ているし、景行天皇が三女神を祀ったという伝承のある、かなりかなり歴史ある神社だという事が分かった。
相殿の牧野神社も神武天皇ゆかりの神社だし、すごい!
こんなにすごい伝承があるのに、神社側の案内板やら公式サイトにはその辺りぼかしてあるのは何故なんだ。
本殿も、金に装飾されていて綺麗。
大切にされていることはとても伝わる。
こちらは何かな?
奥にある、多分本殿にあたる祠。
須賀宮と稲荷宮の文字あり。
素盞嗚命と保食命が祀られているらしい。
こちらは徳満宮。
徳満宮って見慣れないんだけど、福岡県神社誌によると、大巳貴命が祀られているらしい。
出雲とかスサノオ系列だねぇ。
猿田彦大神のが並んでいるのもよくあるし、お汐井台もよく見るけれど、お汐井台の上のコイツは何者?
狛犬なのかな?
不思議。
ちなみに宮司さんの名前、土に点が付いた変わった名前。
ここに深い意味があるらしい。(元は白川伯王家で、白王さんで、王を名乗るのはけしからんってなって、土に点になったとか何とか)
この辺りが、神社の謂れを公言ないところにも繋がっているのだろうかと勘ぐってしまう。
お隣には鎮魂社。
聞いてた「(宮島の)厳島神社の元宮」って記載を見つけられなかったけど、立地的にも、宮島の方が降臨地(宇佐)より遠いから、その意味ではこっちの方が先だね✨
と。
地元にはまだまだ、古事記に出て来る神様や天皇ゆかりの地が沢山あって、楽しい限り😆