私は、歴史と自然を守る会主催の探訪(バスハイク)の中の、綾杉るな先生案内のものに参加している。
行き先は綾杉るな先生が決めているわけなのだけど、先生曰く、磐井の乱(古墳時代の戦)の磐井が鬼の話として残っているのではないか、と。
そんな仮説のもと、豊前市に残る鬼伝承の地を巡りましたよ👹👹👹
バスで移動する際、ボランティアガイドの方々が話をして下さった。
それが、歴史の話というんじゃなくて「日本昔ばなし」ってノリ、絵本の読み聞かせ的な語り口調だったのでちょっとビックリして、そしてキュンとした☺️
そうよね日本昔ばなしだよね。そうだよそうだよ。
学問!って堅苦しいものじゃなくて、もっともっと身近な昔話として日本の歴史に親しめたら素敵☺️☺️☺️
今は陸地で田んぼになっているけれど、昔、この辺りは海だったそう。
ここは元 浮島。
昔々、悪さをする鬼がいた。
村人達が権現様に助言を求めた。
権現様は鬼に、「夜明けまでに石段を作れ。完成出来たら住み続けて良い。出来なかったら出て行け」と言った。
そして夜、権現様が様子を見に行くと、石段はもうあと少しで完成しそうだった。
こりゃあまずいと思った権現様は鶏の鳴き真似をした。
鬼は朝が来たと思い、持っていた石を投げ捨てて逃げて行った。
そして村に平和が訪れた。
(↑上記は私が聞いて覚えている範囲の話。覚え間違ってたらごめんなさい。)
鬼が投げ捨てた石だとか🪨
この辺りには割れ目のある石が沢山沢山あるそうな。
不思議だねぇ。
…あれ?
その鬼の頭をここに埋めたって話みたいなんだけど、昔話では鬼は逃げて行ったんじゃなかったか?
てかさ、もし本当に悪さを働く存在がいたとして、「石段作れ」って言う事を聞くか?
無理難題押し付けた上に騙して追い出したもしくは殺して埋めたとか、権現様もしくは猛覚魔朴仙の方が悪い奴では?
↑鬼塚に沢山飛んでたトンボ。
古老の伝に言う。
「雄大迹天皇の御代、 筑紫君磐井が豪興で暴虐で 皇風に従わず、生きている間にこの墓を造った。 突然官軍が発動して襲って来たが、これに勝てな い事が分かると、ひとり豊前国上膳県に逃げ、 南の険しい山の間で死んだ。 官軍は追跡したが見 失い、 怒りに任せて石人の手を打ち折り、 石馬の頭を打ち落とした」
↑は、筑後国風土記逸文。
↓は、福岡県神社誌。
豊前志などには、築上郡岩屋村求菩提山の国玉神社末社鬼神社はこの磐井を祀ると伝えるが、 そ の真偽は甚だ疑わしい。
福岡県神社誌には「疑わしい」と書いてはあるが、さて、どうでしょうねっていう。
めっちゃ楽しい☀️☀️☀️
(なお、鬼神社自体はこの日は行かず、複数あるうちの別の鬼伝承地へ。)
続く。