差別する側の変革の課題

 雑誌『部落問題研究』1949年10月号で、野間は自分自身の差別観念の問題に触れて、中学(大阪府立北野中学校)の三年の頃(1929年頃)に遭遇した事件について、次のように語っている。

   例えば、私のなかには部落に対する恐怖というものがあった。それは勿論私の 

  祖母や母が私にふきこんだものであったが、また私が街頭で部落の人々(それは 

  部落の一部の悪分子であった)に接して受けたものであった。私は中学の三年頃

  に大阪の千日前の盛り場を歩いていて、悪質の靴磨きにひっかかり、それ以後部

  落の人々を恐ろしく思うようになっていた。

   春だったと思うが、私が千日前の表通りを歩いていると、17,8歳の青年が

  近づいてきて靴をみがきましょうという。私はいらないとことわったが、その青

  年はなかなか承知しない、ぐずぐずと磨かせてくれと繰り返し、次第に私を横町

  に引っぱりこんで行く。みるとそこには、三、四人の仲間がいて、私をみはって

  いるような気配である。私はそれに気おされてついに自分の靴を靴磨き台にのせ

  てしまったが、私が靴をその台にのせるや、もう私はその青年の自由になる他ど

  うすることもできなかった。青年は私の靴にブラシを二、三度かけたが、どうも

  靴がいたんでいるようだといい出して、いやがる私の靴をぬがし、見ている間に

  その半皮を大きなヤットコではぎとってしまった。そして用意してあった実にう

  すっぺらな全く役に立たぬ皮を代りにうちつけ、私から代金をうばいとった。し

  かもそのときには既に傍にいた仲間達は、私のまわりにぐるっと輪をつくってい

  て、私はにげ出すこともできなかったのだ。私は子の話を家に帰ってから母親に

  したが、このとき母親は部落の人たちが、恐ろしいということを私にくりかえし

  た。・・・後になって私はこのような青年達はむしろ部落に対する人々の差別観

  の犠牲者であって、非常に複雑な心理の持主であり、そこには世の中に対する反

  抗、復讐の心が動いていることを知ったのであるが、勿論これらの青年達も経済

  更生運動がすすむにつれて次第に少なくなっているのである。(1)

 野間がこの青年たちを部落民と推定して、彼らの心理について「私はこのような青年達はむしろ部落に対する人々の差別観の犠牲者であって、非常に複雑な心理の持主であり、そこには世の中に対する反抗、復讐の心が動いていることを知った」と語っているのは、さすがに野間ならではの分析ではあるが、そこには、吉田永宏が「些か奇異な感じがするのは、この悪質な行為者たちが被差別部落の青年たちであることが何ゆえに判明したのであろうかという点である。この青年たちが自ら名乗った(或いは意図的にそう騙った可能性も大である)とも記述されていない。恣意的にそのように思い込んだと考えるならば、それはそれで野間少年の有っていた差別観念の如何に強固なものであったかがここからも窺えよう」(2)と指摘しているような問題が存在していることを見逃してはならないだろう。

 さらに注目すべきなのは、この事件に遭遇して以降、祖母や母から刷り込まれた部落に対する恐怖心が増幅したと語っている点である。この野間の語りは、ある個人の差別観念が別の個人に向ける嫌悪や憎悪、恐怖感といった感情と複雑に絡みあっているからこそ執拗なものとなりうることを示しているが、人種差別や植民地主義を例にとって西川長夫が述べているように、「差別する側の人間がそれを自覚するのは決して容易でない。また仮にそれを自覚したとしても、私たちの思考や感覚や身体的な反応から、内面化された植民地主義を摘出し排除することは極めて難しい」(3)。

 このような差別する側の変革の問題について、野間自身は「今日、差別する者が、差別される者の差別を簡単に理解しているか、理解しているかのように思い込んでいる傾きがあるが、それほどたやすく差別される者の差別形式と内容を、差別する者が接近してとらえることはできないのである。」と述べ、「私は、差別される者の差別のところに、差別する者もまた立たねばならないと考えているが、しかもそこに到るまでには、差別される者の側と、差別する者の側との、たえざる対話、たえざる問題提起、たえざる討議、たえざる交渉が続けられる必要があると考える。」(4)と主張している。この発言は『青年の環』が完結してから15年以上を経てからのものであるが、こうした考え方そのものは野間の実体験に基づいているとみて、まず間違いない。

 とすれば、「日本の最も重要な問題の一である被差別部落の問題をうち深くに置いている作品」と語った『青年の環』で、作者の分身とも言われている主人公が、自分自身が差別を強いる多数者の側に属しているということを自覚し、自らの内面にあるかもしれない差別観念を「摘出し、排除する」ために、差別される側との「たえざる対話、たえざる問題提起、たえざる討議、たえざる交渉」を続けていく過程が詳細に描かれていなくてはならないだろう。その意味で、差別する側に立たされている主人公の変革のためのプロセスを検証することは、『青年の環』を批評する上で極めて重要な課題といえるだろう。

 

(1)野間宏「大阪の思い出」(前掲『解放の文学 その根元』122―123)。

(2)吉田永宏の指摘(「野間宏と部落問題(一)」(『関西大学人権問題研究室紀

   要』54巻、2007年7月、18頁)。

(3)西川長夫「植民地主義の再発見」『植民地主義の時代を生きて』平凡社、20

   13年、224頁。

(4)野間宏「『地対協』基本問題検討部会報告への意見」(部落解放基本法制定要

   求国民運動中央実行委員会編『部落解放をめざして―『地対協』部会報告を批

   判する―』解放出版社、1986年、162―163頁)。