「差別裁判」に対する主張

  竹内の「一つのフィクションを通じて差別裁判に迫りたい」(前掲)という強

い思いが作品で最も表現されているのが、渡辺るい殺害の共犯と「新造の犯行に際してそれを利用した予謀の罪」で起訴された須山の裁判での証言の場面である。少し長くなるが、「差別裁判」に対する竹内の主張の核ともいえる部分なので、前段のみを省略して引用する。
   この法廷が裁こうとし、それにかかわっているいまあげた二人の被告(神 

  主の息子殺害事件の浩と、渡辺るい殺害事件の新造―引用者)とも、正当な裁判 

  の真犯人による真犯人の割り出しによってのみ、汚名をそそがれ、かれら自身と

  なり、社会における生活が現在与えているさまざまの力よりはるかに越える力を

  身につけることができる人たちです。・・・・そうでなければ裁く人間も、裁か

  れる人間も、まさにそのような法廷を正しいものと認めることを余儀なくされる

  社会も、闇です!すべての人が闇のなかに置かれます!この闇は第一に、ひとつ

  の無知からつくられています。それは差別される者の経験を、差別する者がつい

  に理解しえない、人間が他人をその経験ぬきには理解することができないという

  ことから生じるものです。このことの無知から生じるこの世の錯誤がもし法廷に

  おいても犯されるなら、それは身に覚えのない、深い喰い違いに生まれながらに

  置かれた人びとを、無実の罪へと陥しこみ、法廷の名において殺人の罪を犯すこ

  とによって、この世に満ち、いやそれどころかこの世のなかの運行を支えている

  根源的な犯罪に進んで手を貸し、怖るべき誤りの犯罪を法廷自身が犯すことにな

  るのです。それをぼくは怖れます。この法廷に持ち出されもせず、それについて

  語られてもいない現代における根源的な犯罪とは、人間に対する人間による差別

  です。そしてそれによって生じる、それを利用して生きている者とそれによって

  虐げられる者との、意識してそれを行う者とその被害を受ける者との、また自分

  では意識せずしてそれに加担する者とそれを告白するものとのあいだの真の闘い

  を隠蔽し、この犯罪をあばくどころか進んで人類に闇と犯罪を残し続けるために

  法廷などというものがあるとしたら、一体だれがそんな法廷などというものを認

  めるでしょう?検事は、一人の青年を生きながら死の地獄に陥れた一倉山の二年

  前の事件を、この法廷に関係のないものとして退けられますが、関係ないどころ

  かまさにこの法廷の裁きの正否を決する重大な関連を持っています。この法廷で

  もこの誤りを繰返せば、それは第二、第三、第四・・・・幾百、幾万の法廷の誤

  りを続けることによって、法と人類を悪の闇へ陥れることになるのです。またぼ

  くが自分の罪を忘れて他の被告の弁護をしているとのことですが、ぼくが他人の

  弁護をしているどころか、まさに自分の犯している犯罪について語っているので

  あり、そのことによってぼくがこの法廷で問われているぼく自身が犯していない

  犯罪について弁明し、論難しているのだということを、いま述べたことから理解

  されるはずだと思うのです。まだわからなければ、ぜひともこの法廷で明らかに

  していただきいのです。・・・・ぼくに罪があるとすれば、それは三十三歳の今

  日までこのような人びとを生みだす犯罪に知らずして加担して生きてきたことに

  あるのであって、しかし断じていまこの法廷で開廷以来問われている罪状によっ

  てではありません。ぼくはそのような犯罪を、犯していません!(下巻269―

  270頁)

 先にも見たように、竹内は『人間の土地』を執筆している時の心境について、「狭山事件にたいする最高裁の判決が秋ごろにあるのではないかという噂が私の耳にもはいってきたときには、なんとかして判決前に出して、この小説のもっているテーマをひろく読者に訴えたい、そしてすこしでも無罪判決のための力になることができたらという祈りと焦りに似た気持ちにとらわれていた。」(1)と語っている。この場面は、そうした竹内の「祈りと焦りに似た気持ち」が最もよく現れている。

 とりわけ、「この法廷が裁こうとし、それにかかわっているいまあげた二人の被告とも、正当な裁判の真犯人による真犯人の割り出しによってのみ、汚名をそそがれ、かれら自身となり、社会における生活が現在与えているさまざまの力よりはるかに越える力を身につけることができる人たちです。」という須山の力強い主張は、「狭山事件」の被告とされた石川一雄の苦悶、悲哀、絶望に対する文学者としての竹内の想像力にもとづいているものと思われ、このような想像力や共感こそが、差別する側、差別される側の間に存在する深い断層を越えることを可能にするものであることを浮き彫りしているといえるだろう。

 もう一つ須山の主張で重要なのは、「世のなかの運行を支えている根源的な犯罪」に対して、「ぼくに罪があるとすれば、それは三十三歳の今日までこのような人びとを生みだす犯罪に知らずして加担して生きてきた」という言葉である。こうした「人間による人間の差別」である部落差別に「知らずして加担して生きてきた」自らの罪を告白する須山の言葉には、フランツ・ファノンが言ったのと同じような、「人間世界を作りあげている根本的価値」が「人間蔑視に対するノン。人間の卑賤に対するノン。人間搾取に対するノン。人間にあって最も人間的なもの、すなわち自由の圧殺に対するノン」(2)という竹内の思いが込められているように、私には思われる。

 このような「狭山事件とその裁判」から竹内が汲み取った思想は、彼だけのものではなかった。長野県の部落をまわって『被差別部落の伝承と生活 信州の部落古老聞き書き』三一書房、1972年)を著わすとともに、「狭山事件」の真実を訴え続けた児童文学者の柴田道子も「石川さんをこのように追いやったのは国家権力であるが、そうした権力の理不尽を許してきたのは、私たち一人ひとりなのである。部落差別を許さないたたかいは、私たち個々の人間の問題として問われている。」(3)と語っている。

 竹内と柴田に共通する「部落差別を許さないたたかいは、私たち個々の人間

の問題として問われている」という考え、これこそが部落解放の課題を部落民の解放の課題としてだけではなく、「個々の人間」に開放するために最も重要なものであったのだった。

 

(1)竹内泰宏「狭山事件と私」(前掲、228頁)。

(2)フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(みすず書房、1970年、13

   8頁)。

(3)柴田道子「狭山差別裁判と私たち」(『婦人民主新聞』1973年9月1

   4日)。