ゆめネットみえ通信
人間への柔らかな視線―善野 烺『旅の序章』
今年の7月30日、反差別・人間解放を主題とする解放文学の文芸誌『革』の発行責任者(編集長)・善野 烺さんの作品集『旅の序章』が、解放出版社から「解放文学双書3」として出版されました。ちょうど善野さんの最初の作品集『百年のチークダンス』(長征社、1990年)の出版から30年目、また、「解放文学双書1」の野間宏『解放の文学その根元 野間宏評論・講演・対話集』(1988年)に続いて出版された「解放文学双書2」の土方鐵『妣の闇』(1990年)からも30年目にあたります。
1957年に神戸市で生まれた著者とはほぼ同世代(私の方が4歳年上)ということもあり、『革』第三号(1980年3月)に「高本安吉の素晴らしい一日」(『百年のチークダンス』長征社、1990年収録)が掲載された時から、その作品に注目していました。この『旅の序章』が出版されたのを機会に、『百年のチークダンス』も読み直してみて、「解放文学の歩み」における善野さんの作品の重要な位置と、複数の人びとの中で「他人によって、見られ、聞かれる」(ハンナ・アーレント/志水速雄訳『人間の条件』ちくま学芸文庫、85頁)ことによって、自分のアイデンティティを確認することができる場でもある『革』の文学運動の意味について、本格的に論じる必要があると思いました。この点については、別の機会に改めて述べるつもりですが、今回のブログでは、『旅の序章』を読んで感じた事をいくつか書いてみます。
さて、作品集『旅の序章』ですが、「時の流れ」「十年後の手紙」「年暮記」「窒息」「師走の記」「陽炎の向こうから」という6つの短編小説と、書名にもなっている「旅の序章」という長編小説から構成されています。執筆時期で最も新しいのが「旅の序章」で、『革』26号(2016年12月)、27号(2017年8月)、28号(2018年2月)、30号(2019年2月)に掲載されており、その前の作品「陽炎の向こうから」(『革』21号、2002年10月)とは、ほぼ12年の間隔があります。善野さんが教員を退職したのが2016年3月ですから、校務に忙殺されていた善野さんが、新たな「旅」に向かうために、これまでの創作活動に一区切りをつけるために執筆したのではないでしょうか。
これらの短編小説のうち、縁日で綿菓子の露店を出している被差別部落(以下、部落)出身の男が、同じくアメリンゴを売っている若い男が実は息子であったことに気づく「時の流れ」と、昭和天皇逝去に伴う「息苦しさ」の中での天皇の戦争責任や部落差別問題を取りあげた「窒息」以外は、部落の青年・時本信夫(『新日本文学』に掲載された「師走の記」は時本和夫)を主人公にした一人称小説です。
戦後文学を代表する長編小説『神聖喜劇』の作者・大西巨人は「ある作者が作者自身の生涯の一時期を『一人称小説』に仕立てる場合、語り手(主人公)の語る事実つまり作品現実が作者の一時期の事実と全体的にか部分的にか一致することはあり得る」(「公人にして仮構者の自覚」『大西巨人文選』2途上、1996年、みすず書房)と述べていますが、時本信夫を主人公とした作品は、善野さんのプロフィールから見て、「作品現実が作者の一時期の事実と全体的にか部分的にか一致」した作品であり、その集大成が長編小説「旅の序章」であったといえるでしょう。
したがって、そこで語られるのは、高校時代の「部落問題研究会」と兵庫県において「同和教育」の実践として重要視されていた「部落民宣言」や「(自分自身の)生い立ち語り」のこと、大学卒業してからの会社への就職とアルバイト、仕事のこと、学校の教員への採用と教員生活、そして、恋愛・結婚や友人・知人のこと等、作者が体験した「日常」の生活のことです。しかし、その「日常」の裏側には、部落差別とそれがもたらす部落出身であることへの葛藤の問題が存在していますから、決して平穏なものとはなりません。
しかし、1922年に創立された全国水平社以来の市民的権利の獲得をめざして激しく闘われてきた運動によって、「市民としてのすべての法的保護を剥奪されたかもしくは喪失した」(藤田省三『全体主義の時代経験―藤田省三著作集6』みすず書房、1997年、46頁)「難民」的な状況が大きく改善されたこととも関係していますが、それまでの解放文学の担い手とは異なり、作者は、そのことについて激情をもって語っていません。むしろ、どの作品も、登場人物が差別―被差別という一元的な視点だけから裁断されていないことにより、ほのぼのとした柔らかい光に包まれているように、私には感じられます。文章表現や人物描写の巧みさだけでなく、作者の心の温かさがそのような作品の味を生んでいるといえるでしょう。そして、それこそが、何をもってしても代えがたい、善野作品の大きな特色であると、私は思っています。
この『旅の序章』の「あとがき」で善野さんが「これが、あの『地下茎』を書いた作家か」という畏敬の念で身内が震えた」と書いた土方鐵(1927―2005年)さんは、今から65年前に、「既成文壇や、既成の作家が、このような態度でしか作品を書くことができない以上、われわれの闘いの中からわれわれは素朴であっても、部落民のなやみ、苦しみ、悶え、よろこび、そして闘いを、われわれの手で書きあげなければならないと思う。」(「われわれの文学創造のために―〈黄金伝説〉と〈風潮〉を中心に―」『部落』1955年1月号)と宣言し、とくに被差別という状況が生み出す人間の「歪み」に焦点をあてて作品を創造しました。それから半世紀以上経過して、ようやく、被差別の状況のなか置かれた人間が、煩悶しながらも一生懸命に生きている姿を、部落解放運動の論理から見下ろすような立場からではなく、主人公の時本信夫に即してありのままに描かれたのでした。
このように、『旅の序章』は、部落の開発によって共同体が解体し、共通感情で結びついた人々が「共同の利益を負って相共に行動する彼らの生活の政治的領域が破壊された」(ハンナ・アーレント『全体主義の起源』Ⅲ、みすず書房、319頁)状況が出現している中での、解放文学の一つの方向性を指し示す作品と高く評価することができますが、最後に課題として次の点について述べておきたいと思います。
土方さんの後任の部落解放同盟中央機関紙『解放新聞』の編集長・笠松明広さんは、「戦後の京都の部落を舞台にした全体小説を書くというのが、解放新聞の編集長を辞してからの土方さんのライフワ―クだった。俳句を軸に『小説 石田波郷土』をはじめとした作品をその後残したが、ライフワークは未完のまま終わってしまった。」(笠松明広「追悼」『土方鐵さんを偲ぶ会』2006年4月1日)と指摘しています。また、土方さん本人も、「最近、わたしは、差別者の心理に、関心をもっている。なにを、いまさらと、いわれるかも知れない。正直にいうと、これまで、被差別者の、心理のほうに、より関心があった。/だが、最近それでは、いけないと考えはじめた。遅きに失するかも知れないが、差別、被差別の双方の心理を、よく知らないと、小説作品は不十分なものと、ならざるを得ないだろう。」(「差別心理を描いた小説」『部落解放』1987年12月号。『道標 時時刻刻を紡ぐ』解放出版社、1995年に収録)と語っています。
善野さんには、この『旅の序章』を「序章」として、ぜひ土方さんのやり残した「部落を舞台にした全体小説を書く」という課題を受け継ぎ、「差別、被差別の双方の心理」を明らかにし、権力によって日常生活や社会の深部に巧妙に組み込まれている部落差別の構造を浮きぼりにする小説作品に挑戦されることを、私は期待しています。
なお、善野さんは、『旅の序章』の出版から一カ月後に、「善野 行」という名前で『句集 聖五月』(邑書林、2020年8月31日)を出版されおり、善野さんの心の繊細さ、やさしさに満ちた俳句が収録されています。また、拙稿「大西巨人と部落差別問題(上)―「黄金伝説」と『神聖喜劇』」が掲載されている『革』第33号も、今月発行されています。