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★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

ブログを果てしなくサボっていたが
めんどくさかっただけである。
(刺繍ばかりしていた・・σ(^_^;)  )


ただ久々にこ、コレは書きたいぞ〜
曼珠沙華公園!! 
 正にこの世のモノとは思われぬ赤い海。
死ぬ前に浮かぶであろう景色の中で
はしゃいできたのであーる。

有り得ない世界。ココ作った人マジあたおか。



曼珠沙華公園は埼玉県日高市。
隣の飯能市には最近話題の複合施設
ムーミンバレーパーク、メッツァもあり
帰りに偶然通ったからすぐ近くなんだろう。

曼珠沙華公園の駐車場は広いけど、
入るのに行列だから、早めに近くで個人の
臨時駐車場を利用した。
良いおじさん&おばさんだったなー。



巾着田というのは高麗川に形つくられた
地形から。まさに巾着袋のようですね!
で、この高麗川巾着に沿う形で彼岸花が
どわーっと群生している。



上流エリアからの祭り会場をはさんで
さらに下流エリアがどかーんとつづき
果てしない赤い海の回廊に溺れる!!
マジ半端なし!



辺り一面真っ赤なのは写真でも解るだろうが
視線の先も、先も、後ろも、ずーっっと
真っ赤なのはどーしたことか!??
いや有り得ん、頭オカシイやろ。。と
思わず呟いてしまったよ。。全く。。



こんな大量の彼岸花を毎年どう管理するん
だろうか??勝手に咲くの?雑草ぬきは?
様々な疑問が浮かぶのだが、
もしかしたら自然のママなのかも。。

パンフでは昭和40年代に日高町が現地を
取得し薮や葦を払って整地した所、
秋になって一斉に曼珠沙華が咲き揃った、
河川の増水で流れて来た球根が
根付いたのだろう、、てゆーんだからさ。
スゴいよね。ほんとスゴい。




巾着曼珠沙華の内周はぐるーっと土手に
なっていて、一段高い所から眺めるも良き。

巾着の内側にはビオトープや広場があり
何故か馬さん、ボニーさん、ヤギさんも
ちょっと居たりして、長閑な風景。。



巾着の中には民家もあって、オープンな
庭先に立派な栗がゴロゴロ落ちてる、、
と思ったら、日高市のマスコットは
栗さんなのね。彼岸花の冠つけて。(o^^o)




近隣の街中にも至る所彼岸花が咲いておる。
そして高麗川、高麗神社、高麗古民家、
高麗川駅、、と辺り一帯「高麗」だらけ。
湘南平にも高麗山とかあるけどさ、
高麗の規模が違うらしい。いざ高麗神社へ!




むむむ、半島感満載ですな。
縁起によると668年の高句麗滅亡の折り、
1799人が渡来したそうな。
1800人ではなく1799だぜ!



すんごい立派なの!
さらに奥の山に本殿が聳え、頂上からは
武蔵の街一望の良い景色でした〜



本日の戦利品は曼珠沙華祭りの出店でGET。
地酒は高麗王。
高麗神社と同じく「開運出世」のご利益が
期待できまっせ!(҂˘̀^˘́)ง




しゃくし菜は秩父名産。
美味しいって聞いて是非買いたかったんだ。
あまり塩っぱくなく、まぁ普通に好きな味。

手作りのバードコールを買った店で
おじさんとおばさんが着ていた刺繍の
Tシャツも買ったよ。彼岸花とトンボ。
そういえばトンボわさわさ飛んでたなぁ。



バックにもトンボの刺繍があった。♪
刺繍熱はまだ冷めないみたい。
疲れるし、早く本読みたいのにね。くふ。




巾着田の中で会った猫さん。
開花前の曼珠沙華をバックに。
何気に今日イチのお気に入りショット。





▼ワカ姫のまじない歌

第七代両神の第一子として筑波のイサ宮 
(茨城県真壁郡付近)でお生まれになった
ワカ姫が成長され、イサワ(三重県伊勢市)
の宮にお仕えしている時、
キシヰ邦(和歌山地方)の稲田で
ホヲムシ(いなご)の大発生がありました。

この時、留守のアマテル大御神に代わり
正后セオリツ姫とワカ姫が行啓し
民の嘆きをお聞きになります。

二人は古の教えに従い「ヒアフギ」(桧扇)
で扇ぎながら、ワカ姫が祓いの歌を詠むと
ホヲムシは徐々に離れ始めます。
そこで皆で声を合わせ360回繰り返すと
稲虫は飛び去り、稲も蘇ったのです。


これは稲虫を祓うワカ姫のまじない歌で、
古語に「西の海ぞろり」という厄払いの
呪文として残っています。



▼ヌバタマと桧扇

ワカ姫が稲虫を祓った呪いの背景には
往古からの教えがあります。

古来ヌバタマ(アヤメ科の多年生植物)
には厄災を祓う呪力があるとされ、
12枚の葉を広げた形状は扇のようです。

桧の板を薄く削り、同じく12枚で作った
桧扇はヌバタマの「モノザネ」(神に祈る
心を託して身近に置く物)で
同じ呪力を持つと考えられました。

国を守り治める者は桧扇にお日様の図柄を
入れて(日扇)身に着け、
それで扇げば抂事(まがごと)を祓い
天が晴れる(アッパレ)と言い伝えられて
きたのです。

ヌバタマ(ヒオウギ、烏扇)の実
ヌバタマの葉


▼三十二音の祓い歌


文章や歌を五七調に刻むのは
日本語固有のリズムに合うからですが
桧扇の12枚が持つ呪力に
アワ歌48音が持つ言霊の力を合わせると
その呪力は倍増します。
そして言霊の力を引き出すのは
32音のワカの歌なのです。


人の生命リズムは
太陽と月の運行から支配を受けており
地球上では皆、太陽の運行に従い
三十一日周期で生きています。
ワカの三十一文字(みそひともじ)も
ひと月の日数に相当します。


しかし月の満ち欠けの周期は30日足らずで
太陽より一周遅れ、そのため
月の影響を受ける女性特有のリズムは
三十二日周期となります。


これは太陽と月の運行の差ですが
この時に汚穢物(オヱモノ)が入り込もうと
狙っているのです。その汚穢物を祓う歌は
三十二音で「声が余る」のです。


お宮参りの日を、男は三十一日目
女は三十二日目とするのは、
この生命リズムに従っているのです。



▼和歌の道を立てたワカ姫

このように地球を取り巻く天体の
回転運動に適応した生活をする事が
縄文日本の思想の根本であり、
その中心には和歌の道があったのです。


稲虫を祓ったワカ姫の功績は後の世まで
残り「キシヰ邦」から「ワカの邦」に
改められ、後の和歌山県になります。
ワカ姫が暮らしたタマツ宮がある海浜も
「和歌の浦」となりました。

タマツ宮でワカ姫は恋に落ちるのですが、
思い兼ねてアチヒコに渡した和歌が

キシヰコゾ  ツマオミキワニ  コトノネノ
     トコニワキミオ  マツゾコヰシキ
(キシキ去年   夫を身際に   琴の音の
         床に吾君を    待つぞ恋しき)

という見事な回文(回り歌)で、これには
言葉を返すことも、変えることも封じて
詠み手の願いを叶える呪力がありました。


願い通り二人は結婚し、
ワカ姫はシタテルヒメ(下照媛)の称え名を
賜り、アチヒコはオモイカネ(思兼神)
という神名で呼ばれました、


和歌山県和歌の浦にある
玉津島神社(創建年代不詳)


▼イザナギ、イザナミ
       夫婦神による国家再建


両神を世継ぎに選出したのは
二代天神クニサツチの時代から採り入れ
られている合議制による全会一致です。

議会は全国的に乱れた人心と食糧事情を
立て直す為、葦原(山陽近畿地方)で
成功している稲作技術を全国に普及させ
米を主食とする計画を立てます。


両神は人心安定の為、まず
ヤマトアキツス(大和秋津州・本州)から
淡路島、伊予阿波フタナ(二名・四国)
隠岐三つ子(隠岐諸島)、筑紫(九州)
吉備の子(瀬戸内の島々)、佐渡
ウシマ(大島・北海道?)まで全国を回り
人々が自然の恵を平等に享受できるよう
漁業権や農地、水利の秩序作りを進めます。

両神の政策は天地自然の摂理にかなうもの
だったので、地方の争いは絶え
産業も振興、国民の信頼を得て
新しい統治国家が出来上がったのです。



▼日嗣の君アマテル誕生

次に成すべきは
人民を守ってこの国の平和を維持する
優れた「日嗣の君」をもうけること。

両神は「ハラミの宮」(甲府市酒折宮)
=当時は富士山山麓に落ち着き、
一心に祈って日の神をお産みになりました。

皇子はウホヒルギと名付けられ、
甘やかさぬよう天(五代タカミムスビ=
タマキネ=トヨケ大神=豊受大神)に送り
「君」に相応しい教育と
「御柱の道」(ミハシラノミチ)の
伝授を託します。

この太陽の申し子こそ、後に大成し
「アマテル大御神」と称えられる君で
トヨケ大神は熟考の末
「ワカヒト」と斎名を捧げます。

日の神がお生まれになったので 
ハラミ山(富士山)を「大日山」オオヒヤマ
とも呼ぶようになりました。


甲府市の酒折宮    創建年代不詳
連歌発祥の地とされている。



▼二男ツキヨミの誕生と
         ワカ姫の復籍

両神はその後も全国を巡幸され
ツクシ(筑紫)でお生まれになった
皇子モチキネを「日の神」に次ぐ
貴い神になれ、と願いを込めて
「ツキヨミ(月読)の神」と称え名され
この子も天(トヨケ大神)に上げました。


また、ツキヨミが生まれる前のこと、
先に汚穢隅回避の為「捨てた」ワカ姫を
「天の節の厄払い」も成ったとして
第一子ではあるけれど、アマテルの妹という
序列で復籍し、両神の元で暮らすことに
なりました。


▼三男ソサノヲ誕生

その後ソサの州(紀伊半島)で生まれた
末子ハナキネ(ソサノヲ)は
幼い頃から我が強く
気に入らなことがあると駄々をこね
大声で泣きわめく子供でした。
その性格は成長しても止まず、
凶暴性を発揮し人々に危害を及ぼします。 


イザナミはソサノヲの行状が世に災厄を
もたらすのは、自分の身に宿った汚れが
ソサノヲに乗り移ったせいに違いない、と
思い詰められ、世の隅(クマ)を
一身に受けて民を守ろうと決意、
「クマノ宮」(熊野宮)にお住いになり
ソサノヲの悪行の償いに努める生活を
されたのです。



ですから
両神が皇子たちをお産みになった宮殿は

ワカヒト(アマテル大御神)を産まれた
「天のハラミの宮」
ワカ姫を産まれた「筑波のイサ宮」
ヒヨルコを早産された「淡路の宮」
ツキヨミをお産みになった「ツキスミの宮」
ソサノヲが産まれた「クマノ宮」

合わせて五つの殿があるのです。



▼男女の道を自然界に学ぶ

日嗣の皇子を授かる為の試行錯誤は続き
ヒヨルコ早産の経緯をトヨケ大神が預かる
国政議会アメ(天)で占い分析します。


結果は、儀式で歌った五四(ヰヨ)の歌は
五四調の九音で綴られ十音目が無いから
事(九十)を結ばぬ不吉のリズムである。
また、女神から声を掛けたのが良くない。
婚姻の男女関係をニハナブリ(鶺鴒)の
仕草から学んで下さい。と出ます。


宮庭に二羽の鶺鴒(セキレイ)が来ると
オスが誘い、メスが察知し交わっています。
両神は、動物界普遍の法則である男女の道
すなわち「トツギノリ(婚ぎ法)」を
天から鳥を介して伝授されたのです。

セキレイ 鶺鴒   
トツギオシエドリ(嫁教鳥)とも。



▼天地自然の法則を
   人間生活の根本に据える

婚ぎ法に則って儀式をやり直します。 

男神が左から、女神は右から回り
出会うと男神が歌います。
「アナニヱヤ ウマシオトメニ アイヌ」
(あ!いいぞ!素晴らしい乙女に会えた!)
女神が応えて
「ワナニヤシ ウマシヲトコ二 アヒキ」
(わ!なんと素敵!素晴らしい男性に会えたわ!)


この世のあらゆる事象には
表裏、前後、左右など対立する二極があり
人が生きていく上で、これらを
陰と陽に分別する必要があります。

天地自然の法則からすると 
男は天であり陽、先であり左です。 
女は地であり陰、後であり右です。


だから儀式でも男神が先に「ア」で始まる
歌を詠い、女神が後から「ワ」で始まる
歌を詠いました。

この掛け合いの歌は「天(ア)のアワ歌」
と呼ばれ、天地自然の法則を学ぶ上で
最も重要な歌になりました。


これと共に「地(ワ)のアワ歌」という
「アカハナマ   イキヒニミウタ・・」で
始まる48音を人間生活の柱とし
国家秩序も男女関係も、全てが天地自然の
法則に支配されていることを学んだ両神は
いよいよ新しい国造りに励んでゆくのです。



▼教育原理はアワ歌


縄文後期の子供教育はアワ歌を教え
常に歌わせることから始まります。

「ア」で始まり「ワ」で終わる
48音の「地(ワ)のアワ歌」を
カダガキ打ちという奏法で弾く琴に合わせて
歌うと、身体各部の働きは増し
頭脳発達、神経系の応答も良くなります。


日本語は単音語で一音一音が意味を持つと
共に、一音一音に神が宿ります。
アワ歌を歌うことは言語教育であり
また天地自然の神を敬う教育の始まりです。

人々はアワ歌を歌うことで健康増進、
病気を寄せ付けず長寿を得られます。
この教育原理に通じているカナサキも
長寿を保ちスミヱノヲキナ(住吉の翁)と
称えられました。


   アカハナマ   イキヒニミウタ
   フヌムエケ   ヘネメオコホノ
    モトロソヨ   ヲテレセヱツル
    スユンチリ   シヰタラサヤワ



⑦第七代天神イザナギ、
           イザナミの夫婦神

外戚から起用され、乱れた世を立て直す
大任を担った両神(フタカミ)は
豊受大神の本拠地であるケタツボ(多賀城)
の西南にあたるツクバ(筑波)の真壁郡に
イサ宮を建て、新居とします。

ケタツボ(多賀城市)は
初代天神クニトコタチが国家創建の最初の
本拠地とした地でもあり
原点回帰という大きな意味がありました。


▼一女三男の4人の子供


新婚生活を筑波のイサ宮で始めた両神は
お互いの身体の違いを較べ合い
足りない所と余る所を合わせ皇子を産もうと
「ミトノマグバヒ」をしました。

最初に生まれたがワカ姫(ヒルコ姫)。
けれどその時、父は40歳、母は31歳で
共に「天の節」が宿る年回り。
「女の子なら父の汚穢(オエ)を受け、
    男の子なら母の隅(クマ)を成す」と
信じられていました。後世の「厄年」です。


三年間、愛情を掛けて育てたけれど
捨て子は育つ、という言い伝えに従い
イワスク舟に乗せて捨て、申し合わせにより
重臣カナサキが(金折命)拾い、
本拠地の西殿に連れ帰り、育てます。
今から3000年以上前のこと。

兵庫県西宮市の廣田神社(拾た)

西宮神社も同様。古事記にある類似の
ヒルコ伝説を持つがホツマの内容とは異なる。



▼第二子が早産で流された
        ヒヨルコ


両神は新国家建設と日嗣の皇子を妊する
責務を果たす為、誓の儀式を行います。

これはアメノミヲヤカタ(天御祖神)が
宇宙空間に自然の秩序をもたらした
タカマの思想を人間社会に実現する試みで

オノコロの八尋の殿に建てた柱を
アメノミハシラ(天の御柱)に見立て
その回りを原始の雲のように巡って
人間社会にも自然に即した秩序が整うよう
祈念したのです。


試行錯誤が始まります。
最初は女神が左へ、男神が右へ回り
出会った時、女神が
「アナニエヤ ヱヲトコ」       と言い
(あ!いいぞ!好男子だ!)

それに応えて男神が
「ワナウレシ エオトメ」
(わ!嬉しい!素敵な乙女だこと!)

と歌って女神は身ごもりますが、残念ながら
早産し、育てることができませんでした。


このヒヨルコが生まれたが淡路の宮殿。
ヒヨルコは子の数には入れられず
両神は泣く泣く葦舟に乗せて流し
天上に送り届けました。


***************

古事記では不具の子が生まれて海に流した
話しなので、不吉なような失礼なような
どういう意味か測りかねていたので、、、
こちらの話が本当なら良いな。。と
素直に思うわけで。





イザナギ、イザナミの登場には
古事記でも重要な「タカミムスビ」と
「豊受大神」が深く関わっている。
物語は初代天神クニトコタチに遡る。


▼初代タカミムスビ

初代天神クニトコタチが東北地方で
果樹栽培の事業に取り組んでおられた時
「ヒ」の皇子ハゴクニ(葉木国野尊)が
生まれました。
この神は「タ」「カ」「ミ」の皇子を率い
東北地方の開拓と経営に功績を上げます。


またタカマ(高天原宮、朝廷)に
クニトコタチを祀る祭祀を創始したり
タチハナ(橘)を「常世の木」と崇め
クニトコタチのシンボルとして
栽培したのもこの神でした。


クニトコタチは日高見(東北)を手始めに
拠点を移しながら南西に開拓を
広げていきますが、
列島を八つのブロックに分け、八人の皇子に
分治させたので、後に日本の国は
「オオヤシマ(大八洲)」と呼ばれます。


ハゴクニの神はその中でヒタカミの統治を
任され、社会基盤をさらに安定させて
人々からタカミムスビ(高皇産霊尊)と
称えられ「東(ト)のトコタチ」と
言われるほどに優れていたのです。

この為、「タカミムスビ」の名は
重職名称として代々世襲され、
天神の後見役を担うようになりました。



▼イザナギとは

この初代タカミムスビの御子の一人
アメカガミ(天鏡尊)はツクシ(筑紫九州)
に派遣され開拓と統治を行います。
ツクシは縄文中期に鬼界カルデラの海底噴火
による降灰があり、特に南部はアカホヤと
いう不毛の土地が広がりますが
不屈の精神で事業を推し進め、
住民の生活安定に成果を上げます。


アメカガミには嫡子が無かったので
第四代天神のウビチニは、自らの皇子を
婿養子としてアメカガミの後を継がせます。
これがアメヨロヅ(天万尊)で
ソアサ(四国)に渡って同じく火山灰地の
開拓に大いに尽力します。


アメヨロヅの御子アワナギ(沫蕩尊)は
ネ州(日本海側)に派遣され、
ネ州を整えシラヤマト(白山の麓)から
チタル(出雲地方)まで治めるように
なりますが、このアワナギから生まれた
御子が「ヰミナ(斎名)」タカヒト
「幼名」カミロギ、後のイザナギです。



▼第五代タカミムスビ
     タマキネ(豊受大神)

第六代天神オモタルに嫡子が無く、
今しも天神の血統が絶えようとした非常時に
第四代天神ウビチニの曾孫にあたる
タカヒト(イザナギ)を外戚から
起用したのが、後見役である
第五代タカミムスビの「斎名」タマキネ
「称え名」トヨウケ=トヨケ大神/豊受大神
でした。


イザナギは豊受大神の娘イサコ(イザナミ)
と結婚し、国家再建の重責を担うのです。



**************


越の国から来た継体天皇、
タカミムスビを自称した藤原不比等を
思い出しますなぁ。実に面白い。


四代目からさらにマサカキ植え継ぎが
500回を数えた頃に五代目の話が始まる。

この辺の数え方は想像を絶するが、
こんな記述がある。

大昔には2回だったのが
ひと月に3回の食事をするようになると
人の寿命は百万歳になり、
ひと月に6回食事をを取るようになって
二十万歳の寿命になりました。
今の世は一日一回米飯の食事を取るので
二万歳しか生きられなくなって
しまったのです。

大鏡の大宅世継と夏山繁樹が200歳近く
だったのも、あながち不思議ではない、、
いや不思議だけど。  (>_<)



⑤天神五代目オオトノチと
    オオトマエの夫婦神

四代ウビチニとスピチニの嫡子である
ツノグヰ(角杙尊)は大殿で政を助けていた
のですが、政務を終えて表に出たところ
戸の前で美しく優れたイククイ(活杙尊)
に出会い、一目惚れして妻にしました。

人々はこの夫婦神をオオノトチ(大苫辺尊)
オオトマエ(大戸之前尊)と申し上げ
この時から男神を「殿」女神を「前」と呼ぶ
習わしになりました。


⑥天神六代目オモタル

六代目を継いだオモタル(面足尊)は
妻のカシコネ(惶尊)を連れて
共に全国津々浦々を巡り統治を進めました。


近江のアツミ(滋賀県高島市安曇川町)を
本拠地として
東はハラミ山(富士山)~日高見(東北)
西は月隅(九州南)~アシハラ(近畿)
南は阿波(四国東)~ソサ(紀伊半島)
北はシラヤマト(白山の麓)~
       ホソコソ(近畿の日本海側)や
        チタル(山陰地方)まで
広大な地域を統治下に置いたのですが、
不運にも嫡子ができませんでした。

その上、気候の寒冷化による農作物の減産も
重なって夫婦は焦りを生じ
次第に専制的な傾向を帯びてきたのです。
民衆は不安を募らせ、分別を失って
統治に従わなくなっていきました。



安曇川(あどがわ)町の藤樹書院。
かつて滋賀県高島郡に存在した町で
琵琶湖西岸の安曇川下流に位置する。




▼世継ぎ神の選定

天神が全国を巡幸し国家建設に邁進する間
後見役のタカミムスビが国政の議会を
預かる習わしになっています。

オモタル、カシコネの後見人である
第五代タカミムスビのタマキネ
(トヨケ大神/豊受大神)は、
若いながら英明の誉れ高く
この国家的危機に的確な対処を行ないます。
第二代クニサツチの時代から採られる
合議制に基き、全会一致で一組の夫婦を
「世継ぎ」に選出したのです。

それが第七代イザナギとイザナミです。
お二人は全国的に乱れた人心と食糧事情を
立て直す、という重い使命を担って
登場することになります。





***************


さー、面白くなってきましたねー(☆∀☆)



第四代天神 ウビチニの物語は
三月三日桃の節句の起源でもあり
とても重要なのだ。


時期は未だ縄文時代。
暦は一定年数で枯れるマサカキの
植え継ぎ回数で数え、500回を数えた頃、、
というが枯れるのが万年単位という
壮大な話なので、とにかく縄文時代のこと。



④四代ウビチニと桃の節句

四代天神になる君の位を継いだウビチニは
后のスビチニをウチミヤ(中宮)に入れ
政も共に執るようになりました。
スビチニは女性として初めて政の場に参加し
夫婦で天神の座についたのです。


お二人は幼い頃から越邦のヒナルノ岳
(福井県武生市日野山麓)の神宮で
一緒に育てられました。
将来を誓い合って庭に木を植えると
三年後の三月三日に沢山の花が咲き、
結んだ実も百を数えたので、その木は
「ももの花」と名付けられ、幼い二人も
モモヒナギ、モモヒナミと呼ばれます。


成人されると誓い通りに結婚されました。
三月三日の夜、神酒を醸造して神前に供え
桃の木の下で神酒を酌み交わす儀式です。
器に注いだ神酒には三日月が写り、
さぞ優雅で幻想的な光景だったでしょう。

この時、まず女神が先に飲んで男神に勧め
後に男神が飲む、という形式が出来ました。
「とこ」しえの愛をもって添い遂げることを
誓い、良き子を授かる願いを込めて
「床」入りすることから、
「トコの神酒」と呼ぶようになりました。


三日目の朝、初夜を過ごした二人は
寒川で身を清めますが、二人とも袖が濡れて
笑い合う姿が微笑ましく、
ウビチニ(泥土煮尊)スピチニ(沙土煮尊)
と愛称される似合いの夫婦となったのです。


この時から一般庶民も皆、お二人に見習って
妻を同居させるようになり、
一夫一婦制が確立されました。
お二人が示した理想的な男女関係は、
後にイモヲセノミチ「妹背の道」と呼ばれ
縄文日本の国家原理である
「アメナルミチ(天なる道)」の中心的な
思想となって根付いていったのです。


福井県越前市の日野山は
日野神社(創建年代不明)のご神体。
元は越前の国府が置かれた武生市(たけふ)



▼神酒の醸造

この時、神酒の醸造を開発されたのは
ヰノクチ(滋賀県今津町)におられた
モモヒナミの母スクナミカミです。

雀が稲籾を竹の切り株に運んでいるのを
不思議に思って観察すると、二ヶ月後
切り株に溜まった雨水が発酵して
甘い香りを放っています。
飲んでみると気分も体調も良くなり、
健康増進の効果があることが判りました。
スクナミカミは試行錯誤の末、この水を
作り出す事に成功し、醸造法を普及させ
娘の婚礼儀式の祝いとして献上したので
ササナミの称え名を賜りました。

その水はササケ(酒)と呼ばれ
スクナミカミの住むヰノクチは
ササナミ(酒波)と呼ばれ離宮が建てられ
お亡くなるとササケ山(笹ヶ峰)に
祀られました。


「三三九度」の儀式は
三年後の三月三日に因んでできた形式です。
サカヅキ(盃)は逆さに写った月から
夫である天神ウビチニが名付けました。


余談ですが、後世
ヰノクチに猪口という漢字を当てて
チョコと読ませたものが
縦長の盃の別名となっています。


滋賀県高島市今津町の井口神社



ホツマツタヱを分かりやすく訳した本。
天(あ)の巻
地(わ)の巻
人(や)の巻
の3部構成で今から3000年よりもっと前、
つまり古代縄文時代からの事柄だ。

日本に漢字が入ったのは1世紀頃らしく、
アイウエオを当て嵌め、そこから仮名も
生まれた訳だけど、、
今の考古学では縄文時代から稲作も交易も
してたのが常識なのだから、
当然のことながら人々は日本の言葉で会話し
ヲシテ文字の記録もある!
と、考えても不思議じゃない。てか自然。
神武以前はもちろん「欠史八代」も
バリバリ書かれていて誠に興味深い。


そして中身を読んでみると尚一層面白い。
これホントなら凄い!!  し、もしかすると
トンでもなく大事なので、、少しずつ
読みながら、知識として記録するにした。




Ø  宇宙創成~天御祖神

神が伝えてきた教えによると大昔、
まだ天地も定まらない時、宇宙も無く
アメノミヲヤカミ(天御祖神)だけが存在し
その回りに「ウビ」と呼ばれる混沌が
雲のように漂っていました。


ある日、天御祖神が大きく息を吐くと
「ウビ」が動いて「渦」を巻きはじめます。
(ビッグバン、宇宙の創成ですね。)

渦の中心がアメノミハシラ(天の御柱)と
なり、陽極と陰極に分かれて
分離集合の運動が起こります。
軽い物質は陽極へ、重い物質は陰極に集まり
陽の物質から天空と太陽が生まれ、
陰の物質から地球と月が生まれました。



天上にはタカマノハラ(高天原)と呼ばれる
神の世界が広がり、
その中心に天御祖神が坐します。
記紀には不在の神なのですが、各地に
天祖神社として鎮座することから
往古日本民族はこの天上世界が万物の大元で
ある、との思想を持っていた事が伺えます。


天御祖神は地球を生命の星にする為
天地自然の運行を管理することにより
一年を四季に分け、生命維持の環境を
整えられました。


人間の体は天御祖神の御姿を縮小した模型、
国家とは天井世界を地球に投影したもの、
国政議会は高天原の縮小版であります。
故に国政議会の議場はタカマ(高間殿)、
「君」を始め参議の重臣たちも皆
「神」と呼ばれるのです。



①初代天神クニトコタチ

渦の中から最初に出現した神を
クニトコタチと申し上げます。
日本に国家形態を初めてもたらす
初代となる「天神」(アマガミ)で
国の名をトコヨクニ(常世国)と言います。


②二代目クニサツチ

初代クニトコタチには8人の皇子
ト、ホ、カ、ミ、ヱ、ヒ、タ、メがあり
八方に降ろしてそれぞれのクニ(州)を
治めさせることにしました。
これがクニキミ(州君)の起こりです。

故に常世国は八つの州から成ったのですが
人口が増えるに従い、その中に邦(クニ)が
出来ていきました。
八皇子の中から一人の統治者を選ぶはずが
誰もが遠慮して譲り合ったので
分治の形を採ることになりました。そこで
8人を総称してクニサツチ(国狭槌尊)と
申し上げ、天神二代目に位置づけたのです。



③三代目トヨクンヌ

八皇子神にはそれぞれ5人の皇子があり
皆嫡子に政権を譲りますが、天神一族も
増え、分治形態が困難になってきたので

全体を統率する一人のキミ「君」と
それを補佐する八人のトミ「臣」、
国政に参加しないタミ「民」の3階層に
分けることになりました。

この時「君」に選ばれたのが
「トのクニサツチ」の皇子で
トヨクンヌ(豊斟渟尊)と呼ばれます。

初代クニトコタチの曾孫にあたる御子は
百二十人にもなり、日本国家創建の神々の
一族として、繁栄を遂げました。
トヨクンヌの治世まで、政はもっばら
男性が行うこととされ、天神三代の世は
順調に発展したのです。




*************

大事なことは日本の五十音の重要性。
いろは48文字にはアイウエオの母音があり
全ての子音は母音を伴う。

一つ一つの音には意味があり
一つ一つの音は言霊でもある。

今でも言葉に言霊がある、というのは
日本の五十音一つ一つに言霊が宿っている
と解釈するのが正しいのかも。








知らなかった、ホツマツタヱ。
記紀の元になった本だというのに
公的には偽書扱いされている。

そりゃそうだ。    これが真書なら
古事記・日本書紀は歴史改ざんの書だと
認める事になり、学界は混乱
古事記研究の偉い先生も失業してしまう。


だからと言って、こんなにも緻密かつ
壮大なスケールでアイウエオの言霊や
日本文化の起源を説明する貴重な資料を
ハナから排除して良いわけない!

古事記では断片的でイマイチ意味フだった
内容が、全て明快に書かれているのだから
少なくとも知らねばならない。
研究しなければならない。




問題なのは今の私達の〈常識〉が
全て正史である記紀から来ていることだ。
すなわち

◆元々の日本には何も無く、優れた文化は皆
    外国から入ってきた、という〈常識〉

◆縄文時代は貧しくみすぼらしい
    遅れた古代文化である。という〈常識〉

◆漢字以前に文字は無い、という〈常識〉。

◆記紀が正史である!という〈常識〉


この〈常識〉を使うとホツマは当然偽書
という結論しか出てこない。
しかし記紀は、日本が極端に中国化された
特殊な時代に編纂されたものである、、と
いうことを決して忘れてはならないのだ。


ヲシテ文字で書かれたホツマツタヱの写本




例えば菊は中国から来た、とされてるのは
「菊」の初出が古今和歌集という理由だが
ホツマのヲシテ文字では菊をココと書き、
日月の霊気からなる植物なので食べれば
アメノミヤの両眼である日月に反応して
人の目が明らかになり、神々と相通じる。
「天の道」を実践する人は、神と通じる道を
求める故に菊を愛でるのである。
・・と、書いてある。 、、 これって
皇室ゆかりの伝統「新宿御苑の菊花壇展」や
今に伝わる食用菊のルーツじゃないの?


他にも赤ちゃんを「やや」という理由、
同胞を「はらから」と読む理由、
たらちねの〜、あしびきの〜、という
枕詞の語源や古墳の意味も明解に書かれて
いるのです。そう、明解そのもの。
作者の鳥居さんは「奈良時代を研究しても
古代日本は分からない」と喝破する。


日本列島は人体に対応する。
多賀城、近江が聖地であることに注目。
「へその緒」は最重要アイテム。地面に埋め
多くの人に踏まれると丈夫な子が育つ。
昔の産院はへその緒を桐箱に入れてくれたが
その名残りかも。私も持ってるし。






ホツマでアマテラスは男神なんだ。
これは持統天皇→文武を正当化する為に
藤原不比等がアマテラス→ニニギを
祖母から孫への皇位継承物語に改ざんした
のでは?と言われる説を裏付ける。
文武の妻は不比等の娘、生まれた聖武の妻も
不比等の娘。日本に無かった律令制ができ
丸ごと長安を模した平城京。。
この時期の日本は本当に日本と言えるのか?






何よりホツマには記紀には一切見えない
宇宙創成の物語が書いてある!
どこの国でも宇宙創成神話を持ってるのに
日本は国産みからって不思議だったんだ。

しかも
柱を立てて螺旋運動から雌雄が分離、、て
遺伝子の二重らせんや物理法則ではないか。
自然に生かされた古代人は、万物の理法を
肌で理解していたのか。


高天原は腹である!
古墳も妊娠中のお腹である!
母の腹に戻り再生を願うのであーる!





ホツマツタヱを漢字にすると秀真(ほつま)
まことの、まことの、言い伝え。の意味。
古代文字「ヲシテ文字」で書かれている。


宇宙創成から景行天皇までの物語で
天の巻、地の巻、人の巻の三部構成。
全編五七調の長歌体で、40章一万字に及ぶ
壮大な叙事詩である。
著者は三輪氏の先祖で第六代大物主の
クシミカタマと(天・地  BC668神武天皇)
その後裔で景行天皇の重臣である
オオタタネコ(人の巻、AD126景行56年)
むむむ!
古事記や古代史を勉強すると必ず出てくる
あの、謎の、オオタタネコがここに居た!
もう全てが明解!


アイウエオを基本型に、割と単純明快な
構成で五十音はできているが、
一つ一つの音の中にも意味がある。
密教の種子みたいだな。
子音が必ず母音を伴うのは日本語の特徴。





歴史の奥底に沈んでいたホツマツタヱが
再び日の目を見たきっかけは昭和41年。
「現代用語の基礎知識」の初代編集長で
古書収集が趣味の松本善之助氏が偶然
神田の古本屋でその一部を入手したのだ。


直ちに捜索を開始、宇和島の旧小笠原家や
国立公文書館の内閣文庫で
全巻揃いの写本を発見し、平成4年には
滋賀県日吉神社で全巻の親写本に辿り着く。
これはなんと、道鏡の時代に正本の改竄を
命じられ抗議の自刃を遂げた遺族の子孫が
名を変えて近江に隠れ住み
秘本として護持してきた、というのだから
色々と辻褄が合ってしまうではないか!

松本善之助(よしのすけ)さんは
ドラッカーの「現代の経営」を世に出した
編集者でもある。





ホツマを偽書とする理由の一つは
全ては日本から世界に広がった!   という
世界観が荒唐無稽に思えるからだろう。


これまで御柱祭、モリヤの丘、ユダヤ人埴輪
など、日本と世界の共通項に悩んできたが
なんでもかんでも外国から来た、と思うのは
確かに日本人の悪いクセだ。
向こうから来る可能性があるなら
こっちから行く可能性も同等にあるはずで
我々はもう発想を転換しないと
シャインマスカットもドラえもんも韓国起源
ニダ!て言われるまま事実にされちゃうゼ。



歴史を捏造するのは割と簡単で
新説を広め活字にし、教科書に載せ
子供を教育してしまえば完成する。
我々は日本を侵略国家とする戦後平和教育が
GHQの捏造だと、今気付いたではないか。


本当の日本は、まず古代史から
取り戻さないといけないのかもしれない。



これ、上からアイウエオ。