脳の事を考える。
人間の脳と動物の脳はどう違うのか?
どうしてヒトは言葉を話せるのか?
脳死は人の死であろうか?
ところが何を考えようが
「こうだ」と結論するのも
「こうかな?」と考えるのも、「脳」なのだ。
困っちゃうよね。
「脳は脳の事を知っている。
しかし脳の事しか知らない。」
って、禅問答でしゅか。 σ(^_^;)?
私の脳が「ちんぶんかんぷん」と言っている。
養老孟司先生は「解剖学者」なんだ。
だから、脳に電極つけて実験したり、
行動パターンをデータにして分析する
「脳科学者」とは、ひと味違うようで、、
死体から脳を取り出す「脳出し」に始まり
ガチで中を覗いて見るせいか、仰ることが
何事もスッパスパと、切れ味が良い!
脳という物質から何故心が生まれるのか?
という、漠然としたモヤモヤ疑問にも
「心(意識)とは脳の機能である」 と、明解!
心臓の欠かせない機能は「循環」でしょう。
しかし解剖しても「循環」は取り出せません。
同じように脳の機能である「心」も
物質として示すことはできないのです。
面白いのは学生に
“肛門を切り取り、重さを量れ” と指示し
周辺の皮膚を切り取って来たら、❌。
肛門は出口の「穴」なので、重さゼロなのだ。
なるほどね。漠然と考えて悩むより
切って開けば、見えないモノが見えて来る。
ヒト、つまりホモ・サピエンスの脳は、
この数万年、変化してないんだって。
進化しているのは「脳の機能」。
「意識とは言語である」って位、言語の発生は
革命的な進化で、これは自然界では異質な
光と音を、脳が視覚(光)と聴覚(音)として
連合できるから、、らしい。よ。(^^;
音は波動だから常に「時間の中」にある。
しかし視覚は「一瞬の像」を捉えるもの、
この異なる機能を脳が無理に繋くので
人間は言語を使える。 ・・解る気が・・する!!?
というように解剖学は深遠な哲学や、
物理学とも繋がってくる。
養老先生はファインマンの実験を
面白がって度々引用するんだが、、どっちも
天才の考える事は変わっとるなぁ。。(*_*)
ともあれ我々の考え・意識というものは
良くも悪くも「生まれた国の言語」によって
構成され、縛られているとも言える。
ちなみに脳に最後に生じるのが「計算能力」で
だから人工知能は、人間の脳にとって代わる
ことができないらしい。。つまり、、
計算機は「脳の最新先端能力だけ」を
取り出したものなので、それを先に進めても
猿の脳や、原始ヒトの脳を包含していない。
計算機から脳を作るのは「方向が逆」なのだ。
←←← と。 なるほど!これはワカルぞ。
だから、優れた脳を作るなら
人間の脳に計算機を接続するか
(なるほど人間はバソコンを使っている)
もしくは人間の脳を大きくするしかない!
ってコレ、ホーキングが言ってたなぁ。
人間の脳は産道の大きさで制限されてるけど
将来人工的にカプセルで育てれば
でかい脳の人間が、、って。。おわー。
養老先生に言わせれば、
我々の祖先は「自然の中」に住んでいたけど
現代人はいわば「脳の中」に住んでいる。
現代のあらゆる人工物は「脳の産物」であり
都会では植物だって人為的に
「脳によって」配置される。 って、むむ。
妙なコト考えるなぁ。確かにそうだけど。
人が酒を飲んだ時の肝臓に脳は関知しないが
酒を飲むに至る理由は、脳の機能による。
宇宙で起こる出来事も
天文学者の脳がこれを観測しなければ
ヒトにとって存在しないことになる。
出た! 「観測者」 それが脳か。
脳のやり方かーっっ!! と
解ったり、わからなかったりしながら
結局よくわからないので、叫んで終わる。
文字がなかった時代、人々は本当に
星を「読んだ」のかもしれない。。よ。