●ガンジー自伝 @ガンジー 訳/蠟山芳郎 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

明日死ぬかのように生きよ
永遠に生きるかのように学べ


この言葉はとても分かりやすくて、
味わい深くて、大好きで、、
私の座右の銘になっている。
でも実はガンジーのこと何も知らなくて。


「偉い人」だとは知ってたけど、、
近代人なのに、戦後まで生きていたのに、
釈迦の生涯か?と思うくらい
純粋で古典的な求道者だった。




ガンジーは祖父も父も、インドの当時の
ボルパンダル国(今は県)の首相、
という恵まれた家庭に育ち、
イギリス留学した「弁護士さん」なのだなぁ。


だけど、演説が苦手で
法廷でも上手く喋れず惨めな思いをした・・
などなど、この本では自分の失敗や欠点を
ことさらに、包み隠さず、さらけ出す。


これはサッティーヤグラハ学【真実の力】
・・・自分に苦悩を与えることによって
真実を証明する、ということを
自分自身の一生で科学的に実験しよう・・・
ということでもあるらしい。

ガンジーは13才で結婚した。



ガンジーを教科書的に説明すれば
弁護士で菜食主義者で、
インドの独立の為、暴力を受け投獄されても
誇りと自己犠牲を失わず民衆を指導した人
、、みたいになるんだろうけど、、


その行動にヒンドゥーの思想が入るので
単純に民衆の味方、弱者の味方の勧善懲悪
ってのと、ちょっと違うみたいだし、、

考えが独特すぎて、高邁すぎて、
正直、まとめを書けないでいる。
何がどう偉いのか、凄いのか、
どこで判断して良いのかてんで解らない。

若い頃は南アフリカのインド民の為に
弁護士、法律家として活躍した。
ヨハネスブルグの事務所にて。1906年




例えば、めちゃめちゃ誇り高い。
自分の意思は曲げないし、
他人が自分を応分に尊重しなければ
敢然と、その非を責める。
平和主義だけど、絶対卑屈に妥協しない。






だから彼の進めたサッティーヤグラハ運動は
「非暴力・不服従」と訳されるけど、
平和的に見えて戦闘的だし、
反抗的に見えて、単に反抗じゃない。


「義務を果たさぬ者は反抗する権利がない!」
という精神だから、イギリス政権下では
進んで英軍に入り戦争参加したりする。
といっても非殺生がモットーなので
ガンジー自ら前線で救護活動に当たるのだ。

1914年のガンジー




そして、戦闘行為はしてなくても
戦争参加したのだから、自分にも
戦争責任はあるのだ、と言い切る。


「ヒマラヤの誤算」という反省があって
民衆にストライキを指導したら
暴動になってしまった。
市民的不服従をやる精神的な資格を
持たない者にストライキを呼び掛けたのは
ヒマラヤの大きさの自分の過ちだ、と。





ああ、「正しい精神、正しい行動」とは
こういう事なのか。。


日本で、自衛隊は後方支援だけ、とか
どことどこが戦闘地域か、とか
反対だから審議拒否、とか、
ご迷惑かけたのなら前言撤回します、とか
日常聞き慣れている身としては、
グサグサ衝撃受けちゃうわけで。

手紡ぎ車(チャルカ)で糸を紡ぐガンジー。
手織布運動はインドの婦人に職をもたらした。




そして自己抑制=ブラフマチャリアの「実験」
ガンジーはすぐ断食しちゃうんだ。。


精神と肉体は密接な関係がある。
肉体の中の精神は美食や贅沢を追い求め
感覚を支配し、その奴隷となってしまう。
それを防ぐには、制限や断食が必要になる。
ただ、精神の断食を伴わぬ断食は
偽善と不幸に終わる。    


むむむ。なんとなくおやつを控える
気持ちにさせられる今日この頃。
って、そーゆーことじゃないんだよなぁ。

自分が死にそうな時も、妻が死にそうに衰弱
した時も、牛のスープを断固拒否。
医者も匙を投げたけど、共にマジで治った。





今までの偉人は、○○で偉いなぁ!
△△ですげーな!  と単純に感心できたん
だが、今度ばかりは読後二日も混乱して
記事にまとめることもできなかった。
とりあえずガンジーは別枠、ってことで。
深くて測り知れない存在でした。


ガンジーは拳銃で撃たれ暗殺されてしまう。
「アイ・ラマ・ラマ」と敬してやまない神の
名を呼んだ。1948年。


祈るガンジー  1946年      真実こそが神。