●碧い眼の太郎冠者 @ドナルド・キーン | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

先月、2月24日にドナルド・キーンさん、、
正しくは日本人の「キーンドナルド」さんが
亡くなった。96才大往生。


アメリカで産まれ、アメリカで育ち、
日本文学を愛してくれたキーンさんは、
平成23年の3・11、福島原発事故で多くの
外国人が続々と自国へ帰ってしまう中、
敢えて日本への帰化と永住を発表した。


当時は驚いたよね。でもとっても有り難く
胸アツなニュースだった。





日本に帰化して正式に「キーンドナルド」と
改名し、同時に笑える雅号も持っている。
「鬼怒鳴門」。 地名の鬼怒・鳴門の組合せ!
仲良しの三島由紀夫が文通の際、命名した
「怒鳴門鬼韻」からだそう。座蒲団3枚!


この本の序文は谷崎潤一郎が書いてるし
他にも親友・永井道雄を始め、交遊関係は、
安部公房、川端康成、吉田健一、丸谷才一、
司馬遼太郎、、普通に文豪クラスだねー





この本は昭和32年、私が産まれる前のもの。
キーンさんは日本に住み始めたばかりなのに
驚くほど日本語と文学に詳しい、てか、
この本自体フツーに日本語で書いている。
これ凄いことだよ~!


まだ外人は珍しがられ、「毛唐」なんて時代。
何処へ行っても、外人さんは・・外人さんは・・
で、「外人さんに俳句が解るでしょうか・・」   


若いキーンさんは断然、ムカっ腹で
「日本人こそ俳句解ってんのか?!アーン!!!」
とでも言いたげな様子は、まさに怒鳴門。
この本、怒ってばっかで面白いんだよ(^^)

本の著書紹介。こんな若い~




てことで、若かりしキーンさんは意外にも
日本に不平たらたら、終始からかうように
皮肉を放ち、毒を吐き続けるのだ。


幕末に、候文までこなし志士達と意気投合、
縦横無尽に活躍したアーネストサトウを
思い出すねぇ。。血気盛んな若き外人さんは
日本人より日本に詳しいぜ!  てやんでぃ。  
このスットコドッコイが!     みたいな。

アーネスト・サトウ



「枕草子は、日本の唯一の最上の笑いの文学
である」っていうのもなかなかシビアだね。


「最上の笑いの文学」には「男性と女性の対等」
が必要で、清少納言以後、一千年の間
これほどの機知の持主は未だ無い。
日本ではあらゆる芸の中で、「会話」が一番
遅れている。日本文学は「孤独」である。


ふむ。日本の歴史を全て知ってる外人の目。
これが「新たな気づき」を生むのだろう。





ところで、キーンさんの目は
ちっとも碧くはないそうだ。


タイトルの「碧い目の太郎冠者」は
京都で実際に能を演じてみせたキーンさんに
新聞記者がつけたアダ名だけど、
「私の目は青くない!」  と抗議しながらも
“まぁいいや、素知らぬ顔で踊ってやるわい”
と開き直り、戯けるキーンさんの心意気が
見える気がするね。(#^.^#)

ネット画像。これキーンさん?!




青といえば、この本の中で、キーンさんは
昭和30年代の四国を訪れていて、
徳島の町並みがあまりに特長無く、活気に
欠ける事に、さんざん皮肉を並べた挙句、
お前ら藍染の素晴しさに気づけよ、とばかり
「徳島よ、日本最初の藍色の町になれ!」
と、叫んでいるのだ。


それが昨年、、「徳島の色を藍色にする」と
決まり、藍色を基調にした街作りや
阿波藍を使った工芸品を世界にアピールする
一大戦略が始まったらしい。

かなり遅かったけどね。。この本から60年
ようやく思いが伝わった。
キーンさんは死の直前。喜んでくれたかな?
おせーよ、って怒鳴門かな~    (`ロ´;)

そろりそろり。ぷんぷんぷん。