●一外交官の見た明治維新(上・下) @アーネスト・サトウ 坂田精一 訳 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

幕末本を読んでいると、どの本にも必ず、
必ず、必ず出てくるアーネスト・サトウ。
ほぼ百発百中だ。


イギリス人通訳、外交官として活躍し、
滞日期間は3回にわたり、延べ25年間。
この本では第一期の6年半が綴られる。


サトウさんだから日系人かと思いきや
そうではなく、オバマさんが小浜さんと
関係ないように、Mr.Satow なだけ。へー


でも薩道(佐藤)愛之助という日本名も
使った。親薩摩派、丸出しだね。(^_^;)






初来日1週間で生麦事件!
このときはまだ、日本語勉強中だったが、
そのうち候文までばっちりマスター!


薩英戦争にも行ったし、長州の
四国連合艦隊 下関戦争にも行った。


講和に訪れた高杉晋作を
「魔王のように傲然としていた」と評し、


同時に  「我々は長州人が好きになった。
大君(幕府)の家臣は弱い上に、行為に表裏があるので、嫌悪の情が起き始めた。」


なんて、正直でオモシロイね。(´-ω-`)


そう、当時サトウくんはまだ20台前半。

日本語が自由になるや、外国人とみて
川を渡してくれない人足をとっちめたり、
護衛なしで探検したりする、
わりと無鉄砲で、血気盛んな若者なのだ。


そんな率直さと日本語達者がウケたのか、
西郷、大久保、木戸、伊藤、井上、後藤、
龍馬、勝、小松、、イヤ要人ほぼ全部、
各藩主クラスまで、仲良くなった。


「敬和」と書いたサトウくん直筆。ビューティホー




最初は外国人お断りだった花街でも
芸者をあげてどんちゃん騒ぎ!


、、と見せかけて国情を語り、
相談を受け、政治指南もする。


ジャパンタイムズに匿名掲載した
「英国策論」  は日本の藩主や、
西郷も参考にしていて、

公使パークスの通訳、というより
イギリスの知恵袋  的存在となったんだ。


片や幕府側に肩入れし、徹底抗戦を
薦めたフランスを断然非難。
「仏公使ロッシュは 諸公使の鼻つまみ者」


その他、「西郷だけは人物の点で一枚、
後藤象二郎に優っていた」


「日本の諸候はバカだが、そうなるように
教育されているから仕方ない」


「ハラキリはきわめて上品な礼儀正しい
儀式で厳粛なものだった」


忌憚のないご意見の数々!興味深い。






生麦事件から戊辰戦争終結まで、
動乱フルコースを、常に最前線にいて
横から眺める、稀有なオタク外国人。


司馬さんが、「現場運がある」 という
だけあって、鳥羽伏見にも、江戸開城も、
後に西南戦争にも遭遇したのは驚き。


日本食も大好きになり、巻末には
「きわめて幸福な6年半」 と振り返る。

婚姻はしなかったけど、後には日本女性
武田兼さんとの間に3児も遺した。



そして遺したものがもうひとつ。
有名な千鳥ヶ淵の桜並木!




英国公使として再来日していたサトウが
明治31年(1898)、大使館前に植樹し
東京府に寄付したのが始まりだ。


当時は花見をしながら富士山や、
海の眺めが一望できたそうだ。





サトウさんの功績はあまり目には見えないけれど、今後は、この桜が満開になる度
彼の武勇伝を思いだそう。デンデデン。