必ず、必ず出てくるアーネスト・サトウ。
ほぼ百発百中だ。
イギリス人通訳、外交官として活躍し、
滞日期間は3回にわたり、延べ25年間。
この本では第一期の6年半が綴られる。
サトウさんだから日系人かと思いきや
そうではなく、オバマさんが小浜さんと
関係ないように、Mr.Satow なだけ。へー
でも薩道(佐藤)愛之助という日本名も
使った。親薩摩派、丸出しだね。(^_^;)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150810/00/yume-nomata-yume/58/cc/j/o0720096013391224224.jpg?caw=800)
初来日1週間で生麦事件!
このときはまだ、日本語勉強中だったが、
そのうち候文までばっちりマスター!
薩英戦争にも行ったし、長州の
四国連合艦隊 下関戦争にも行った。
講和に訪れた高杉晋作を
「魔王のように傲然としていた」と評し、
同時に 「我々は長州人が好きになった。
大君(幕府)の家臣は弱い上に、行為に表裏があるので、嫌悪の情が起き始めた。」
なんて、正直でオモシロイね。(´-ω-`)
そう、当時サトウくんはまだ20台前半。
日本語が自由になるや、外国人とみて
川を渡してくれない人足をとっちめたり、
護衛なしで探検したりする、
わりと無鉄砲で、血気盛んな若者なのだ。
そんな率直さと日本語達者がウケたのか、
西郷、大久保、木戸、伊藤、井上、後藤、
龍馬、勝、小松、、イヤ要人ほぼ全部、
各藩主クラスまで、仲良くなった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150810/00/yume-nomata-yume/e9/f5/j/o0250008413391224231.jpg?caw=800)
「敬和」と書いたサトウくん直筆。ビューティホー
最初は外国人お断りだった花街でも
芸者をあげてどんちゃん騒ぎ!
、、と見せかけて国情を語り、
相談を受け、政治指南もする。
ジャパンタイムズに匿名掲載した
「英国策論」 は日本の藩主や、
西郷も参考にしていて、
公使パークスの通訳、というより
イギリスの知恵袋 的存在となったんだ。
片や幕府側に肩入れし、徹底抗戦を
薦めたフランスを断然非難。
「仏公使ロッシュは 諸公使の鼻つまみ者」
その他、「西郷だけは人物の点で一枚、
後藤象二郎に優っていた」
「日本の諸候はバカだが、そうなるように
教育されているから仕方ない」
「ハラキリはきわめて上品な礼儀正しい
儀式で厳粛なものだった」
忌憚のないご意見の数々!興味深い。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20170102/09/yume-nomata-yume/fd/07/j/o0200026813835932131.jpg?caw=800)
生麦事件から戊辰戦争終結まで、
動乱フルコースを、常に最前線にいて
横から眺める、稀有なオタク外国人。
司馬さんが、「現場運がある」 という
だけあって、鳥羽伏見にも、江戸開城も、
後に西南戦争にも遭遇したのは驚き。
日本食も大好きになり、巻末には
「きわめて幸福な6年半」 と振り返る。
婚姻はしなかったけど、後には日本女性
武田兼さんとの間に3児も遺した。
そして遺したものがもうひとつ。
有名な千鳥ヶ淵の桜並木!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150810/00/yume-nomata-yume/a7/2c/j/o0500038813391224265.jpg?caw=800)
英国公使として再来日していたサトウが
明治31年(1898)、大使館前に植樹し
東京府に寄付したのが始まりだ。
当時は花見をしながら富士山や、
海の眺めが一望できたそうだ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150810/00/yume-nomata-yume/f4/dd/j/o0320024013391224275.jpg?caw=800)
サトウさんの功績はあまり目には見えないけれど、今後は、この桜が満開になる度
彼の武勇伝を思いだそう。デンデデン。