●幕末 @司馬遼太郎 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

幕末に起きた幾つかの暗殺事件たち。
池田屋・寺田屋といった
派手な事件でなく、歴史のヒダに埋もれそうな暗殺者にスポットをあてる。




「暗殺が史上前進的な結局を生んだことは
絶無」と断言する、暗殺嫌いの司馬さん
だが、唯一例外としてイの一番に
「桜田門外の変」を取り上げる。



桜田門外から幕府の崩壊が始まった。



三百年幕軍の精鋭であった彦根藩が
十数人の浪士に惨敗。ここから倒幕志士が
躍動し、維新を生んだ。



井伊直弼は斬られることで、最も重大な
歴史的役割を果たしたし、その他の死者も
決して犬死ではなかったと。








桜田門を最初、とすると、
これに呼応する「最後の攘夷志士」が
印象的だったなあ。知らなかったし。




慶応4年2月28日、明治天皇に謁見する
イギリス公使パークス暗殺のため、

三枝蓊(元天誅組・市川精一郎)、朱雀操の
二人が英国騎兵70人の行列に斬り込み、

「官軍」の後藤象二郎に「成敗」された。




鳥羽伏見で戦った攘夷志士や朝廷公卿は
「官軍」によっていよいよ外夷撃攘が
行われる!と信じていたのに。。



将軍慶喜が大阪城から江戸へ脱出した
翌日に、御所に「外国事務総裁」という
“奇怪”な官職ができ、外国と交際する
旨の朝廷布告書が出される。



この奇術といっていいほどの芝居には
公卿さえも驚いたという。



「薩長と岩倉にしてやられた...」



薩摩と長州が攘夷を捨てたのは、あくまで
“秘密”だった。倒幕のために利用され
裏切られたことを知った攘夷志士たち。



草莽より立ち上がり非業に死んだ
先人たちの志を、、、最後に示す!
時代遅れと知りつつ、志操に殉じる
覚悟をしたんだ。


四條縄手通りでパークスを襲撃する
三枝蓊(さえぐさしげる)と朱雀。
フランスのル・モンド・イリュストレ紙に
掲載された。






昭和8年に宮内庁が編纂した
「殉難録稿」なるものには、2480名の
幕末志士が収録され、贈位も行われ、
全て靖国神社に合祀されているんだって。



なのに、三枝、朱雀二人だけは
そこに含まれていないそうだ。
せつないなあ。。



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個人的には坂本龍馬の仇討ちのため、
果敢にも新選組を襲撃した陸奥宗光、
かっこよかったねー(^з^)-☆
「花屋町の襲撃」      (天満屋事件)




長州話は何かと楽しい♪
「逃げの小五郎」


いつも可笑しな伊藤・井上コンビ
「死んでも死なぬ」オモシロイねー


井上馨は死んだ方がよかったかも(--;)
とツレナい司馬さん。



その後の黒い活躍ぶりは
「海音寺潮五郎氏の悪人列伝4」を
ご覧あれ、、とは冷たいぜよ。   (^_^;)