●ゾルゲ事件上申書 @尾崎秀実 | ★50歳からの勉強道~読書録★

★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

ゾルゲ事件で逮捕された、共産党員のスパイ
尾崎秀実が獄中で書いた、上申書?
本人の?
こんな本あるの!?   って
BOOK・OFFの露店100円ワゴンにさー

見つけて驚いちゃった。
これだから古本屋と古着屋、やめられん。


でもね、読んだらもっと驚いた!
命懸けで国を転覆させようとした
共産主義者の過激な革命論、、かと思いきや
おっそろしく正しい、日本文化論。





尾崎の父は台湾日々新聞の記者。
平田篤胤の神道を信奉し、依田学海に学んだ
漢学の徒で、尾崎も中学校まで台湾に住む。


一高でドイツ語を学び、帝大法科卒、
関東大震災の朝鮮人騒ぎに衝撃を受け
民族問題、社会問題、支那問題へ傾倒し、、
中国問題研究の第一人者となったんだなぁ。

尾崎秀実(ほつみ)




スパイ活動は、昭和5年(1930)の
大阪朝日新聞・上海特派員時代から。
ロシアの共産スパイにして上海首領である
ゾルゲに情報を渡していたという。

昭和7年、大阪本社に転勤

昭和8年から、ゾルゲはドイツ人のナチス党員に化けて来日、日本のドイツ大使館に勤務
→邦人共産主義者12名を含む諜報団を組織

岡田准一クン司会のザ・プロファイラーより


昭和13年、尾崎は朝日新聞を辞め、
第一次近衛内閣の嘱託となり、こちらも
国家の中枢に関与するようになる。

昭和16年10月、発覚逮捕。

国際共産党諜報団員18名と、機密漏洩の罪
に問われた18名、計36名の警察界未曾有の
不祥事件、、これがゾルゲ事件。


ゾルゲが作った、互いに顔も知らない諜報団
中央の日本人は画家の宮城与徳





この本に見えるのは、開戦直前の逮捕から
まる3年間、獄中で戦争を見守る尾崎の姿。


家族に宛てた短い書簡多数と
公判中、裁判所宛てに自分の現在の心境を
綴った、上申書(一)  1943(S.18)6.8

同年9月29日死刑判決を受け、、

上告中、さらに自分の考えや国体感を熱心に
綴る、かなりの分量の上申書(二) 1944.2.29


しかし、1944年4月5日上告は棄却され
11月7日ゾルゲと供に死刑執行された。

リヒャルト・ゾルゲはソ連のスパイだが、
ナチス党員のドイツ人に化け日本潜入した。
父はドイツ人、母はロシア人
ロシア帝国下のアゼルバイジャン生まれ。





内容は一言で言って、とても素晴らしい。

世界革命、世界統一を夢見た自分が
死を目前に、考えるのは家族や故郷でした。
人は皆、自分の国土に足をつけ、思考し
国を離れては生きられないのです・・・


という事に気づいた尾崎が、熱く語るのは
日本の国体賛美、天皇の尊厳、悠久の祖先、
世界に類が無い日本固有の歴史の素晴しさ・・
山本七平か、樋口清之か、梅原猛か、て位
素敵な日本の歴史観。ポカンですよ。






これをアカからの「転向」と見るか
生き延びるため改心したフリをしたのか、、
議論はあるようで
私に真偽が解る訳もないけれど、、


きっと、こういう知見は元から持っていて、
日本固有の良さも知っていて、、
その上でなお!・・世界に平和をもたらすのは
個々の国家主義でなく、世界主義である!
共産主義による世界統一こそ理想なのだ!
と信念していた、、のかもしれないなぁ。

当時日本では、外国のスパイに気を付けろ!
というキャンペーンが張られていた。
ニュース映像「防諜週間」のヒトコマ。




尾崎が学者として、文化人として、
言論人として、非常に優秀であり、
お詫び、感謝、、人間的に豊かな情愛を
きちんと持った人間であるのも解る。けど、


ここには自分が「やったこと」は何一つ
書かれてない。家族や仲間を語りながらも
仲間のスメドレーと情交関係にあった事や
実兄の妻を不倫で奪った事とか、、
自分の恥部には一切触れず、綺麗事ばかり


・・・てのが、どうもなぁ。。
と言うわけで、お説は素晴らしいけれど
国を傾けた憎むべきスパイ、、という
事実が豪も揺らぐものでなく、
やはり許されぬ存在にしか思えなかった。