●この命、義に捧ぐ~台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡 @門田隆将 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

「終戦で日本は無条件降伏をしました。」
って言われ方で浸透しているけど、
本当は「軍隊の無条件降伏」。微妙に違う。

「各地の軍隊は戦闘を止め、連合国側に武器
を引き渡せ」という、日本の天皇からの
「武装解除命令」を指す。コレ大事ポイント。


この命令に素直に従い、武装解除した結果
満州では無法なソ連軍が、居留民を蹂躙し
60万人シベリア抑留、残留孤児、、幾多の
悲劇を生んだ。    精強を誇ったはずの
関東軍は、住民より先に逃げ出したんだ。


反対に、国の命令に逆らってでも
現地の居留民の安全を確保する!
将来の日本復興も考える!と行動したのが、
山西省の独立軍。●祖国復興に戦った男たち


感動したよね~。しかし、もう一人!
目前のソ連軍の危険をちゃんと認識していて
独断で武装解除を拒否!   居留民と軍隊の
無事帰還を成功させた、根本博中将がいる。




そもそもですね、8月9日の長崎原爆同日、
ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して
中国内に侵攻する。ハイエナの如く日本軍の
領土や武器、工場設備を奪う為の参戦。


不法なソ連軍に、絶対武装解除しない!と
決めた、駐蒙軍司令官・根本中将は
玉音放送に続き、「軍が住民の安全を守る、
安心してくれ」、と自ら放送し皆を鎮めると
「自分が責任を取る!」 戦闘継続を厳命した。


この、戦後に行われた「丸一陣地」の戦いは
81名の死者を出す白兵戦だったけど、
そのお陰で、35万将兵と4万の在留邦人は
無事、日本に帰国することができたのだ。

一年後、根本中将も最後の船で帰還する。
持ち物は毛布一枚、水筒一個。だけだった。




ところがそれで話は終わらない!
根本さんは、この邦人引き揚げに際し
国民党政府の蒋介石に大変世話になった、
という恩義を深く感じていて、
3年後、中国共産党に負けて台湾まで敗走してきた国民党軍を助けに行くのだ!


大東亜戦争中は、中国共産党と国民党は
共同で抗日戦争に当たるんだけど(国共合作)
日本の敗戦後は内戦が復活し
毛沢東の人民解放軍が、蒋介石の国民党軍を
圧倒、、もうほぼ態勢は決している。


そこに根本さんが軍事顧問として
最後の砦、台湾に乗り込むわけですよ。
かくして金門の戦いに勝利し、台湾も死守!
こーんな位置にある金門島が、今でも
中国領でないのは何故でしょう!?
名軍師根本中将のお陰なんですよ!皆さん!

金門島は台湾。つまり中華民国なんdeath!!
国共内戦は、ここ金門島で決着。最後だけ
誰も予想し得ない、国民党の大勝利だった。





軍略のスペシャリストである根本さんは
▼厦門(アモイ)の戦略的放棄!
▼毛利の厳島合戦の如く、上陸させて殲滅!
▼敵を誘き出し住民を巻き込まない!
など、客観的で冷静な作戦を提供したんだ。



激戦地、古寧頭村の民は九死に一生を得た。
蒋介石はとても感謝し、貴重な一対の花瓶の
片割れを根本さんに進呈している。
友情の証しだなぁ。いや愛、かな~

台北にある蒋介石の中正記念館には、
その花瓶がひとつ、保存されている。





しかし!これほどの偉大な功績がなんと、
全て隠密行動なんですねー。てか
根本の存在自体、極秘中の極秘!・・なのだ。


当時日本はGHQの占領下なので、
台湾に渡るのも、命からがらのリアル密航、
活動は全て、中国名「林保源」の「国府軍人」。


終戦まで蒋介石と日本は敵同士なので
体面上から、日本の手を借りた痕跡は消され
日本では怪しげな噂が飛び交って
何故かバッシング報道もされたという。


根本さんの後に「白団」なる富田直亮(白鴻亮)
以下、旧日本人将校20名の軍事顧問団も
参加してる。そんな事実も長く無視され、
ただ現地に「ある日本人のお陰で生きられた」
という「伝説」だけが残ったんだ。
昭和24年5月、家族に詳細を告げず、釣竿を
持って家を出る。。その格好のまま3年後
昭和27年6月飄然と帰国。太公望みたいね。




ただ嬉しい事に2009年10月、取材の著者も
参加した、古寧頭戦役60周年記念式典で
馬英九総統は、公に感謝を表明してくれた!

中央馬英九総統は、日本人功労者の家族を
最前列に呼び、握手。感謝の言葉をかけた。




日本と台湾はつくづく特別な関係だ。
江戸時代には日本生まれの鄭成功が
同じ厦門や金門で戦い、これが国性爺合戦。


そして近代。台湾を共産党から守れ!と
根本中将の密航を助けたのは、なんとあの!
台湾総督・明石元二郎の息子、元長さん。


明石元二郎は遺言で台湾に埋葬されている。
私の大好きな児玉源太郎も台湾総督だ。
日本人は昔から台湾を愛していたし、
日本の台湾統治はとっても感謝されてるの。

昭和35年頃、台湾に招かれ蒋介石と再会




さらに現在。。。

台湾は2011年3・11、いち早く救助隊を送り
馬総統はテレビ出演し義援金を呼び掛ける。

その後行われたWBCでは、両国が相対し、
東京ドームが「感謝TAIWAN」のエールに沸く。

震災二周年には献花を受け、安倍内閣は
台湾を「国」として処遇、名前を読み上げる。
(中国はこれに反発し、追悼式典を欠席)

さらに翌月の2013年4月、
中国の不快感をよそに、17年間持ち越して
いた、日台漁業協定が結ばれた。

門田隆将さん(左)のお話しは
虎ノ門ニュースでも、とても勉強になった。





何やらあちこち不穏な昨今、
日本と台湾が手を携えるのが、理想的。
つまり、台湾の共産化をギリギリで救った
根本博中将は、トンでもない英雄なのだ。
ダー!


昨日沢山雨が降ったら、今朝の富士山さん、
また真っ白ケにお化粧しました~♪