●白洲次郎~占領を背負った男(上・下) @北康利 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

白洲次郎は確かに占領下の日本を背負い、
英国式じぇんとるまんの気概をもって
GHQのアメ公を馬鹿にする、という胸のすく
芸当をやってのけたヒーローだけど、
それだけじゃない。



戦後日本の経済復興の礎を築くべく
商工省、貿易庁、資源庁の枠組を跡形もなく
粉砕し、通商産業省を創立させた。
政治家でも官僚でもない力業、僅か3ヶ月。



日本専売公社の発足にも関り、
電気事業も九分割、民営化して再編成。
東北電力の会長に就任すると、
只見川水系の利権問題で東京電力に勝利する
これが、世にいう「白洲三百人力」
(次郎一人で自由党代議士300人に匹敵する)






24才年の違う吉田茂とは、ほぼ親子愛とも
見えて、やはり互いに惚れた対等な友情。
世代間ギャップか、意見を異にすることも
結構あったんだ。



吉田茂は、占領を早期に終わらせるために
米軍の基地残留を認めたので、
サンフランシスコ講和条約と共に
一人ひっそり日米安全保障条約にサインする。
でないと「永久占領」なんて話もあったとか・・



写真は  風の男・白洲次郎  より。


日本で乗ってたペイジ・グレンブルック
運転席に次郎、中学生。








これに対し次郎は、「基地無し、沖縄返還での
独立」を米国に宣言させ、いざというときの
軍事権を与える案、を持っていたそうだ。


これは、「講話条約を結ぶことなく
アメリカ一国の国際宣言によって、
軍事を除く国家主権を日本に与える」
というもので、実際に待機司令部案として
米軍も検討していたものだとか。
これ初耳。。実現したらどーだったんだろ。




イギリス留学中の愛車ブガッティー






吉田茂は、「占領状態の回復を最優先にした
だけで、アメリカに安全保障してもらいたい
訳じゃない」と、岸内閣の安保改定に反対し
「やっばり再軍備しとけば良かった」とも。。



親友ロビンと大正15年






吉田・白洲の本を読むと、やっばり
「軍隊が無くて米軍基地がある問題」と
「日本国憲法ってナンダ?問題」・・を考える。



翻訳作業中の次郎たちは、男女同権の箇所を
民政局の通訳・シロタ女史が起草した、と聞き
まさか通訳が条文作成??・・   と驚く。。
そもそも、占領軍主導で憲法を作る事自体、
明らかなハーグ条約違反なんだよ。



新婚の次郎と正子







憲法案を承認する閣議では、幣原首相が
「もう一日でも延びたら大変な事になります」
と涙ぐみ、皆がもらい泣き。
そして、天皇に 「敗北しました」 と報告する。



最終的な議会採択でも、無数のすすり泣きで
議場は粛然とし、
かつて草案作成した貴族院の佐々木惣一は、
「たとえ死刑になっても」、賛成の起立を拒む
・・・・


なんて読むと、世間で「日本国憲法を守れ!」
て言ってる意味、わからなくなる。



東北電力会長49才。昭和26年






吉田茂は憲法改正論者だったけど、
軍備増強より経済復興を優先するべき、と
憲法改正を見送った。あくまで方便なので
これほど長い間、憲法がそのままにされると
彼は思ってなかったろう、、と。


そしてGHQの人でさえ、憲法が改正可能な
時期が到来しても、改正されなかったことに
「奇異な感じがした」、と述べているとか。



駐日英大使を只見川ダム工事視察に案内。





ちなみに同じく敗戦国のドイツでは、
二年遅れで憲法でなく「ボン基本法」が成立。
しかも、「ドイツ国民が自由な決断で議決し
憲法が施行される日にその効力を失う」と
暫定的であることをうたっている。健全。



「今ニ見テイロ」と書いた次郎さん、
憲法に「占領軍に強制されたものである」と
明記すべきであった、とまで言っていて、
戦後日本の不幸は、この悔しさを共感でき
なかったことだ、と、作者の北さんは言う。



蔵王でスキー







とはいえ、次郎さんは後にいいものはいい、
と受け入れるべきで、「戦争放棄」は素晴らしい、と言っている。



戦争放棄はいいけどさ、
今も戦争あるんですよ。次郎さん。隣で。


非常時には米軍が守ってくれるの?
でも米兵に、命賭けで日本人守れ、なんて
言えないし、他国民の為に命を捨てる兵士が
いるとも思えない。


そもそも基地を嫌がりながら
米軍に守ってほしい、なんて矛盾してるし、

「戦争放棄!」という高潔な理想を掲げながら
海外に武器を売ってる、大矛盾。

いろいろ考えちゃう。
次郎さんは何というだろう。




80才まで運転。最後の愛車はポルシェ911