●戦う石橋湛山 @半藤一利 | ★50歳からの勉強道~読書録★

★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

石橋湛山の名前は歴代総理大臣の中で
覚えた記憶があるけど、実は総理としては
僅か2ヶ月で辞任している。
頑張りすぎて体調を壊したのだ。昭和31年。
後任は岸信介。


元々、湛山は「東洋経済新報社」の記者。
のち、社長となり、
あの戦時中のイケイケドンドンの最中に
一貫して戦争反対を唱え続けた人なのだ。

だから、「戦う石橋湛山」




この本では特に、満州事変から関東軍の
暴走により満州国建設・国際連盟脱退へ、、
と熱狂していく日本の様子が描かれる。


世論をリードし、国民を引っ張るのは
こともあろうに朝日、毎日の大手新聞社だ。
読んでて悲しくなる記事が沢山だよ。



「英雄たちの選択」より。   石橋たんざん。







特に毎日新聞は「満蒙は帝国の生命線」なる
スローガンを発して得意満面、
「毎日新聞後援・関東軍主催・満州戦争」なんて
笑えない冗談も囁かれるほどだった。



紙面には
「平和の天使の如く旭日を浴びて入城」
「皇軍の威武により、満州建設時代に入る」
「目覚ましい満蒙景気、満鉄へ問合せ殺到」
「わが国に対して酬ゆべき当然の感謝」
なんて、景気のよい美辞麗句が並ぶ。





満州国を不当である、と結論した
リットン調査団の報告に対しては

「錯覚、曲弁、認識不足」
「吾人は唖然として言うところを知らない」
「誇大妄想も甚だし」 ・・・・・など
ヒステリックに決めつける非難の嵐。


どちらもまるで北朝鮮のニュース。
でも実際、戦時中の日本は、こうやって
マスコミが国民を煽り、自信をつけた軍部が
途方もない戦争へと突き進んでゆく。
報道の責任ってほんと重い。重すぎる。



湛山の東洋経済新報





こういう風潮に対し、ひとり逆らい続け
首尾一貫、平和主義を貫いたのが石橋湛山。
大正10年の記事、
「一切を捨つるの覚悟」は圧巻だ。

------------
我輩は思う。
台湾にせよ、朝鮮にせよ、支那にせよ、
早く日本が自由解放の政策に出づるならば
それらの国民は決して日本から離るるもの
ではない。
彼らは必ず仰いで、日本を盟主とし、
政治的に、経済的に、永く同一国民に等しき
親密を続くるであろう。
彼らは、ただ日本人が白人と一緒になり
白人の真似をし、彼らを圧迫し、
食い物にせんとしつつあることに憤慨して
おるのである。
彼らは、日本人がどうかこの態度を改め、
同胞として友として、彼らを遇せんことを
望んでおる。
賢明なる策はただ速やかに朝鮮・台湾を解放し
支那、露国に対して平和主義をとるにある。
しかして、彼らの道義的後援を得るにある。

----------------


日本だけじゃなく、
世界の帝国主義も批判した。





今でも結構刺激的だけど、当時はさらに
「異端」であり、「超過激」。
半藤さんは、とにかく原文を読んでくれ~
とばかり、多くの記事を全文引用している。



どれも決して青臭い理想主義ではなく、
経済人らしい「利益優先」を考えた発言。
数字を挙げてデータを示すことも、特長だ。


経済効率の悪い外地を経営するより、
放棄して感謝される方が先々得でしょ、、
ってわけ。さすが経済新聞なのだ。







戦後政治家に転身し、大蔵大臣として活躍
していたのに、GHQにも反抗的だったので
睨まれた挙げ句、不当に公職追放される。
この時吉田茂が
「狂犬に噛まれたと思って我慢してくれ」って
言ったのは有名なハナシ。(*^^*)



現在も東洋経済新報社は日本橋にある。
「週刊東洋経済」や「四季報」を発行。





石橋湛山の理想はデカかった。

なにしろ「日中米ソ平和同盟」が理想だもん。
実際、昭和34年には超党派外交を実現させ
右翼の大批判の中で中国を訪問。
周恩来と会見し日中和平の先鞭をつけている






湛山の訪中からようやく13年を経て
田中角栄は、日中国交正常化の直前に
病床の湛山を訪れている。S.47


角栄は湛山の手を固く握りしめた。。
翌年湛山死去。





湛山が体を壊すことなく、せめて3年位
首相を務めてくれていたら、、
日本は、世界は、もっと違ってたかも。。


てゆうか、
「英雄たちの選択」で諸先生たちが口々に
、石橋湛山という政治家が欲しい!」    
いや~、今一番必要なのは
湛山という「ジャーナリスト」でしょ!
財政家として・・思想家として・・・今いれば!!!!
と、盛り上がってたのが印象的だった。

湛山研究の第一人者、増田弘教授。




湛山の理想は  「東西一家和楽春」
共産主義と自由主義、両陣営が手を携え
世界平和に協力する日を夢みていた。



◆追記***********

この記事を私は2017年に書いたが
今読み返してみると、満洲、満洲国を
頭から「悪」、と決めて嫌悪している
自分の気持ちが見える。

これはよろしくない。
完全に東京裁判史観、WGIPにやられている
なぁ。。と痛感する2019年初頭。。
勉強せねば。