●拝啓 渥美清様 @読売新聞社会部 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

一人の俳優さんの追悼に新聞社が本を出す・・
って、やっぱ「寅さん」は、日本人の至宝。




平成8年、68才で亡くなった渥美清さんを
偲んで、読売新聞都内版で連載された記事を
まとめたもので、渥美さんに縁のある
沢山の人が想い出、秘話を語っている。







渥美さんは若い時、結核で右肺を全摘した。
「俺は体の半分空っぽだからよ。」   気づくと
右肩は不自然に下がり、疲れる仕事は
一生できなかったそうだ。知らなかったなぁ

2年間入院。ガリガリに痩せていた。26才。







最初はお笑いトリオ「スリーボケッツ」を結成
していた。関啓六と、谷幹一の自宅で寛ぐ。









タイトルの「拝啓・・・」というのは、
1963年の主演映画 「拝啓天皇陛下様」 からの
オマージュで、「男はつらいよ」第47作の
「拝啓車寅次郎様」も同様。
ヒットした出世作なんだって。
これも知らなかった。。。


靖国神社で「拝啓天皇陛下様」の映画宣伝。






読んでて驚くのは、想い出を語る人の多くが
一般人。小学校の同級生、大船の煮豆屋さん
機械製造業、電気工事の人、測量会社の人、
などと、親しく旅行し、ロケ先にも呼んで
語り合ったりする。スンゴイ不思議。σ(^_^;)?






かといって、ナァナァではなく、
本名の「田所康雄」と「渥美清」、
そして「寅さん」の三つを厳格に区別して、
どんなに親しい人にも家族の話は一切せず、
自宅の住所も教えなかったという。

小学校の成績ワースト2の悪童二人。ビリの
原田さんは、リアル寅さんのような人だとか。




つまりは、俳優「渥美清」の幅を広げるため
だけに、生きていたのか。



朝から晩まで「喜劇役者」としてどう生きるか
を考え続ける様子は、哲学者のようで、
宮本武蔵みたい、と評する人もいる。

そして、スゴい読書家だったそうだ。

「渥美さんには行きつけの本屋があって、
ふさわしい本を選んでくれる  “読書係り”の
女性店員さんがいた」・・・と

「男はつらいよ」の山田洋次監督は述懐する。

そして、

「日本で映画や芝居を、
最もたくさん見た人じゃないだろうか」

「なんて上品な俳優だったのか」


という素敵なお言葉。(*^^*)


寅さんを囲む、かつての同級生さんたち。






風来坊で出来の悪い「寅さん」に、
なぜか品格が漂うのは、
悪童「田所康雄」天性の茶目っ気に
俳優「渥美清」の知性が混ざった結果なのかな




テレビに出始めの頃,売り込みに使った名刺。
当初は師匠を持たず、芸能プロダクションに
も属さず、一人で渡り歩いていたそうだ。