って、やっぱ「寅さん」は、日本人の至宝。
平成8年、68才で亡くなった渥美清さんを
偲んで、読売新聞都内版で連載された記事を
まとめたもので、渥美さんに縁のある
沢山の人が想い出、秘話を語っている。
渥美さんは若い時、結核で右肺を全摘した。
「俺は体の半分空っぽだからよ。」 気づくと
右肩は不自然に下がり、疲れる仕事は
一生できなかったそうだ。知らなかったなぁ
していた。関啓六と、谷幹一の自宅で寛ぐ。
タイトルの「拝啓・・・」というのは、
1963年の主演映画 「拝啓天皇陛下様」 からの
オマージュで、「男はつらいよ」第47作の
「拝啓車寅次郎様」も同様。
ヒットした出世作なんだって。
これも知らなかった。。。
読んでて驚くのは、想い出を語る人の多くが
一般人。小学校の同級生、大船の煮豆屋さん
機械製造業、電気工事の人、測量会社の人、
などと、親しく旅行し、ロケ先にも呼んで
語り合ったりする。スンゴイ不思議。σ(^_^;)?
かといって、ナァナァではなく、
本名の「田所康雄」と「渥美清」、
そして「寅さん」の三つを厳格に区別して、
どんなに親しい人にも家族の話は一切せず、
自宅の住所も教えなかったという。
つまりは、俳優「渥美清」の幅を広げるため
だけに、生きていたのか。
朝から晩まで「喜劇役者」としてどう生きるか
を考え続ける様子は、哲学者のようで、
宮本武蔵みたい、と評する人もいる。
そして、スゴい読書家だったそうだ。
「日本で映画や芝居を、
最もたくさん見た人じゃないだろうか」
「なんて上品な俳優だったのか」
という素敵なお言葉。(*^^*)
風来坊で出来の悪い「寅さん」に、
なぜか品格が漂うのは、
悪童「田所康雄」天性の茶目っ気に
俳優「渥美清」の知性が混ざった結果なのかな
当初は師匠を持たず、芸能プロダクションに
も属さず、一人で渡り歩いていたそうだ。