●奇貨居くべし(全5巻) @宮城谷昌光 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

私は呂不韋を誤解していたようだ。


辣腕の商人呂不韋が、秦国の不遇の皇子を
「奇貨」として目をつけ投資、
莫大な財産と人脈を駆使して王位につけ、
しかも自分の子を孕んでいる愛人の舞子を
妻に与えて王后とし、生まれた始皇帝は
実は呂不韋の子供で、秦国を牛耳る・・・

みたいな。。


でも、宮城谷さんの研究成果であるこの本に
よると、呂不韋は孟嘗君、管仲にも匹敵する
人格者。貴族の政治に風穴を開け、
紀元前の古代にあって、民主主義の萌芽すら
感じさせる、画期的な存在であったらしい。





この誤解は、当時の始皇帝自身もしていた。
だから始皇帝は、実の父かもしれない呂不韋
を嫌悪し、全く逆路線を突っ走ってしまう。

始皇帝     中国大河「始皇帝烈伝」より




呂不韋の誤算は、皇位につけた子楚(荘襄王)
が、即位僅か3年で急死してしまう事。35才
そのため、始皇帝が13才の幼さで即位、
嫌われていた呂不韋は、徐々に政治の実権
から外されてしまうのだ。

呂不韋は趙で人質となっていた皇子「異人」
→子楚→荘襄王に、救いの手を差しのべる。





始皇帝の統一の基盤は、荘襄王と呂不韋が
築いたものであり、呂不韋の治世がもっと
長ければ、平和で、長続きする秦の統一が
実現してかもしれないなぁ。。


秦の丞相呂不韋。始皇帝は「仲父」と呼んだ。





宮城谷さんは史記を全文「筆写」して、漢字の
意味あいからも、事実を研究したそうだ。



そうして調べた呂不韋の行動からは、
秦国の丞相になっても、身内を一人も呼んで
いないこと、呂不韋を慕ってくる人の多さ、
親交のある賢人たち、が浮かんでくる。

「呂史春秋」は天地・万物・古今の辞典。
学問好きの呂不韋が、数多の学者を集め
個人で成した、文化大事業。




準主役に描いてるのが
「刎頸の交わり」や「完璧」という言葉の元
になった、勇敢なる趙の賢臣・「蘭相如」。
それから儒学の師である「荀子」なんだけど・・


荀子    「青は藍より出でて藍より青し」の人





この作品を書きながらも、宮城谷さん自身
荀子の偉大さに触れ、言行録である「荀子」や
呂不韋編纂の「呂史春秋」に、とても感動し、
不屈の活力を得た、、と仰っている。


中国大河はダイナミックだ~実写のデカさ!
しかもこのOPテーマ曲、めっさカッコいい♡





そのせいか、宮城谷作品には人生訓や
含蓄のある金言が、とっても多いのよ。


思わずメモしたくなる、素敵な文言の数々は
もちろん、呂不韋や孟嘗君の「中の人」
宮城谷さん自身が、古代中国史のたゆまぬ
研鑽から体得した、これは正貨。居くべし。



始皇帝即位は、紀元前246年。






「奇貨居くべし」=きかおくべし、は
呂不韋が、子楚の存在を見つけた時の言葉

珍しい価値を産むものだ。
蓄えておこう。

春風篇・火雲篇・黄河篇・飛翔篇・天命篇の5巻



しっかし、始皇帝の父が即位3年で死去、
祖父はなんと3日で死去、ってのが、どーも...
その辺の奇妙さの説明は、本書にナイ。。
もやもやするなぁ。