●侍たちの海~小説伊東祐亨 @中村彰彦 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

伊東祐亨(すけゆき)は、あまり有名じゃない
けど、どの本読んでも必ず出てくる名前。



それもそのはず、初代連合艦隊司令長官で、
海軍初の元帥。(陸海軍の最高位)
日露開戦となったら、東郷平八郎を司令長官
にしようと考えたのも、伊東さんなのだそう。



つまり、後の「日本海軍の父」 山本権兵衛は
もちろん、東郷平八郎、島村速雄、
鈴木貫太郎など、後の英雄全ての上司。
幕末~日清戦争を駆け抜けた先駆者なんだ。






天保14年(1843)生まれの薩摩人。
色白で背が高く、ガタイも良く、若い頃は
「桃太郎の人形」、「飯焦がし」と呼ばれた。



これは、若く凛凛しい祐亨が表を歩くと、
台所の下女たちが見とれて、
釜の飯を焦がしてしまうから。
よっぽどカッコ良かったんだね。







でも、幕末からの戦歴はスゴい。
まずは文久2年、島津久光上京のお供をした
ので、京都で寺田屋事件、帰りは生麦事件、
薩英戦争では、「西瓜売決死隊」に志願した。



農民に化けて英国船に乗り込み、将兵を斬り
殺そう!という血気盛んな若者は80名。


生麦事件の帳本人である奈良原喜左衛門と
有村俊斎始め、大山巌、西郷従道、篠原国幹
スゴい面子。東郷平八郎も志願したけれど、
まだ少年なので許されなかったという。   
みんな命知らずだ~~


薩英戦争





英国海軍の凄さを知って、祐亨は海軍を志す。
勝海舟の海軍操練所に学び、
江川坦庵は既に死去していたけど、
江川塾で砲術も学んだ。




幕末もスゴいよ。
相楽総三と組んで鉞強盗を働き、江戸撹乱。
薩摩藩邸が焼き打ちされると、
関ヶ原の島津隊の如き、敵中突破で
虎口を脱し、迎えの翔鳳丸に乗り込むと
追撃してきた「回天丸」と初めての海戦!



続いて「春日丸」に乗り込み、
幕府最強の「開陽」と阿波沖海戦。
この、日本近代海戦史上初の本格的軍艦対決
では、東郷平八郎も共に闘った。
東郷とは縁が深くて、のち仲人もしてあげる。


阿波沖海戦。手前「春日丸」、奥が幕府「開陽丸」






明治期、徐々に海軍が整備される中、
数々の船に乗り、「鬼の艦長」、どこでも雷を
落とす「雷艦長」と恐れられつつ、慕われた。



人柄の素晴しさは、日清戦争での丁汝昌との
友情エピソードが有名で、幾度となく手紙で
降伏と、日本への亡命を勧める。


甲斐なく丁汝昌が自害してしまうと、
大変悲しみ、戦利品である一船を返還して
勇将に相応しい葬儀が出来るよう取り計らう。

「威衛衝陥落  北洋艦隊提督  丁汝昌降伏ノ図」




これは明らかな越権行為なので、帰国後
天皇に御詫びをすると、明治天皇は、
「伊東よ、もうよい」と、遮った。陛下も
日本男児の武士道精神に満足され、新聞でも
賞賛された。のどかな良い時期だったなぁ。






幼き頃、夜毎、父より切腹の作法を教えられ


「かくのごとく負け戦のときは
死のうと思えば生きるものじゃ」
    by 島津維新入道義弘       の言葉を胸に

数々の死地を潜り続けた、海の侍。





娘さんに与えた遺訓は、

「人は上下貧富の隔たりなく
忠孝仁義礼智信の道を守り、
至誠これを尽くすをもって人道とす」
身も心も、立派な人なのだー


字もとても上手かった!    号は碧海。
生涯を海軍に捧げる覚悟を表している。