●高橋是清自伝(上・下) @高橋是清/上塚司編 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

面白いなぁ、高橋是清は。
特に若い頃の元気っぷり、何度も声を出して
笑っちゃう。文章が面白いんじゃなく、
本人そのものが、オモシロイんだな~



こんなに面白いのに内閣総理大臣だし、
敏腕の大蔵大臣だし、日本銀行総裁だ。
すっごく偉いのに、こんな面白いなんて。
いや、面白い人間だから、偉くなれたのか?
人生は深いなぁ。。







何がそんなに面白いのか、、考えるに・・・
別れ道に立ったときの思考回路、かな。




それが、飲むや遊ぶやの些細な事でも、
人生の進退を決める重大な岐路にあっても、
実に明快で潔い。で、ちょいおバカさん。(^^)


14才で渡米。(右)    船の中では伊東祐亨と
酒を飲みまくったんだって。(*^^*)






「その時の自分の最善」を躊躇なく選択し、
損得とか、先の事とか、どうも計算してない・・
自分の考えに芯がある、とも言えるけど、
間違いなく行き当たりばったり、でもある。


この貫禄で二十才前? 牧野信顕は「回顧録」に
「高橋さんはとにかく面白い人」と書いている。







で結果、喧嘩、辞表、転職やらを繰り返す。。
でも放蕩の末、借金がかさみ無一文になった
時でも、フルベッキ先生に貰った聖書だけは
手放さなかったそうだ。


フルベッキに英語を習った人は多い。
本職は宣教師。






日露戦争の戦費調達は、英米独仏を回り、
各国の思惑も様々、、後半かなりの紙面を
割いていて、やはり相当大変だったみたい。


ダルマ宰相





で、回顧もそこまでで終わってしまう。
本当は晩年の大蔵大臣での財政再建や、
軍部との対立について知りたかったので、
ちょっと残念だけど。



日銀総裁でただ一人、お札になった。
これ、欲しいなぁ。。







編者の上塚さんは、長く側近を勤めた方で、

「翁の行蔵には神韻縹渺の趣がある。
 翁の言葉には無限の含蓄を包蔵する。」

是清さんの言葉を一言も聞き漏らすまじ、、
と、書き留め続けてきたんだ。






その膨大な記録を元に、是清自身が何度も
補正を加えて刊行した、と自ら解説する
前書きの日付が、なんと昭和11年1月で。。



・・・冒頭から息をのんでしまう。
この人が、翌月、拳銃で撃たれ命を奪われる
なんて、そんな理不尽あっていい訳ない。


家族に囲まれ、穏やかな大往生もできた
だろうに、、時代がよっぽど異常だった
・・・としか、思えない。悲しい。


1924年(大正13年)  衆議院議員初当選


1935年(昭和10年)  葉山の別荘