●幕府軍艦「回天」始末 @吉村昭 | ★50歳からの勉強道~読書録★

★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

戊辰戦争・海戦バージョン。


明治元年8月20日に品川沖を脱出した
榎本艦隊は8隻。



旗艦「開陽」を始め、回天、蟠龍、千代田形
咸臨丸、長鯨丸、神速丸、美嘉保丸。
乗組人数二千余、途中で増えて約三千。
フランス軍人も「雇ってくれ~」と増え
10人もいたんだね。









宮古湾海戦は、新政府の旗艦「甲鉄」を
海上で奪い取ろう!という、
ほぼ海賊チックな非常手段!明治2年3月25日




当初の海軍力は榎本艦隊が上だったのに、
途中で旗艦「開陽」が座礁沈没、、逆に
新政府軍には米製の装鉄軍艦「甲鉄」が加わり
完全に戦力逆転してしまったんだ。。



大隈重信が入手した「ストーンウォール・
ジャクソン号」→「甲鉄」 と命名。







勝利の道はこれしかない!悲壮な決意に
フランス海軍伝統の敵艦斬り込み戦術の
直伝を受け(アボルダージ・ボーディング!)
函館で激しい調練を繰り返した。


しかも奇襲のため、出撃まで船員にも
攻撃意図を秘匿する・・・まるで真珠湾攻撃だ。




だけど、3艦一体の攻撃の筈が、途中で
2艦脱落。。結果、「回天」一つで敵艦8隻が
停泊する港に突っ込む!という無謀な展開に!!

「甲鉄」に乗り上げる「回天」。おわー






斬り込み隊長は、土方歳三!!  

ちなみに新政府艦隊の「春日」からは、
若き日の東郷平八郎が「回天」を攻撃。
この奇襲を受けた体験、後に役立ったとか。



「回天」の戦闘は30分。甲賀艦長は死亡。






3艦のうち脱落していた「高雄」は、追撃されて自沈する。船員は陸に逃れるんだけど地元の人々は親切に匿い、厚くもてなしてくれた
そうだ。。ええ話し。


てか、皆やっぱり幕府を尊敬していて、
新政府は嫌いなんだよね~。威張ってるから
ホント、どこでも評判悪いよなぁ。。

「高雄」は艦を放棄、南部藩田野畑村に上陸






日本海海戦とか、レイテ沖海戦とか
海戦って、読んでてスゴく面白いんだ。
とうも船に感情移入しちゃう。操舵が
上手いと小さな船が、莫大な戦果を上げる。



函館湾海戦。手前は新政府の「春日」「甲鉄」






函館湾海戦でも、新政府は「甲鉄」含む8隻
榎本艦隊は僅か3隻、、でも「蟠龍」が一人で
活躍して「朝陽」を撃沈!さらに
動けなくなった「回天」を尻目に、5隻を
相手に走り回って奮戦する!カッコイ~


「朝陽」を撃沈する「蟠龍」  明治2年5月11日







そもそも榎本武揚が函館を目指したのは、
徳川八百万石の家臣救済のため、蝦夷地を
くれ、という要求だったんだね。



で、蝦夷地を領収する、徳川将軍家の
血筋の者が来るまでの間、指揮者を定めて
行政・兵制組織を確立しよう、と、日本初の
投票を行ない、榎本が総裁となったんだ。



てことは、これ実現していたら、
北海道は徳川王国になってたん、、かね。


榎本武揚。