●円を創った男~小説・大隈重信 @渡辺房男 | ★50歳からの勉強道~読書録★

★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

幕末ずーっと長崎詰めだった佐賀藩(肥前)
の大隈重信が、彗星のように新政府に
現れたのは、外交能力が求められてのこと。


幕府倒壊直後、長崎で外国領事達の苦情や
貿易上の難問を次々に処理。→(やるなぁ)

京で英国公使パークスをやり込め、
キリスト教解禁の要求を退ける。→(スゲー)
↓↓↓
横須賀の製鉄所と、アメリカ製の軍艦を一隻
分捕って来てくれ→(君しかいない!)


・・委細任せる!という、木戸孝允の雑な
指令。戦争してない維新事務方のドタバタ
行き当たりばったり・・は、リアルだなぁ。







ということで、江戸に出た慶応4年5月。
ここで、大隈の臨機応変な太っ腹が
さらにその評価を高めることになる。


江戸の騒乱が収まらないことには、
外国との交渉が一歩も進まないことを
理解するや、運んできた公金25万両と
佐賀藩の兵力&アームストロング砲を
そっくり、大村益次郎に渡したんだ。


これにより、大村益次郎は僅か一日で
彰義隊を殲滅する。大村の神業を可能にし
新政府に対する諸外国の信頼を回復した、
大隈重信の、超ファインプレー。(^^)v


しかもその後ちゃーんと、イギリスから
金を引き出し、横須賀製鉄所の接収、
軍艦ストーン・ウォール号回収、東北の
軍資金調達、全て成功させた。グッジョブ!







もっとも、最初の25万両を工面したのは
「龍馬の置き土産」ともいうべき、
越前藩の由利公正(三岡八郎)だ。


とにかく「金がない」新政府の財政を任され
獅子奮迅の働きで金を集め、太政官札も
発行した功労者、ではあるけれど、、


あくまで「応急処置」だったので、
あちこちに綻びが出て、四面楚歌になった
由利は、僅か1年で表舞台を去る・・・

経綸のとき~由利公正

太政官札




そして「外交と会計」。切っても切れぬ両方
に達者な、大隈が後を引き継ぐ。
目的は、「外国のお金と正しく交換できる
統一された貨幣」を創り、近代国家たる
礎を築くこと!  30才。


無くてはならぬ右腕は、伊藤博文。
この人だけは、陣営関係なく誰からも頼り
にされて、ホント凄いと思うよ。。
そして、井上馨、五代友厚、渋沢栄一。


長州人は仲間同士で助け合い、薩摩人は
指導者を押し立て協力する。けど、佐賀人
は個人プレー・・・と、司馬さんの言う通り
藩の先輩である副島種臣、江藤新平、
大木喬任とは連携なし。。なんだね。。







大蔵省と民部省を合併し、租税徴収と
造幣、会計という大権力を一手に握り、
苦難の末、造幣寮が稼働したのが
明治4年2月15日。「新貨条例」は5月布告。


両、分、朱、などの単位を「円」に統一し
四角いお金を円くする!
四進法を十進法に改め、金本位制とする。


造幣寮を完成させ、新貨幣を鋳造し、
太政官札を廃止、贋札の出来ない精巧かつ
美麗な「明治通宝」は、ドイツで印刷した。


2ヶ月後、“第二の維新” たる 廃藩置県。

明治通宝1円紙幣。別命「ゲルマン札」





その後、金本位制が崩れたり、紙幣乱発で
インフレになったりするけど、一貫して
政府の財政責任者として君臨し続ける。


大久保利通とはずーっと対立したし、
仲の良かった先輩、副島種臣にも疎まれる
大久保亡き後、明治14年の政変で、大隈を
追い落としたのは、なんと伊藤博文だった。


渾名は「大口」




@他人の意見を聞かず自説を押し通す
@無能な者を徹底的に糾弾する無慈悲
@話し方が大声で不快。罵詈雑言もダメ。
というのが、友人・五代友厚の忠告で・・


傲岸不遜な態度とあまりの権力集中で、
政府内では嫌われた。。
けど、その後は政党を作ったり、
復帰して総理大臣になったり、
もちろん早稲田大学を創ったり、
国民に大人気の政治家になったのだー(^^)


でもね、この若き日の「円創り」こそ
最大の功績、、なんじゃぁないだろか。