●歳月 @司馬遼太郎 | ★50歳からの勉強道~読書録★

★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

薩長土肥の「肥」ってナンダヨ・・・って
実は密かに、うっすら思ってたのよ。
今さら人に聞けない..ってヤツね。。


このモヤモヤ一気に氷解!
さすが司馬遼センセイ、
毎度優しく、易しく、ありがとう。


倒幕せず、戊辰戦争せず、僅か一ヶ月の
志士活動で新政府の参議になった、
肥前藩(佐賀藩)の「江藤新平」を読むことで
「薩長じゃない維新」も見えてきた。







肥前藩って、本当に特殊だったんだなぁ。


「三百年来の傑物」と言われる藩主
鍋島閑叟(かんそう)=直正の完全独裁で
藩を完全洋式軍事化。


「佐賀藩の奇跡」と言われる、その実力たるや
もし日本に内乱が起これば、佐賀一藩で
幕府も諸藩も平らげてしまえるほど。


しかもこの藩内事情を極秘にし、藩士が
他藩と交流することも厳禁!これが
「佐賀の二重鎖国」  スゲーな。


鍋島閑叟





佐賀には独自の学制があり、進級試験に
合格しないと、家禄没収!もある。なので
学生は狂ったように?勉強するんだって。


「政治は土佐、学問は佐賀」


こんなスゴい実力を有しながら、藩士には
志士活動させないよう、京都藩邸には
“わざと” 愚鈍な者を置いてたんだって。
「京には牛をつないでおく」って、
あの幕末に、なんちゅう藩方針。( ・∇・)


大政奉還後にようやく、江藤新平が動き
肥前藩の兵力を提供することで、ようやく
「薩長土肥」が並び立ち、


さらに実務の江藤を始め、外交の大隈重信
学識の副島種臣・大木喬任が重きをなし、
あれよあれよ、佐賀の頭脳集団無しに
新政府は成り立たない、、ようになる。

佐賀藩製のアームストロング砲





「ワシがこの世に生まれてきた意義は
日本に法治国家たる基礎を建設すること
にある!!」        という江藤は、


江戸開城後、三日間書庫に籠り、
書類や帳簿を研究、
江戸行政を一手に把握すると、
新政府の制度を次々に立案する。


司法権を行政から独立させて、奉行所を
裁判所に改め、判事と検事を設ける。
警視、警部、巡査などの警察制度を創始し
廃藩置県も推し進めた。


司法卿・江藤新平





新国家の制度を創るのは肥前だ!という
自負をもつ江藤は、権力を我が物顔に握る
「薩長の無学者ども」を激しく憎む。


井上馨と山県有朋の汚職を暴いて
獄に叩き込む!と息巻き、
「長人は狡猾で、薩人は愚鈍である」から
薩摩を抱き込み征韓論で分裂させ、
長州を討たせる「薩長退治」を執拗に画策した。


大久保利通は、そんな江藤の野心を見抜いて
事々に対立したし、渋沢栄一も
「精神が中庸を欠いている」と批判した。


確かに頭は鋭くて、法制を立案し、
文章化する「実務家」としてはピカイチだけど
周りを動かす「政治力」に欠けるんだなー。
いや人間力、というべきか。


佐賀の乱   @明治7年2月~3月(1874)





「佐賀の乱」は他愛のない暴発だったんだなぁ。。幕末の不満のはけ口が「攘夷」だった
ように、新政府に対する不満のはけ口が
「征韓論」・・という解説。なるほどだ~


ここでも西郷を下野させた、大久保利通が
憎悪の対象。
大久保ひとりが、こんなにも憎まれ役って、
あんまりだわ~と思うけど


・・政敵・江藤新平を、佐賀の乱にかこつけ
ここぞとばかり、瞬時に葬った政治手腕は
お見事すぎて、超冷酷。。でも、、


これがモノホンの政治家なのかな。。