江戸無血開城のそれからも、いや
それまでも、何かと敵の多い海舟さんを
応援団長・半藤一利が徹底擁護。
相も変わらず、新政府を 「薩長の田吾作」
と罵る、江戸っ子半藤さん。
「どうも生まれつき海舟好きのようで。」
と、のっけから弁解?
生まれつきじゃあ、仕方ないか。
口の悪さもね。 (^w^)
共に徳川を守った幕末の三舟、
山岡鉄舟、高橋泥舟との阿吽のエピソード
が小気味よい。全員江戸っ子だね。
山岡鉄舟の臨終間際には
海 「どうですか、ご臨終ですか」
鉄 「ただいま涅槃の境に進む所」
海 「よろしくご成仏を」 なんて
会話してる。 なんとも豪傑同士で。
晩年の名乗り、勝安芳(やすよし)は
安房守からきてアホウと読む自虐。(^.^)
片や、海舟嫌いの福沢諭吉や大久保利通
との確執もたくさん!
嫌われてるなあ。。だけど、、
「自前の金がなければ戦争はやらぬ。」
戊辰戦争で海外からの資金援助を
断固拒否した事は、日本の国を守るため。
さらに、江戸開城の非常戦に備えて
「江戸の町ごと新政府軍焼き殺し作戦!」
金を撒いて市民に協力要請したり、
「徳川慶喜イギリス亡命計画!」
親薩摩の公使パークスを味方につけたり・・
理解されなくても構わねぇ。
俺は命を張り、私財を擲って粉骨砕身、
江戸の市民と徳川家を守ったんだ。
「我を知る者は、ひとり西郷あるのみ」
そう、「それからの海舟」はひたすら
逆賊となった西郷隆盛の汚名返上と
徳川慶喜の赦免、名誉回復を悲願とする。
当の慶喜にも嫌われてるのにさ。
見上げたもんだよ 屋根やのふんどし。
西郷さん追悼の記念碑も、早々明治12年
内密に、しかも独力で建てた。
移転されたそれは、現在、勝夫妻のお墓の
隣に仲良く祀られている。
洗足池公園にある勝夫妻のお墓。
隣に西郷隆盛 留魂祠 と 漢詩の石碑
江戸っ子の海舟さんは、薩摩っぽ西郷さんと違って、口が軽いのがタマにキズ。
隠居中の氷川邸で、やっぱり努力を
認めてほしいのか、ペラペラ功を喋って
さらに評判を落とす。。
ああこの、、、
ややそそっかしい、粋でイナセな人情家、
宵越しの銭は持たねぇ意地っ張りは、、
同じく東京浅草育ち、わが父・芳男さん
とそっくりではありませんか。
生きていれば半藤さんの2つ上。
性格的には植木等か、中畑清か。
明るい、軽い、口も軽い。
「助平のよっちゃん」人気者だった。
イカした前髪で、とてもお堅い銀行員には
見えない、若かりし頃の芳男さん。
社内結婚の母は、出入りの業者さんだと
思っていたそうだ。(゜.゜)
威張っているけど、淋しがり。
お酒を飲んでは唄を歌い、私を溺愛する
楽しいお父さんだったなあ。。(*^^*)
。。。。。。。。。。。。。
というわけで、ナゼか
今回は愛すべき江戸っ子特集。
奮闘努力の甲斐もなく
今日も涙の日が落ちる。
男というものつらいもの
顔で笑って腹で泣く。
フーテンの寅さんの主題歌が
聴こえてくるようであるのです。