●それからの海舟 @半藤一利 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

江戸無血開城のそれからも、いや
それまでも、何かと敵の多い海舟さんを
応援団長・半藤一利が徹底擁護。



相も変わらず、新政府を  「薩長の田吾作」
と罵る、江戸っ子半藤さん。



「どうも生まれつき海舟好きのようで。」
と、のっけから弁解?
生まれつきじゃあ、仕方ないか。
口の悪さもね。   (^w^)







共に徳川を守った幕末の三舟、
山岡鉄舟、高橋泥舟との阿吽のエピソード
が小気味よい。全員江戸っ子だね。



山岡鉄舟の臨終間際には

    海     「どうですか、ご臨終ですか」
    鉄   「ただいま涅槃の境に進む所」
    海     「よろしくご成仏を」      なんて

会話してる。  なんとも豪傑同士で。



晩年の名乗り、勝安芳(やすよし)は
安房守からきてアホウと読む自虐。(^.^)








片や、海舟嫌いの福沢諭吉や大久保利通
との確執もたくさん!
嫌われてるなあ。。だけど、、



「自前の金がなければ戦争はやらぬ。」



戊辰戦争で海外からの資金援助を
断固拒否した事は、日本の国を守るため。





さらに、江戸開城の非常戦に備えて

「江戸の町ごと新政府軍焼き殺し作戦!」
金を撒いて市民に協力要請したり、


「徳川慶喜イギリス亡命計画!」
親薩摩の公使パークスを味方につけたり・・



理解されなくても構わねぇ。
俺は命を張り、私財を擲って粉骨砕身、
江戸の市民と徳川家を守ったんだ。






「我を知る者は、ひとり西郷あるのみ」



そう、「それからの海舟」はひたすら
逆賊となった西郷隆盛の汚名返上と
徳川慶喜の赦免、名誉回復を悲願とする。



当の慶喜にも嫌われてるのにさ。
見上げたもんだよ  屋根やのふんどし。






西郷さん追悼の記念碑も、早々明治12年
内密に、しかも独力で建てた。
移転されたそれは、現在、勝夫妻のお墓の
隣に仲良く祀られている。



洗足池公園にある勝夫妻のお墓。



隣に西郷隆盛   留魂祠 と  漢詩の石碑








江戸っ子の海舟さんは、薩摩っぽ西郷さんと違って、口が軽いのがタマにキズ。




隠居中の氷川邸で、やっぱり努力を
認めてほしいのか、ペラペラ功を喋って
さらに評判を落とす。。




ああこの、、、
ややそそっかしい、粋でイナセな人情家、
宵越しの銭は持たねぇ意地っ張りは、、



同じく東京浅草育ち、わが父・芳男さん
とそっくりではありませんか。



生きていれば半藤さんの2つ上。



性格的には植木等か、中畑清か。
明るい、軽い、口も軽い。
「助平のよっちゃん」人気者だった。


イカした前髪で、とてもお堅い銀行員には
見えない、若かりし頃の芳男さん。

社内結婚の母は、出入りの業者さんだと
思っていたそうだ。(゜.゜)


威張っているけど、淋しがり。
お酒を飲んでは唄を歌い、私を溺愛する
楽しいお父さんだったなあ。。(*^^*)





。。。。。。。。。。。。。




というわけで、ナゼか
今回は愛すべき江戸っ子特集。



         奮闘努力の甲斐もなく

         今日も涙の日が落ちる。


          男というものつらいもの

          顔で笑って腹で泣く。



フーテンの寅さんの主題歌が
聴こえてくるようであるのです。