●穢土荘厳(上・下) @杉本苑子 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

奈良時代、聖武天皇の時代。



聖武天皇というと推古、仁徳、天智、桓武
と並び、知ってる天皇ベスト5!
に入りそうなメジャー天皇。



奈良の大仏とか、正倉院展とかで
テレビにも登場するし、
何より聖徳太子の聖!神武天皇の武!
漢風諡号の徳の高さがハンパない。



当然、功績のある立派な天皇だと
思っていたけど、、、。



この本読むに、藤原氏の言いなり。
なんとも頼りない天皇様のようなのだ。



まあ、そこまではよくある話だが。



この聖武天皇、
ピカピカの超立派な平城京に住みながら、
何かに怯えるように長期間放浪し続け、
果ては、、

このまま帰らない!
恭仁京に遷都ぢゃっ!と言い出す。(京都)



一同あぜん   ( ; ゜Д゜)
仕方なく引っ越し、ガラガラガラ。



ところが建設途中なのに
やっぱ紫香楽にいくっ!
紫香楽の山に大仏を建てるのぢゃ!(滋賀)


うそだろ?!    ガラガラガラガラガラ。



でもやっぱり海の近くの難波がいい!
難波に遷都ぢゃっ!(大阪)



ふざけんなっ!放火。山火事。放火。



恐いよ~朕は何処へ行けばよいのぢゃ~
平城京にお戻りください。
はい、わかりまちた。くすん。



じゃあ、ここで大きな大きな仏像建てる~
(奈良)



てな感じなのだ。  この間約5年。
周りは頭おかしいんちゃうか?って
思ったろうが、事実鬱病気味だったよう。
天皇はとても苦しんでいたのだ。



天皇家に混じる血の争いが、
蘇我氏から藤原氏に移るとき。
聖武天皇はちょーど「あいのこ」なのだ。



母方の藤原氏が蘇我系を凌駕せんとする
ゴリ押し陰謀の数々。


父方の身内である長屋王家は殺され、
祟りなのか、、?
疫病で藤原四兄弟以下閣僚多数急死!
さらに地震、藤原広嗣の乱。。



もうこんな穢れた都にはいられない!



そして自分の中にある穢れた血。



毘盧遮那仏に救いを求めるしかなかった、、
のかもしれない。



救いを求めたのは
奥さんの光明皇后も同じだろう。



彼女は藤原不比等と橘家の始祖となった
県犬養三千代の子。
王家の血筋ではないので、本来皇后の地位には昇れない決まりだ。



それを強引に立皇后するべく
犠牲になった長屋王一家。


さらに娘を皇太子にする、という前代未聞の暴挙のために抹殺された安積皇子。



懺悔のように施薬院、悲田院、国分尼寺を建て慈善を尽くすことで、
名前のように光輝く愛情深さが演出された。


「積善の藤家」が彼等の合言葉だ。



聖武天皇の名も、実状を覆い隠すための美字が贈られたものかもしれない。




それはそうと。


聖武天皇の母も妻も不比等の子だけど、、


噂どおり、もし不比等が天智天皇の御落胤だったら、、、何の問題もなかったかも?