天武→持統→文武→元明→元正→聖武。
(妻)(孫)(母)(娘)(甥)
文武の姉であり元明の娘、氷高皇女。
(ひたかのひめみこ)=元正天皇
美貌の女帝、元正天皇?
あ~。
超美人なのに一生結婚せず、
中継ぎ天皇として即位することを義務づけられた麗しき貴女の悲話か。。
ふーん (-.-)y-~
とか思ってナメテいた。
ところが!
全然違うじゃない!全然!!
私の知識、理解は何だったの!?
あまりのショックに
1日で読みきってしまった!( ̄□ ̄;)!!
そーなんだよ。
少し疑問には思っていたんだけどね。
・・・・・・
いろんな本には天武亡き後、
妻の持統女帝から後は、
なぜか天智・藤原勢力に戻ったように
書いてあるんだ。
持統も元明も天智の娘だから?
天武の敵である藤原不比等ともすぐ
持統も元明も天智の娘だから?
天武の敵である藤原不比等ともすぐ
協力しちゃうわけ?
その割には壬申の思い出の地、吉野に
その割には壬申の思い出の地、吉野に
30回以上も訪れて天武を偲び続けるし。。
どうも釈然としないわけだ。
・・・・・・・・
ハイそのお悩み、一気に解決!(^o^)v
天武系か天智系か。
そればかり気にしていたけど、
問題はそこではなかった。
永井さんが注目したのは
蘇我倉山田石川麻呂!
乙巳の変で蘇我入鹿殺害のとき、緊張の
あまり震え声で上表文を読んだ人だよ!
蘇我氏の一族ながら天智・鎌足に協力した
蘇我氏の一族ながら天智・鎌足に協力した
大化の改新功労者。
しかも娘二人は天智天皇の妻。
なのに裏切られ惨殺された。
夫に父を殺された石川麻呂の娘二人。
ショックのあまり一人は心痛で亡くなり、
しかも娘二人は天智天皇の妻。
なのに裏切られ惨殺された。
夫に父を殺された石川麻呂の娘二人。
ショックのあまり一人は心痛で亡くなり、
残った一人が娘たちを育てる。
育ったのが孫の持統と元明だ。
女帝たちが守ろうとしたのは
育ったのが孫の持統と元明だ。
女帝たちが守ろうとしたのは
父天智の血ではなく、母方の蘇我氏の血。
ゆえに不比等と協力なんかしていない。
全く逆なんだ。憎っくきは藤原!!
ゆえに不比等と協力なんかしていない。
全く逆なんだ。憎っくきは藤原!!
藤原の血を受けた初の天皇、
聖武の即位を阻止するために!!
蘇我一族の生き残り、蘇我倉の娘として
不比等の前に立ちはだかる!!
不比等の前に立ちはだかる!!
天皇家にまとわりつく血、蘇我氏VS藤原氏の
最終頂上決戦だったんだ!
事実、元正は聖武が成人しても譲位して
事実、元正は聖武が成人しても譲位して
おらず、聖武即位後も20年間