千日回峰行の祖 相応和尚像(無動寺明王堂)


❖【継報】天台宗


 

「天台宗僧侶の性加害」告発 被害女性を動かした「伊藤詩織さんの会見」「安倍晋三元首相銃撃事件」との接点


天台宗の寺の住職が足掛け14年にわたって女性を心理的監禁状態に置き、陵辱し続けていた──香川県の小さな過疎の町での驚愕の事態を告発した女性は、2度にわたり、寺からの離脱を試みていた。一度目は寺に引き戻される展開をたどったものの、二度目は脱出。いずれもきっかけは、日本を震撼させた大ニュースにあった。「伊藤詩織さんの性被害告発」と「安倍晋三元首相銃撃事件」との奇妙な接点を追う。


 顔出しで告発した尼僧、叡敦さん(55)は、天台宗務庁(滋賀県)に対して2人の僧侶の僧籍剥奪を求めている。1月31日に記者会見して明らかにしたその2人とは、自身への加害行為を行ったA住職(60代)と、その手助けをしたとする師匠のB大僧正(80代)だ。


 香川県の高僧の血筋に生まれ、幼少から信仰に親しんだ叡敦さん。母が亡くなった直後の2009年8月、母のいとこでもある大僧正B氏が住職を務める滋賀のX寺で供養を済ませた際、大僧正B氏から「一番弟子」のA氏が住職を務める香川県郊外のY寺を参拝するよう指示された。B氏は「北嶺大行満大阿闍梨(ほくれいだいぎょうまんだいあじゃり)」という称号を持つ最高位の僧。その高僧の発言から、叡敦さんは悲劇に巻き込まれていったという。


 叡敦さんが天台宗務庁に提出した懲戒審理申告書などによると、A住職との面会をした直後からA氏につきまとわれるようになり、B氏からも応じるよう促された。Y寺に赴いたところで叡敦さんは同意のない性的な行為を強要され、抗うと恫喝と長時間の説教をされたという。


 叡敦さんをホテルに連れまわしたA氏は、頭髪を剃り落として尼僧を装わせた。外出を禁止し、外出時には監視するように傍についてきた。申告書や陳述書に記された「逃げる意思」が摘み取られる様子には、すさまじいものがある。



叡敦さんの姉が見た「火傷」のあと


 2015年4月、叡敦さんは火傷を負った。のちに叡敦さんが取り寄せた診断書には「右前腕II度熱傷」と記されている。原因はA氏からコーヒーをドリップした後の熱湯を含んだ粉を投げかけられたことだという。


「患部の手首は骨が少し見えていて、医師からは皮膚移植を勧められた」と叡敦さんはいう。A氏は病院まで車を運転したが、叡敦さんの傷の心配をする様子はなく、外で待つA氏の機嫌を損ねたくないという思いから、叡敦さんは医師には入院や手術を伴わない治療にするよう願い出たという。


 叡敦さんはこの月の下旬、数年ぶりに、離れて暮らす姉と兵庫県で会う機会があった。「肉親からのLINEの連絡に全く答えなければ怪しまれる」というA氏の判断で、A氏が運転する車で瀬戸内海を渡った。その時、袖口に少しのぞいた包帯に気づいたという姉はこう証言する。


「妹(叡敦さん)は『ちょっと火傷して』と言い淀むんやけど、なんでと聞いてくと『毎日きて』という医者の指示も断ったんやて。大僧正に紹介されたお寺で働いていると聞いていたけど、きちんと治療させない寺なんておかしくないか、と問い詰めたんですわ」


 寺から離れるよう諭す姉に、叡敦さんは「辞められない」と頑なだった。「泊まっていけば」の誘いにも、「近くで住職が待っている」と応じず帰っていった。


 口をつぐんだ胸の内について、叡敦さんの申告書に添えられた陳述書にはこうある。


〈Aはしょっちゅう私に怒鳴ってきました。何がきっかけになるのか全くわからず、私は四六時中ビクビクして毎日を過ごしていました〉


 インタビューで叡敦さんは「大ごとになれば宗門を傷つけてしまうと思った」とも語った。そうならないかたちで解決できる相手を別のところに求めていた。A氏の師匠であり、母のいとこのB大僧正である。「阿闍梨にA氏を止めてもらうしかない」と決意した叡敦さんは2015年9月には便箋28枚に及ぶ直訴の手紙を届けた。しかし、B氏は対応を取らなかった(筆者の取材に対し、B氏は手紙について「読んだかもしれんのだけれども、ただ記憶がもうひとつね」と回答)。


2つの大ニュース


 14年間のうち、叡敦さんは2017年10月と2023年1月の2度、寺を出ている。このうち2度目が本格的な脱出となった。2度の動きを誘発したのは、いずれも外の世界の「大事件」だった。


 1度目は2017年5月下旬、叡敦さんが偶然、自らの身に起きた性被害について告発した伊藤詩織さんの記者会見を見たことだ。


 新聞やテレビのニュースにふれることをA氏から許されていなかったが、この日はたまたま叡敦さんがいる台所のテレビをつけっぱなしにしたままA氏がトイレに立った。叡敦さんがいう。


「ほかのことやっていた画面がその時、記者会見をする1人の女性に切り替わったんです。それが詩織さんで、顔を出して被害を訴えていたから、びっくりしました。私はAから『(性被害を訴えても)お前のいうことなんて誰も信じない』といわれていたから……ただただ衝撃的で、彼が戻ってくる直前にチャンネルを変えた」


 これがスイッチとなった叡敦さんは支援者の力を借りて5か月後の10月、一度は寺から抜け出した。その際、A氏を強姦罪で告訴状を警察に提出した。だがこれが不起訴に終わったことで「これが仏さまの答えか」と絶望し、A氏やB氏の説得に応じて寺に戻ってしまった。


 2度目の転機は2022年7月、安倍晋三元首相が殺害された事件を契機に旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に世間の関心が集まったことに端を発する。


 14年間のうち、叡敦さんは2017年10月と2023年1月の2度、寺を出ている。このうち2度目が本格的な脱出となった。2度の動きを誘発したのは、いずれも外の世界の「大事件」だった。


 1度目は2017年5月下旬、叡敦さんが偶然、自らの身に起きた性被害について告発した伊藤詩織さんの記者会見を見たことだ。


 新聞やテレビのニュースにふれることをA氏から許されていなかったが、この日はたまたま叡敦さんがいる台所のテレビをつけっぱなしにしたままA氏がトイレに立った。叡敦さんがいう。


「ほかのことやっていた画面がその時、記者会見をする1人の女性に切り替わったんです。それが詩織さんで、顔を出して被害を訴えていたから、びっくりしました。私はAから『(性被害を訴えても)お前のいうことなんて誰も信じない』といわれていたから……ただただ衝撃的で、彼が戻ってくる直前にチャンネルを変えた」


 これがスイッチとなった叡敦さんは支援者の力を借りて5か月後の10月、一度は寺から抜け出した。その際、A氏を強姦罪で告訴状を警察に提出した。だがこれが不起訴に終わったことで「これが仏さまの答えか」と絶望し、A氏やB氏の説得に応じて寺に戻ってしまった。


 2度目の転機は2022年7月、安倍晋三元首相が殺害された事件を契機に旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に世間の関心が集まったことに端を発する。


 ニュースを動画に撮ってはLINEで叡敦さんに送り続けたのは叡敦さんの夫。夫に聞くと、「妻はあれと同じやと思っとった。(叡敦さんに)入っていない情報を入れたろうと」と話した。受け取った叡敦さんは、「逃げられないと思っていた。かえってきつかった」と述懐したが、変化を促す素地になったと考えてよい。


 叡敦さんに、夫と姉夫婦が会いにきたのは2023年1月。「死ぬまでに一度だけ会っておきたい」という気持ちになって、高松のホテルまで足を運んだ叡敦さんを、3人は徹夜で説得した。3人は「地獄に落ちる。寺に戻りたい」とパニックに陥る本人を抱きかかえるように、そのまま連れ帰った。


「逃げられない」という心理は、世間から切り離された孤独によって強まる。A氏はそのことをよく知っていたのではあるまいか。


 1月31日の叡敦さんの会見直前の同日午前、電話取材で事実関係を問うた私に対してA氏は、「宗門にお話するまでお答えできない」と繰り返し、ここまでに記したような申し立てのストーリーについて問うと、「違うとも、そうですとも今は言いかねます」という答え方だった。30分間に及ぶ応答で得られた回答は多くはないが、「我々いなか者」「いなかの寺」という表現をしばしば口にしたのがひっかかった。


 取材内容を総合すると、A氏の父はこの寺の先代住職だった。若いころ香川を出たA氏は、比叡山のB氏の下に入門して5~6年の小僧生活を送った。A氏とは別に直撃取材した際にB氏は「私が大変だった時に命懸けで応援してくれた子」と弟子を評した。


 A氏は信者が先細る郷里に戻った。「それから40年間、Y寺で勤めてきた」とA氏は言った。最後の3分の1の期間、「いなかの寺」で叡敦さんを同居させてきたことになる。1人の女性ががんじがらめにされてきたという告発内容だが、宗門よりもはるかに大きな日本社会の真ん中から届いたニュースの振動で、山のふもとの小さな寺の奇妙な均衡は崩されたのである。


❖以下はサイトにて


2024.02.13 16:00  NEWSポストセブン

https://www.news-postseven.com/archives/20240213_1941029.html?DETAIL&from=imagepage_f-h1 










❖「生き仏」ってなんですか?


『ワシは、そう呼ばれることもあるけど、生き仏なんておらん。本来はみんなが仏なんやで。誰かを崇めたりする必要はない。ほんまに崇められるにふさわしい人間になれるかどうかは、これからの行い次第やろ』


  北嶺大行満大阿闍梨 酒井雄哉










不邪淫(ふじゃいん)「五戒」


仏教徒であることの証しは、「五戒」と呼ばれる五つの戒めを守ることです。その第三が「不邪淫戒」です。とくにこの戒は、在家の仏教徒に向けて発せられています。


「邪淫」とは、夫婦以外の者と肉体関係を持つこと、もしくはそれに至るおそれがあるような行為全般を指します。仏教のみならず世界宗教の多くは、在家者に対しては一夫一婦制を掲げて、生涯の伴侶との結婚生活を求めます。キリスト教社会ではさらに徹底して、人間を動物の上位に位置付け、その証しとしての結婚を神に誓うべき秘蹟(ひせき)としたのです。


仏教では、性欲に支配されることは貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)といわれる「三毒の煩悩」の中、正しいものの見方を妨げる、もっとも強大な煩悩であると考えました。


この戒は出家者には適応されず、


「梵(ぼん) 行(ぎょう)戒 (かい)」を設けて、邪淫はもちろんのこと性欲そのものを抱くことが禁じられています。


煩悩の異名である「繋縛けばく(心を繋ぎ止め縛られること)」によって、深い迷いの状態に陥るからです。