忖度という言葉がマスコミをにぎわしている。
時の権力者や力のある組織や個人に慮(おもんばか)って行政を歪めたとかで問題になっている訳である。
日本の社会では、このようなことは昔から大なり小なり行われたことではある。
これほどまで問題が大きくなったことは、そうあることではない。
その影響(だけではないが)で内閣支持率や各地での選挙の結果、内閣改造などに与えたインパクトは大きい。
忖度という言葉は、相手の気持ちを推し量るとか推測するということである。
忖度にも良い忖度と悪い忖度があるなどの意見もある。
忖度と聞いて思い出されるのは、ハイコンテクストという言葉である。
コンテクストとはコミュニケーションの基盤である「言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性」などのことである。
ハイコンテクストな社会とはコンテクストの共有性が高く、伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことで、なんとなく通じてしまう環境のことである
日本はハイコンテクストな社会であり、欧米などはローコンテクストな社会であるといわれる。
ハイコンテクストな社会だから忖度があるとは単純には言えない。
しかし、日本社会にある共通の認識のなかにある、年配者・偉い人を敬うとか、個人よりも組織を優先するなどのコンテクストが忖度の土壌になっているのだろう。
この一連の騒動の教訓として、悪い忖度はしない、悪い忖度は許さないというコンテクストが根付けば、より良い社会に一歩近づいたことになるか。