心のうち | Aussie Physio (オーストラリアの理学療法)

Aussie Physio (オーストラリアの理学療法)

日本で理学療法士として働いた後

オーストラリアでPhysiotherapist (理学療法士)になるために渡豪

そんな日々の中での気づき

いつも文献などを使って、科学的なことばかり書いているのですが、今日は最近思うことについて自分の心境などを書かせてもらおうかと思います。

 

僕がオーストラリアに来て8年半が経ちました。こちらに来たのは2009年の2月、当時24歳。まだ日本以外の世界を知らず、日本の中で自分が経験してきた教育、政治、メディア、医療システム、考え方など、全てのことにおいて日本が基本で、それが当たり前だと思っていました。

 

オーストラリアに来た目的は一つ、こちらで理学療法士になりたいといった志から 。色々な人によく 「どうしてオーストラリアで理学療法士になろうと思ったんですか?」と聞かれます。

 

僕らが何かを答える時に、深層心理の中に本当はこうなりたい、あれが欲しいなどといった‘深い’理由と、表面上の‘浅い、だけどそれとなく納得する’理由があると思います。

 

僕の中で、オーストラリアに来たかった理由は、「理学療法、特に筋骨格系の最先端を学びたかったから。」とか、「前の職場の先輩に放送大学を勧められた時、自分の中でそれがやりたいことじゃないとはわかっていながら、それを断る“大きな”理由が欲しかった。」とか色々あったんだなぁと思います。

 

特に、自分の中で物事が上手くいってない時には、自分に最もらしい答えを出すことで、自分の中で合理化しようとしていることが多々ありました。目の前にある現状から逃げたかったというのも、思い返してみると心のどこかにあったのかもしれません。

 

それらしい理由を熱意を持って伝えると、周りのみんなは、そうかと納得してくれる。ただ、自分の中に100%満足しきっていない自分に気付きながらも、あえてそこには触れないようにする。

 

僕がオーストラリアに来たかった本当の理由は、「人と違ったことがしたかったから」。これに尽きると思います。人よりも前に進みたい、自分が価値のある人間なんだということを何らかの形で証明したい。僕らはみんな、何らかの劣等感というものがどこか自分の中にあるのかもしれません。

 

僕は、幼少期にいじめられていたわけでも、不登校になったわけでもありません。ただ、幼い頃、野球をやっていて、レギュラーになれないのが悔しかった。体も大きい方じゃなく、自分の中でどこか劣等感があった。中学校、高校と好きな人がいてもずっと片思いに終わった過去もあった。

 

そういった、今思えば大したことない理由でも、当時の自分には胸が裂けるほど辛かった。そういった意味でいつも‘自分は誰かに認められたい’という気持ちが何かを頑張り続ける原動力になっているのだと思います。

 

そして、オーストラリアに来たいと思った、「人と違ったことがしたかったから」というのは、自分が「誰かに認められたかったから」という気持ちが深層心理にあってのことだと思います 。

 

その後、こちらで資格を取って働き出して、セミナーなどでお話をさせてもらえるようになった。だけど、まだ自分の中で前に行かなきゃ、前に進まなきゃ、このままでは足りない、そう考えている自分がいることにも気付きました。

 

おそらく、自分がこの先いくら頑張っても、「自分が自分を認める」ことがなければ、この旅に終わりはないんだなって思った時、初めて自分のために何かを頑張ろう、もっと自分が価値のある人間なんだと思いたい、そう思っていた気持ちが和らいだのを覚えています。

 

僕がオーストラリアに来た理由は、表向きとして「理学療法を学びに来た」ということ。深層心理は、「人と違うことがやりたい、そして他者に認めてもらいたい」という理由から。

 

結果、その行動と経験を通じて、‘より大きな人生の意味’を、辛い、苦しい、けどやり遂げた時のその何倍もの喜びという経験を通じて学ばせてもらいました。

 

極論、何かを始めることの理由なんて何でもいいんだと思います。

 

ただ、その行為・経験を通じ、続けることによって「最初の目的」とは違ったまた別の道が見えてくる。その道が見えて来た時に、前よりも一歩進んでいたら、それだけでその行動をとった価値は十分あったのだと思います。

 

僕は、今まで自分のためにオーストラリアで理学療法士になるということが一番の理由でした。ただ、こういった経験と時間を過ごして来て、当時の自分と、現在の自分の中でやりたいことというのも変わって来ています。

 

僕は、オーストラリアの筋骨格系に関する理学療法は、本当に素晴らしいものだと感じています。ダイレクトアクセス・開業権がある国らしく、こちらで習っている教育は日本の理学療法士のみなさんにもぜひ知ってもらいたい知識・技術ばかりです。

 

現在、日本では海外から取り入れられている多くセミナーが開催されています。これらの知識・技術というものはどれも素晴らしいものだと思います。ただ、僕が客観的に見て海外から来られている講師の多くは、日本人が徒手療法好きなことを把握した上でのビジネスモデルとして行われているように思えます。

 

こういった講師たちが、本気で日本の医療制度などを考慮した上でああいった手技を教えているのか。それとも、日本はいいビジネスパートナーだと思って行っているのか。きっと答えは彼ら・彼女らしかわからないと思いますし、彼ら・彼女らにそれを求めるのもお門違いだと思います。

 

ただ、僕が心配するのは、日本でこういった治療手技が増えていくことによって、それらの治療手技が一人歩きしていくこと。そして、それらの治療手技を使って自費で開業しようというような人が増えていくこと。また、実際に増えているのが現状です。

 

もちろん綺麗事の理想を述べているのも理解しています。僕たちは自分が生きていく上で、今の現状を理解した上で行動を起こしてく必要があります。それが自費での開業だったり、セミナーを開いたり、海外に行ったり。

 

勘違いして欲しくないのは、僕は開業権に賛成です。オーストラリアで理学療法士が行っている、開業の素晴らしさや可能性を実際に体験しています。ただ、今のままではやはり教育システムの違いということでそこが追いついていないところです。

 

どうしたら、日本の理学療法士達に正規で開業権が与えられるのか。それは、もう「教育」しかないと思います。理学療法士が自ら、理学療法の適応か適応外なのかを判断することができるまでの知識、技術、そして医師や患者らからの信頼を勝ち取ること。

 

僕は、自分が死ぬまで、今32歳で長く生きたとしてあと50〜60年、僕が生きているうちに理学療法士に開業権が与えられるかどうかはわかりません。ただ、日本の理学療法士たちの未来と、ダイレクトアクセスが当たり前になって救われるであろう、多くの患者さんの未来に、何らかの形で関わることがこの人生の意味なのかなって最近思うようになりました。

 

以前は、人生一度っきり、何かバカでかい大きなことを成し遂げたいって常に思ってました。それこそ、僕がオーストラリアに来た理由の一つ、人と違うことをしたい、名誉もお金も欲しい、そしてみんなに認められたい。 そんな気持ちも、いくつかの本との出会いで徐々に和らいでいきました。先ほど述べた、「自分を認めること」という気持ちが芽生えたのも、読書を通じてです。

 

京セラ・KDDIの創始者である稲盛和夫氏の本に「生き方」という本があります。その中で、「何かの判断をする時に、それが人間として正しいかどうかを判断基準にしている」というようなことが書かれていました。

 

僕は今まで、何かをお願いされたりしたら、それが自分のためになるのかを考えた上で Yes・Noを出していました。もちろん自分の利益になるためにと考えるのは最もです。生きている以上、お金が必要で、かっこいい車に乗りたくて 、みんなにチヤホヤされたい。まさしく日本を発った時の自分が最も求めていたものです。

 

ただ、「生き方」を読んで、最近は自分の利益を一番に考えることをやめました。何か事を始めようとした時、自分の利益になるからやるというのが一番の理由であればやらないようにしています。ただ、それが誰かのためになり、その上で自分に利益も出るのであればそれは是非やるべきだと思っています。こんな偉そうなことを言っても、自分が常にそう考えられているかと言ったら、そんなことはなく、感情の起伏、考え方の移り変わりというのは正直あります。ただ、そういったことを意識するようにはなりました。

 

これからも、オーストラリアに出て来たいと思う人が多かれ少なかれ出てくるかと思います。僕は、オーストラリアに限らず、海外で理学療法士になりたいと思った理由は何でもいいと思います。僕の理由も胸を張って誇れるものではありませんでした(笑)。ただ、思いは変わっていきますし、日本から出てくることによって見えてくることも沢山あると思います。むしろ、そういった人生の経験ということの方が大きいのではないかなと思います。理学療法というものを通じて、人生の意味を学ぶ。

 

今、こちらで大学を卒業して言えることは、決して楽な道のりではありませんでした。人種差別などの理不尽さを感じることもあると思います。僕らがこちらで生活していく上で、避けては通れないのが現状かと思います。ただ、そういった経験は日本ではまずできない、人間として大きくなれるチャンスだと思います。

 

そして、そのような道を今、日本人として勇敢に辿っている人たちがいます。

 

僕は、どんなに辛くても、諦めなければいつかはたどり着ける夢なんじゃないかと思います。もちろん金銭的や家族など理由からその夢を断念せざるを得ない状況もあると思います。ただ、自分の中に、なんかずっとモヤモヤしてる、すっきりしない気持ち。このままでいいのかなと思ってることがあるのなら、それだけで行動を起こすには十分な理由だと思っています。

 

今更ですが、最近友人に勧められて「宇宙兄弟」を見ました。その中で、「本気の失敗には価値がある」という言葉が出て来ました。僕はこれを聞いた時に、自分の中で下手に計算して失敗するよりは、失敗してもいいから何かを本気で伝えた方が気持ちいいなと思いました(つい最近の実習地でそういった経験がバイザーとあったばかりです)。これも人間として正しいことは何なのかということに通ずることだと思っています。

 

僕は、日本からもっと多くの理学療法士さんが、オーストラリアを含めた海外に出て来てくれることを望んでいます。そして、僕一人では到底変えることのできないものを、みんなの力で一緒になって変えていければと思っています。日本の医療システムに関して、ここ5年〜10年で開業権などに関して大きな変化があるとは考えていません。

 

ただ、目の前に何か明らかなことが見えているのに誰かやってくれるだろうと待つのか、いやそれは無理だろうって諦めるのか、それとも「本気の失敗には価値がある」と思って行動するか、結果に限らずその方が人生楽しいんじゃないかなって思います。

 

もちろん、これが全てではなく、みんながそれぞれのフィールドでそれぞれの役割を全うしていることは重々承知です。僕の今世の役割は、日本の筋骨格系理学療法に関連する教育システムの発展に少しでも関わっていけるように努めることかなと思っています。そのためには、まず大学院の卒業を目指して後3ヶ月、精一杯頑張っていきたいと思います。

 

長くなりましたが、今日も読んでいただきありがとうございました。これを読んでいる方の中から、いつか日本の筋骨格系疾患に対する理学療法の教育に対して、一緒にお話しできる日が来るといいですね。それまで僕も今できる最善を尽くします。