当たり前の作り方 | Aussie Physio (オーストラリアの理学療法)

Aussie Physio (オーストラリアの理学療法)

日本で理学療法士として働いた後

オーストラリアでPhysiotherapist (理学療法士)になるために渡豪

そんな日々の中での気づき

久しぶりの更新です!

最近の自分は大学院の一年目が終わり

色々なことがあった一年だったなぁと振り返りながら

日々の仕事と適度な運動を楽しんでいます

今日は当たり前の作り方って題名

当たり前ってなんだろうって思うかもしれないですが

当たり前の反対はありがとうとかそういった話ではないです


僕らが今当たり前に行ってることは

ずっと最初っからできたことでしょうか

車を運転すること

言葉を話すということ

5km 止まらずに走れるようになること

聞き取れなかった英語が聞き取れるようになること


きっと数えたらキリがないくらいの当たり前を

僕らは1日を過ごす中でこなしていると思います


ただそれができるようになるまでは

何十回、何百回、何千回といった失敗を重ねて

そこにたどり着いたんだと思います


じゃあそれが突然当たり前になるのか

きっとそんなことはなく

何度も繰り返していくうちに

あれ、なんかできるようになってるって感じるんだと思います

そしたらそれが今度は苦労ではなく

当たり前にできるようになってくる


でもそこのレベルに達するまでに

多くの場合やめちゃうんじゃないかなって思う

やっぱり僕もそんなに気持ちが強い方じゃないから

本当に続けることを意識しながら

そうしないと当たり前にたどり着く前に終わっちゃう


今こうやってオーストラリアで働くことも

始めたばっかりの頃は全くできなくて

失敗だらけだったけど

意識しながら続けていくことで

今働けるようになった

それが当たり前ってのはおかしな話だけど

だけど最初ほど言語とか

コミュニケーションって意味で苦労しないようになった


当たり前にできるようになるために

僕らは一体後どれくらいの時間が残ってるのだろう

生きているうちにあと何回失敗する機会があるのだろう

一体どれくらいの人が自分がやろうとしてることに

向かい風を吹かしてくるんだろう


一体いくつの当たり前を自分の人生に作ってけるんだろう

そしてそれがいつかはみんなの当たり前になるように。。。


そう考えると今やってることで当たり前になって欲しいこと

限られた時間の中でそれを続けていくこと

それが一つの人生の楽しみ方なのかなって思ってます


人生有限