祖父の想い出。 | イタリアでモロッコごはん

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イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

私の祖父といえば

母方の祖父しかいなかった。

 

父方の祖父は、既に亡くなっていて

遺影でしか見たことがない。

 

 

6月11日が母方の祖父の命日だそう。

 

彼は戦後の経済成長に乗って

会社を興してて事業を拡大し

次世代に繋いでくれた。

 

威厳があって

ワチャワチャ遊んでくれる人ではなかったけれど

沢山いる孫達を集めて

よく大家族でお食事に連れて行ってくれた。

 

 

彼の家の敷地の池には

巨大な鯉が泳いでいて

私はいつもそれを眺めていた。

 

 

庭には藤棚があって

藤を見る度、祖父を思い出す。

 

 

その庭を臨む家の廊下には揺り椅子が置いてあった。

祖父は自慢のお庭を

ロッキングチェアーに揺られながら眺めていたのだろう。

 

 

家の奥には宝物殿のような一室があり

絵画や謎の巨大なアンモナイトの化石や

何やらかんやら、色んなものが置いてあった。

 

きっとバブルの時に

税金対策だなんだって

色々買わされてしまったのだろうと思うニヤニヤ

 

一体、アレがどれだけの価値があったのかは不明照れ

 

 





 

私は小さい頃、車酔いが酷かったのだけど

祖父の高級車で長旅をすると

余計気持ち悪くなって本当に困った。

 

私は高級車を汚したくないので

何度も降りる羽目になって

みんなを呆れさせた。

 

 

祖父は小銭を毎回くれる事はなかったけれど

まとまったお金が必要な時は、

きちんと正座をしてお願いしに行くと、ポンとくれた。

 

 

このシーンばかりが印象的に

私の祖父の想い出として残っている。

 

 

だけど、小さかった私は

ちびまる子の祖父、さくら友蔵のように

ちょっとボケていて、いつも小銭をくれて

手を繋いで飴を買いに行ってくれるような
フレンドリーな爺ちゃんがいいなぁと思っていたニヤニヤ

 

 

だけど、今日、さくら友蔵のことを調べていたら

ちびまる子ちゃんの作者、さくらももこの実際の祖父は

とても厳しい人で、きっと彼女も理想のボケ爺さんを

作品の中で描いたのだろうと思ったよ。


威厳のある祖父の存在のおかげで

私は何の心配も不安もなく過ごせたのだから

私の勝手な理想とはかけ離れていたとしても

とても感謝している。

 

 

 

晩年、彼はリラックスして

美味しいものを沢山食べて

糖尿病になった。

 

 

食事制限をしながら

家で同居していた彼の娘(私の叔母)と妻(祖母)に

介護されていた。

 

 

あんなに威厳があった祖父が

涙もろくなってしまって

私が週末にお見舞いに挨拶に行くと

いつも泣いていた。

 

 

 

そのうち、足の先が黒くなってきて

壊疽の兆候が出たので入院し

入院した先のドクターが、祖父が聞こえるところで

 

「あぁ、これは、切断だな!」

 

って言ったものだから

ショックで心臓発作で亡くなったとか

そうでなかったとか.....詳細のところは不明えーん

 

 

 

彼はまだ頭がしっかりしている生前に

きちんと遺産分けをして

孫達にまで分配し

兄弟が一切喧嘩をしないように

土地や家まで平等に分けてから静かに亡くなった。

 

 

終活バッチリ!

 

 

祖父はお金はあって

きっと高級車は身分的にそれなりのものを

乗らなければいけなかったのだろうけれど

 

普段はとても質素に、堅実に暮らしていた。

 

それは子供達、孫達にまで受け継がれ

見事にみんな、見栄を張らず、派手なことをせず

小さな幸せを大切に、
あるもので満足出来る人間ばかり育っている。

 

家風とは一代ではなく

何代も続くものだ。

 

 

私達は、それが心地よく

それが祖父が伝えたかった美学なのでは?と

今更ながらに感じている。