強制、サロンの模様替え。 | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

イタリア旅行に来て

フィレンツェを歩いた方は

ポンテヴェッキオという橋の上は

ジュエリー屋さんが軒を連ねていることをご存知かと。

 

 

イタリアにF女史を送り込んだのは

アメリカの弟S氏で

彼の息子さんは大学生なのだけど

 

S氏が息子さんにイタリア製のゴールドのネックレスを

プレゼントしたいから買ってきて!

とF女史に頼んでいた。

 

お金は送金するから!と。

 

このS氏もまた頭が良くて、お金を稼ぐ天才らしくキラキラ

話を聞いているだけでも

お金の回りがすこぶる良いバレエ

 

 

先日もモロッコにアパルトマンを購入していて

全てF女史の趣味で内装を整えたらしい。

 

 

リツコがモロッコに行く時には

F女史がそこの鍵を持っているから

自由に使って良いよ!と言ってくれたお願い

 

海辺の街にも拠点が出来て嬉しいな飛び出すハート

敷地内にプールもあるんだってラブ

 

 

さて、ゴールドのネックレスを見に行かなくちゃ!なんだけど

この日は、義姉が使っていた

ベッドとマットレスと牽引機と車椅子を

保健所が引き取りに来てくれる日だったんだよね。

 

 

引き取り日は、依頼があった日から

25日以内のいつかうーんに伺います

とメールが来ていた。

 

 

そして突然電話が来て

「引き取り日は、火曜日の11時〜15時の間に伺います。」

とのことだった。

 

 

えーっと〜、今、来客中なので

来週にして頂いてもよろしいですか??

 

 

と聞くと

 

「ダメです!その日にしかあなたの近辺には行きませんので

 キャンセルしたら、もう一度ゼロから保健所に依頼して頂きます。

 誰かが家にいるようにしてください!」

 

ガーン強制待機要請笑い泣き

何なの?この強気な口調は!?

 

 

まぁいいや。

 

F女史に強制待機になったから

ランチ後にゴールドを見に行こう!

 

と言うと

 

それなら、サロンの模様替えしましょう!

とF女史。

 

 

彼女の得意分野なので腕をならしているニヤニヤ

 

じゃぁ、ここからいくわよ!

 

テレビだ!
彼女は、テレビをテラスの壁側に移動したがっていたんだ!

 

 

テレビ下の家具を動かすと

その裏がとんでもなく汚れていて唖然あんぐり

強制大掃除となった。

 

 

家具ごとテレビをテラス側の壁に持って行った。

 

 

そしてキッチンに向かって背を向けていたソファーを

テレビがあった壁側に持っていき

キッチンの方を向かせた。

 

 

すると、あら不思議!

サロンにグッと奥行きが出て

キッチンとも一体感が出た。

 

 

あなた、天才お願い指差し

 

 

便乗して、溜まりに溜まったホコリも取れたし

素晴らしい模様替えとなったわ〜乙女のトキメキ

 

私、介護していた時は、

家具を動かしたことなんてなかったから

本当に何年ぶりかにテレビの裏なんて掃除したわ滝汗

 

私はホコリの山を見て、泣けてきた。

私は自分の家をこんなにも顧みてあげられなかったんだ.....タラー

 

 

「解るわよ〜、介護している時は

 そちらで精一杯だから家のこと考える余裕なんてないわよ。」






 

 

私は長年F女史がお母様の介護をしているのを見ていた。

そのお母さんは、ソファーに座らされて

痴呆でワケ解らないまま、口だけ開けていた。

 

F女史は、お母さんがお腹が空くと

食べ物を口に運び、全部食べるとほっぺにキスをし

用を足せばオムツを替えてあげていた。

 

ほぼコミュニケーションの無いその介護は

見ているだけで大変そうだった。

 

彼女は四姉妹なので

何ヶ月か毎に各家でお母さんを引き取り

4人交代で面倒をみていた。

 

モロッコでは老人ホームになど送らないので

みんなそうやって家で介護をしていた。

 

 

私はそんなF女史の姿も何年も見ていたので

最後まで自分の意思で身体を動かせた義姉の介護なんて

持ち上げる牽引機もあったし楽勝だった。


私達は午前中に模様替えを終えて

とてもスッキリした気分で

外にカフェを飲みに行った。

 

 

だけど、バールに来てみたら

もうランチの時間で

みんな美味しそうなものを食べているキョロキョロ

 

 

私達もここで食べようか!

食後のタバコが吸えるように

テラス席を陣取って

野菜たっぷりランチを頂いたピンクハート

 

 

そして食べ終わった頃に

保健所の引き取りの運転手から電話があって

F女史にはカフェとタバコで一服してもらっている間に

 

私は家に戻って、テラスに葬っていた

解体したベッドやマットレスを引っ張り出した。

イタリアはあらゆるものを無料で貸し出してくれていた。

私は感謝と共に、それらの物を返却した。

 

 

義姉が亡くなってから44日後。

彼女が残していったモノも引き取ってもらい

 

模様替えもして、全てを一掃した気分で

これからは新しい空気のもと生活する感、満載だったオーナメント