モロッコ料理教室開催までの茨の道 vol.4 | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

晴れて引きこもり生活から脱した私が

日本に一時帰国していた年末。

 

 

クリスマス頃に彼(現夫)のお姉さんが

倒れて入院したと聞いた....気がしたうーん

 

 

彼のお姉さんには一度挨拶したことがあるけれど

よく知らないし、正直、自分にはあまり関係ない事として

聞き流していた。

 

 

若くて何も考えていないリツコよ。

結婚するとは、彼と結婚するのではなく

その周り50人の親戚とも結婚する事なんだよ魂

 

と、アドバイスしてやりたい。

 

 

 

まさか、この倒れた彼の姉と

同居するハメになるなんて

想像すらしていなかった若かりしリツコニヤニヤ

 

 

人生を変えるアドバイスをあの時出来たとしたら

何て言ってあげようか?

 

 

「誰も親戚がいない街へ逃げろ!」

って言ってあげるかな?

 

 

例えば私がナポリに住んでいたとしたら

義姉はフィレンツェで面倒をみる人がいないという理由で

施設にそのまま入ったかもしれない。

 

 

だけど、悲しいかな

私は他の都市には興味がなかった。

 

 

ヨーロッパ横断の旅をして唯一

「こんな素敵な街に住んでみたいラブキラキラ

と思った花の都、フィレンツェ。

 

 

きっと、神様が用意した人生ゲームがフィレンツェ版で

登場人物は

 

リツコ

モロッコ人彼

モロッコ人彼の姉(ラスボス)

 

とか既に用意してあって

全てどうなるか決まっていたのだと思う。

 

 

よく分からんけれど

フィレンツェなのに濃いモロッコのストーリー。

 

それは例え、ブリュッセル版のボードゲームでも

登場人物と彼らの運命は同じなの。

 

どこに行っても、ラスボスは登場するし

ラスボスがいることで、リツコが人間的に成長していくストーリー。

そして「ベルギーでモロッコごはん」とかいうブログを書いちゃうのね指差し

 

 

私が日本から2004年の年が明けてから帰国すると

病院のソーシャルワーカーが

 

「同居するのか施設に入れるのか決めてくれ」

 

と、まだ結婚もしていない私達を呼び寄せて聞いてきた。

何故なら彼が唯一の親戚だったから…。

 

自分達の生活だけで大変な若者カップルに

施設代1500ユーロは、払えなかった。

 

別居という選択肢もあったけれど

2軒分の家賃と生活費も払えなかった。

 

 

 

 

やっと引きこもりから脱した私は

容赦なく

お先真っ暗の結婚前から同居生活に突入した。

 

 

3月に私たちは義姉の家に引っ越し

4月にその家から結婚式に向かった。

 

 

結婚式は12時半〜だったけれど

ついでのように同日の9時半〜

例の仮申し込みしていた料理学校の試験があったチーン

 

 

私はパンツスーツのまま筆記試験を受けて

その帰り道にブーケを花屋さんで受け取り

そのままパラッツォヴェッキオ(市庁舎)に行って結婚したふんわりリボン

 

 

ライスシャワーを浴びて

白いリボンでオシャレしたBMWを

友人がサプライズで用意してくれて

 

それに乗り込んで隣町のヴィッラでランチパーティーへルンルン

 

イタリアでの結婚式が

どんなものかも知らない私は

全てイタリア人の友人達が用意してくれた

 

豪華なランチ

ウェディングケーキ

ボンボニエーレ(来客が持ち帰る記念品)

 

 

リツコは手ぶらで来れば良いから!

と言われたまま

全て至れり尽せりでスムーズにパーティーも終了。

 

 

鬱でニートで引きこもりで

イタリア人の友人なんか出来なかった私と違って

 

夫は職場で出逢う人達と

こうしてご縁を繋いで助け合いネットワークまで出来上がっていた。

 

 

イタリア語もろくに喋れないのに

一体この、友人からの好かれ具合は何なんだろう?

と、私には夫の存在が不思議で仕方なかった。

 

 

私は「結婚」ということに執着がなかったので

市庁舎でサインして、書類上、夫婦になれれば良い

としか思っていなかた。

 

 

だから、本当に何も用意せず

ノホホンとサインしに行ったら

素敵なランチパーティーまで用意されていて

本当に驚いた。

 

 

夫が全部任せておけば大丈夫だから!

と言っていたのは本当だったおねがい

 




 

この頃から、私は流れに身を任せることを覚えた。

 

無力な自分が外国の地で何も出来ないことを

ここイタリアで痛いほど思い知らされた。

 

そんな自分が情けなくて、悔しくて、何度も泣いた悲しい

 

 

日本にいた頃は、自分が人生の主導権を握っていると

勘違いしていた。

 

 

旅に行く時には

分刻みのスケジュールで計画を立てて

その通りにすることが快感だった。

 

 

だけど、そんなスケジュール立てて

本当にその土地を心から楽しめていたのかな?

一枚写真を撮って満足していただけだよね.....。

 

 

日本から一歩離れて

何も出来ない自分に絶望して引きこもって

ちっぽけな自分のプライドという兜を捨てて

 

まるで新生児に戻ったかのように

一から学び直すことにしたんだ。

 

 

これからはイタリアでも日本でも活躍できる

新生リツコに生まれ変わるための覚悟を決めたんだイタリア乙女のトキメキ