モロッコ料理教室開催までの茨の道 Vol.5 | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

無事結婚式も終えて、

新婚旅行にトルコ周遊に行った辺りまで

新婚さんっぽい生活だったかな?

 

 

私達は既に倒れた義姉と同居していて

それから3年間地獄の日々だった。

 

 

脳梗塞で半身不随になった義姉は

一気に仕事と友人を失って鬱になって引きこもっていた。

 

そして、昼間家にいる私に向かって

ストレスをぶちまけるように怒鳴り散らしていた。

 

 

私はハッキリ言って家にいられる状態ではなかった。

だけど、料理学校の15人定員の最後の一人に選ばれたとのことでラブ

料理学校に行くことだけを楽しみに

他の時間は自分の部屋で息を潜めながら暮らしていた。

 

 

なぜ私がこんな同居を受け入れたか?というと

夫と知り合う前に行ったモロッコ周遊旅行で見た光景が

目に焼き付いて離れなかったから。

 

 

私はモロッコに初めて行った時から

モロッコ人の友人の実家にお世話になった。

 

そこの実家を拠点に私達はモロッコの各都市を周遊していた。

 

こちらでの大家族で助け合う生活に感銘を受けたのだ。

 

幼い子供からお年寄りまで

みんなで大きな家に一緒に助け合いながら住んでいた。

 

保育園も老人介護施設も要らない

この素晴らしい世界は一体何なんだ!?

 

朝から女性はパンを捏ね

生地を発酵させている間にお料理を作る。

 

インスタントな食品など何もないスローな食卓。

全て外のスーク(マルシェ)で買ってきた

新鮮な野菜とお肉で作られるタジン料理。

 

しかも、どのお料理も洗練されていて美味しいお願い

私はモロッコの家庭料理を味わいながらウルウルしていた。

 

彼らのホスピタリティーに感謝し

穏やかに、丁寧に紡がれる

彼らのライフスタイルに感銘を受けた。

 





 

私は日本で、一体何を追い求めてここまで来たのだろう?

モロッコ人はお金はなくても、全てを持っていた。

子供もお年寄りも、みんな幸せそうに笑っていた。

 

子供達はお年寄りに敬意を表し

朝からきちんと家族全員に挨拶して回っていた。


私は、今までエゴイスティックな思考で

推し進めてきた生活を恥ずかしく思った。

 

誰もがこのモロッコ人の家族思いで

リスペクトに溢れた、みんなが幸せな生活を

覗きにくるべきだ!と思った。

 

 

 

 

驚いたことに、貧しい家〜裕福な家庭まで

どのお家を訪ねても

ミニマムで物が少なく、掃除が行き届いていた。

 

これはモロッコの国民の

精神性の高さに由来する物だと感じた。


この無駄なものを排除して

人生に於いて本当に大切なものを

熟知している人達の生活を目にして

ガツンと頭を殴られたような、ショックを受けたのだ。

 

 

その衝撃的なモロッコ周遊の旅の後

夫に出会うのだけれど

やはり、彼もそこはかとなく温かい心の持ち主だ。

 

 

羨ましいくらいの家族愛に囲まれていないと

こういう人間に育たないと思う。

 

私は彼の背景にあのモロッコの

熱くて濃い愛に溢れた文化があるからこそ

 

倒れたお姉さんを施設送りにしたり

モロッコに送り帰したり出来ない

 

年上のお姉さんへのリスペクトがあって

同居を選ぶことを知っていた。

 

 

そして私はそれをモロッコで

たまたま全て見てきてしまったからこそ

 

「同居なんて、したくありませ〜ん真顔」とか

超エゴイスティックなことは言えなかった。

 

 

 

そう、いつだかブログに書いたけれど

あの時、天からの声が聞こえたんだ。

 

「行け!同居しに行くんだ!

 今世のお前は逃げられない運命なんだ!」

 

ってね。

本当だよ。

 

 

これで、私は覚悟するしかない

って思ったんだ。

 

 

あのモロッコで感じた

そこはかとない家族の絆の深さを

私のエゴで断ち切ってはいけないって感じたんだ。

 

 

これが同居しようと覚悟したきっかけねニコニコ