タルトタタンが食べたいな。 | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

その昔、私は、どうあがいても

イタリア語が上達しなくて途方に暮れていた。

 

 

ただの遊び呆けていた留学生が

イタリアで結婚したらどうなるのか?

 

 

それはイタリア語が喋れない妻。

 

 

夫と喋ることなんて

 

「今日の夕飯、何食べる?」とか?ニヤニヤ

ボキャブラリーなんて増えやしない。

 

 

テレビを見ていれば上達するわよ〜ウインク

なんて、嘘だ。

 

私が喋る機会を作らなければ上達なんてしないのだ。

 

 

だけど、ババ付き同居生活で

真っ暗な部屋で外の鎧戸を一日中閉めている鬱の婆と

普通に話すことすら無理なのに

私はどこで誰と喋れば良いのだ?

 

 

この絶望的な生活からやっと希望の光を見出したのが

料理学校の定員15人のうちにテストでギリギリ入れたことだった。

 

 

料理学校に入ったからといって

私のイタリア語は大して上達しなかった。

 

 

ただ、ただ、この学校はひたすら料理して

みんなでワシワシ試食して

学科と衛生学とコミュニケーションの授業まであった。

 

 

まだまだ言いたいことが

スルスルと口から出てくることはなかったけれど

私は強制的に誰かと話すことで

コップの水を少しずつ溜めていくように

会話で使うボキャブラリーを蓄積中だった。






 

 

この学校で作ったレシピで

とても印象的で忘れられないものがある。

 

タルトタタンだ。

 

 

ドルチェ(お菓子)の先生のレシピは大胆だから

バターを200g、砂糖を300gも使っていた。

その頃のブログが今でも読めるから、飛んで見てみてね。
タルトタタンの写真も載っていま〜す。


そう、大胆だから美味しいのだ。

(自分のためには作らないけれど)

 

 

この迫力のタルトタタンを

料理学校の生徒と先生で試食に頂くまで

もう、調理室は甘く幸せなキャラメリゼ香に包まれ

私達は早く食べたくてウズウズしていたお願い飛び出すハート

 

 

生徒と言っても社会人もいて

一番若い子が16歳だった。

 

 

オーブンから出てきた、悩ましい照り具合いの

そのタルトタタンを口に運んだ時

私達は一瞬、飛んだ昇天

 

 

えぇ、天国に行って帰ってきたところよ照れバレエ

 ヘヴンリーな気分よ(叶姉妹風ウインク

 

あれを、もう一度食べたいなおねがい

 

 

あそこまで大胆なレシピではないけれど

誰も食べないリンゴが4個余っていたので

私はタルトタタンを久しぶりに作った。

 

 

 

これは、誰もが一瞬、天国に行けるお菓子だと思う。

 

 

イタリアのお菓子はあまり食べないけれど

このフランス菓子は、心から美味しいと思う。

 

 

あの料理学校のドルチェの先生は

ベルギー人だったので、フランス菓子も一通り教えてくれたのだニコニコ

 

 

毎回、ご馳走三昧で、素晴らしい日々だったな〜ラブ

 

 

そしてあの頃のブログ仲間の皆さんはどうしているのかしらん?

 

 

あの頃はみんな匿名で、Facebookで繋がっていなかったので

誰とも連絡取れないわ。

2004年辺りは、ブログ全盛期だったからね。

 

 

繋がっているのはあの頃フィレンツェ在住だった人達だけ。

結構皆さん帰国されていますわ。

 

 

もし、あの頃、匿名で繋がっていた方で

たまたまこの記事を読まれた方がいらっしゃったら

是非ご連絡下さいねキラキラ


今日も物置の断捨離していたら

あの頃のレシピが出てきたわ。

 

また忘れていたレシピを作ってみようかな.....ニコニコ