義姉がタバコ漬けになったワケ。 | イタリアでモロッコごはん

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イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

義姉は82歳。

 

戦後なのに義姉の母親は

ホテルで清掃をする女性達のリーダーとして

当時ではキャリアウーマンのように働いていた。

 

 

だから家に殆どいなかった。

 

だけど、この母親は

他の女性をメイドに置いて

自分の夫が他の女性と過ごすことを嫌がった。

ジェラシーの塊のような人だったからだ。

 

 

なので、長女の義姉をメイドがわりに使った。

 

義姉の下に2人の妹、小さな弟がいた。

義姉は浅黒い肌で美人とは言えない顔に生まれたが

妹2人は白い肌で、緑色の目で生まれた。

 

彼女達の祖母が金髪白人で

彼女達の祖父がかなり黒い人だったので

この家系は子供の代でもよく突然変異のように金髪青い目が生まれる。

 

三女の子供、

末っ子の男子の子供にも、金髪クリクリの青い目が生まれた。

 

普通のモロッコ人の子供から

突然生まれてしまう白い子達は

 

「妻が浮気したのでは?」

 

と本気で疑われるレベルだけれど

家系だから仕方がない。

 

(ちなみにうちでは出なかったけれど

 子供達はそんなDNAも持っているので次世代に出るかもしれない。

 現にイタリア在住の姪っ子の子供は金髪白い肌で青い目だ照れ

 

 

義姉はチヤホヤされて

きちんと学校に通う妹達の世話をして

自分は家事全般を任されていたので学校に行けなかった。

戦後ですぐに学校が始まらなかったのかもしれない。

 

 

その事を義姉は屈辱的に思っていた。

いつも「ママのせいだ!」と言っていた。

ママのせいで私は文盲のまま育ったと恨んでいた。

 

 

義姉はキレッキレに頭が良いので

(喧嘩の受け答えを聞いているだけで解る)

もし勉強させていたら、凄いことになっていたと思う。

 

文盲で40歳でイタリアに来ても

きちんとイタリアで働けるくらい

最低限のイタリア語は話していたからね。

 

 

こうした鬱屈とした想いのまま

義姉が外に働きに出たのは

カサブランカの中心地に住んでいる

フランス人の家だった。

 

 

カサブランカにはフランス人が沢山住んでいる。

テレビのニュースもフランス語とアラビア語が流れているので

みんなフランス語は話せなくても耳で聴けば解る。

 

だから義姉は40歳でイタリアに来ても

フランス語に似たイタリア語を話せたのだろう。

 

 

フランス人は働きに来るモロッコ人女性に

タバコをプレゼントした。

 

すると、彼女達はタバコをいたく気に入った。

仕事の気分転換にはサイコーのお供だった。

 

 

だけど、その頃のモロッコで

女性が外でタバコを吸うなんて、もってのほかだった。

 

だからみんな家の中で吸った。

自宅では吸えないので

フランス人の家で吸った。

 

 

これがタバコ漬けになった理由だ。






 

 

フランス人は、タバコを用意しておけば

モロッコ人女性はタバコ目当てに仕事に来る、と解っていたのだ。

下手したら、タバコがあればタダでも仕事に来る、と真顔

 

 

 

義姉は、まんまとタバコ漬けになり

もともと繊細で傷付きやすい性格なので

何かあるとタバコを吸い、足を切断するまで吸い続けた。

 

タバコと共にお菓子のドカ喰い

コカコーラ暴飲

仕事で遅くに帰ってきてからも、鶏一羽調理してドカ喰い

 

など、本能赴くまま食べ続けた。

 

それが身体に悪い事だと

彼女は知らなかった、と

脳梗塞で倒れた時に言った。

その時に、糖尿病であることも発覚した。

 

 

ハイ、そんな時に弟とリツコ登場となるワケだ。

 

 

栄養学を学んでいたリツコは

なんでそんな無知なオンナの人生の尻拭いを

しなければならないのか?と憤慨した。

 

20年後、それは天が私に課したお役目だったんだ、と理解した。

 

新婚生活をハチャメチャにされたリツコは

「なんで私が?」と言い続けた。

 

だけど、振り返れば

そんな最悪な状況で

義姉との同居を受け入れて良かったと思うことも多々あった。

 

 

義姉だって、必死に生きていただけなのだ。

 

恨むのであれば、そんな状況に陥らせた義姉の母親のほうだ。

 

 

私は常に俯瞰して見る訓練をさせられていたのだ。

 

目の前の状況だけで物事を判断せず

その人の背景にどんな事象があって

このドカ喰いが繰り広げられているのか??

なぜタバコがやめられないのか?

 

これはイタリアの病院の栄養カウンセリングの研修で

毎日毎日、1000件以上の訓練をさせられた。



日本の食物栄養学科は調理実習メインだったのに

イタリアの大学で、調理実習は一切なく

病院で栄養カウンセリングの助手に徹していた。

 

 

だから、私は大抵、人を一目見れば

その人がどんな人生を送ってきたのか解るようになった。

 

 

常に俯瞰して見ること。

それが出来れば

世の中の事は大抵理解できるようになる。

 

天は、私にこれが完璧に出来るようになるよう

とても重症なケースを任せてくれたのだ。

 

大変だったけれど

今となっては、全てのことに感謝している星