「悪意はなかった」と言うけれど。 | Y's Diary

生涯学習センターという施設がある。

「各種活動への参加を通じて学習を深め、あるいはグループ・サークル活動など自主活動の中で暮らしを豊かにし、地域を創る力を援助する施設」と説明されている。

 

その施設の中にある一室、広い勉強部屋のような場所をたまに使わせてもらう。

多くの学生さんが勉学に励んでいる。たまに、習字や語学の習い事が行われる。

図書館と違ってほとんど無言、無音というわけではないが、とても静かである。

 

その部屋の一角に円形の4人がけのテーブルがある。真ん中から半月ふたつに分かれるテーブルで

あるが、たいがいは円形になったままである。時々、ふたつに分けて距離をとっていることもある。

 

ある日、60〜70代くらいの男性がやってきていきなりガタガタと大きな音を立てて円形のテーブルをふたつに分けた。

 

その音で部屋にいる誰もが頭を上げ、音のする方に目を向けた。驚いたのである。

すぐに警備員の方がやってきて「あまり大きな音を立てないで下さい」と小さな声で注意した。

 

「どうやったって音が出るんだよ。悪意があってやっていることじゃないし、いちいち文句言うなよ!お前、やってみろよ!音がでるから」と乱暴な言葉で怒鳴る。

 

今度は部屋にいる人たち皆が顔を上げずに本やノートに目を落としたままである。

こういう時「見てはならぬ」という意識が働く。

 

警備員がテーブルを移動してみた。多少の音は出るが今さっきの大きな音とは段違いである。

 

「ほら、音が出るだろ!」と男性は大声で言う。警備員はその男性に謝り、なんとかその場は収まった。無遠慮な大きな音よりもその男性の言動に言いようのない不快さを感じた。

 

「悪意があってやっているわけじゃない」確かにそうだと思う。

もう少しまわりに配慮があったならあれほど無遠慮な音は出なかったはずである。

 

“悪意があってしたことではないコト”で人を不愉快にしたり、困らせることがある。

 

普段の生活の中でそういうことは案外多いような気がする。

ちょっと気をつけなくてはと思ったコトである。