ユース・サポート・センター友懇塾 -9ページ目

ユース・サポート・センター友懇塾

相談活動や,日々の思いを代表者井内が日記を書いています。

私が25歳の時(現在74歳)ミャンマー(元ビルマ)からカルカッタへ

印度での最初の滞在地だった

街を歩いていて人の切れ目がないほど人の流れがすごく人で溢れていた

私の第一印象だった

3ヶ月の滞在期間中 印度周遊の実現できたのがなつかしい

今でも世界中の国や町を見て 行きたいとしたら何処に行きたいと

よき聞かれる

私の答えはいつも一つだ

それは 印度カシミール地方の山中だ

人が一番落ち着く桃源郷のような町並みと自然が素晴らしいからだ

あるとき

首都デリーで当時の首相インディラガンディに面会する機会があった

・・あなたは日本をどう見ていますか? と聞くと

日本は高度成長まっただ中でめまぐるしく変わっていく時代だったからだ

多くの人は知らないだろうが当時の日本人はインド人をバカにしていた

そういうことを分かっていたから前記のような質問をしたのだ

彼女の応えは

・・日本の成長は素晴らしいと思います 

まさしく階段を2段3段と飛び跳ねているようですね

でもね!私の国 印度は階段を1段ではなく判段づつ確実に登っています

成長は必ず止まります 印度もいつか追いつき追い越す日が来るでしょう

その時 日本が助けてくれと言っても 私は助けません と

はっきり言われたことを思い出す

清掃車が早朝ゴミの収集ではなく

朝になって道ばたに倒れている人を積み込んでいるような時代だった

そこに歩く人々は悲しいかをするわけではなく

日常的なことなのでさして驚かない

当時の日本人は

印度への旅人は少なかった ヒッピーと言われる人々で賑わっていた時代だ

一日3食付きで当時のお金で1USドル(日本円が360円の固定相場制だった)時代

旅する日本人に話を聞くと この国は大好きな国ですと答える人と世界で

一番貧しい国で二度と来たくない人と二分していたのも懐かしく思い出す

数字の0(ゼロ)を発見した国でもある彼らと話しているとその多くが

哲学的な話になってしまう

3ヶ月の滞在で人生の多くの体験が出来たような不思議な国印度は

世界中の旅を経験して忘れられない国で心から離れられない国です

たぶんこれから先デジタル世界の中で日本を追い越すときが来るだろうと

私は考えます

当時と時代は変わったがインディラガンディが言った言葉を忘れない方が

国際協調の時代に必要なことだと考えるが!いかがかな

どんな人も人種も平等に接することはこれからの世界の常識だと

話し合えばきっと理解できるから だって人間だから・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本語研修期間が終わりに近くなった

インドネシアから若い女性が千葉県に来て

知りあいが誰もいない彼女たちのために

中国人と一緒に長い間頑張った事に対し

せめてもの優しさを見せたくて焼き鳥や

中華料理と一緒にジュースで乾杯した

彼女たちの誰もがすれ違うときや 目が合ったときに

手を前に組んで頭を下げる仕草をする

そんな礼儀正しい彼女たちが

6月になると日本全国にそれぞれ

働きに出る

一生懸命頑張った彼女たちが

不安な気持ちで日本に来たとき

親切な日本人に会って助けてくれたと

日本での生活をしっかり学び働いて落ち着いたときに

思い出してくれれば

それだけで民間人の国際交流の意味がある

ひとりの中国人が話していた

中国という政治の社会と

我々民間の中国人は日本人と仲良くしたいと

願っていると

心の広い気持ちを持って接することで

きっと融和の世界が見えてくるはずだ

今晩は 私にとってストレス発散の良い日だった

Terima kasih 谢谢

Aku tak sabar untuk itu 我对此很期待

ありがとう 期待しています!

私の友人に

中国人がいる

北京大学出身で私の住む千葉県で仕事をしている

東京から遠く離れた九十九里浜に近い場所で

古い豚舎をつきの土地を購入したという

早速行ってみると

相当古い豚舎の建物があった それに広い土地

格安に手に入れたその利用方法に驚いた

豚舎の各房を仕切って部屋にして中国から来る

学生の寮にするという

確かに各房の広さは畳で言うと6畳ほどもある

房の前に芝生を敷き詰めそこでバーベキューも出来るという

何故

そんなことを思いついたのかを聞くと

東京で勉強している中国人の部屋に行ったとき

6畳の部屋にベッドを置いてそこに3~4人も詰め込み

ギリギリの状態で生活しているのを見た

そんな若い中国人を見て

可哀想に思い

こうして6畳の部屋に一人で住んで

安心して勉強してもらいたいとして

考えたそうだ

何でも金次第

劣悪の環境の中で日本人が金儲け一辺倒の社会

先進国として恥ずかしい思いをした

時間があるとき

私も その元豚舎でボランティアで手伝っている

日本に来て良かった

良い日本人に会ったと言われる言葉一つが嬉しい

先日も

インドネシアから来て日本語学校で勉強している

若い学生と一緒に食事をした

私の国をよく知っている人と話せて嬉しかったと

一緒にスマホで写真を撮り現地のお母さんに送っていた

こうした時間が私にとって一番の癒しの時間なのだ