屋良有希の
ロンドン日誌
Yukki's
London Diary
屋良有希のアーティスト日誌」とし、
過去、現在、未来の事柄、
エッセイ、またいただきました
質問などをブログの中に
書いてもらうつもりでおります。
読者のみなさまに深くお礼を申し上げます。
今後ともよろしくお願い致します。
suekichibook フミコ. イチノ
©By Yukki Yaura 屋良有希画
4月
ガブリエル・ボヌール・
シャネル展3
V&A
ココ・シャネル
ハリウッドでの仕事
亡命中のドミトリー・
パヴロヴィチ大公。1920年代。
1931年、モンテ・カルロにいる間に
シャネルは共通の友人であった
ドミトリー・パヴロヴィチ大公
を通じて映画プロデューサーの
サミュエル・ゴールドウィン
と知り合った。
ドミトリー・パヴロヴィチ
大公は最後のロシア皇帝
ニコライ2世の従兄弟である。
サミュエル・ゴールドウィン
はユナイテッド・アーティスツ
を経営する映画界の大物で、
ゴールドウィンはシャネルに
興味深い提案を行った。
1989年に出版された彼の伝記
「ゴールドウイン」の中で、
A.スコット・バーグが語って
いるように、彼は
「女性は他の女性がどのような服を
着ているかを見るために映画を
見に行く」と信じていた。
ゴールドウィンは映画ファン、
特に女性を呼び込む新しい
方法を模索していた。
シャネルに彼はチャンスを見出した。
彼女のデザインによって、
シャネルはハリウッドに
「気品」をもたらすだろうと
ゴールドウィンは考えたのだ。
それは総計100万ドル、
現在のおよそ7500万ドル
約110億6,195万円
に相当するの報酬でMGMの
ためにのスターたちのための
衣装デザインを依頼する
というものだった。
©Elle
MGMは知ってのとうり、
ビバリーヒルズにある
映画スタジオで映画スターが
夢見る会社である。
そのためにシャネルを
ハリウッドに2年間招き仕事を
するというものだった。
ハリウッド行きに同意した理由は?
「映画が私に何を与え、私が
映画に何を与えられるかを
確かめるために」
とシャネルは語った。
そして、シャネルはこの依頼を
受け、ハリウッドに渡った。
ハリウッドへ
彼女には2人の旅仲間がいた。
一人目はミシア・セルト、
前衛芸術家のパトロンとして
知られ、トゥールーズ=
ロートレック、ボナール、
ルノワール、ヴュイヤール
のためにポーズをとり、
プルーストの散文にも描かれて
いる「過去の追憶」の
ヴェルデュラン夫人と
ユアベレフ王女のモデル、
もう一人は前衛芸術家
ジャン・コクトーの秘書で若い
作家モーリス・サックスだった。
©Elle
3人は、シャンパンを片手に、
ロサンゼルスまでの約3,000マイル
を4日間かけて移動するために、
彼らのためだけに作られた、
内装が白で統一された豪華な
特急列車に乗り込んだ。
シャネルがロサンゼルスの
ユニオン駅に到着すると、
グレタ・ガルボが両頬に
ヨーロッパ風のキス
をして出迎えた。
しかし、シャネルは最終的に、
キャサリン・ヘプバーン
という高慢で角ばった
赤褐色の髪の美女に、より
強い印象を受けたらしい。
新聞
「ニューヨーク・タイム」
紙はおおむねシャネルの
アメリカ進出を歓迎したが、
「ロサンジェルス・タイムズ」
紙は、ハリウッドに活力を
与えるためにヨーロッパの
ファッションが必要だという
暗黙の示唆に腰を抜かした。
誰がパリを必要としたのか?
新聞はシャネルのハリウッド
訪問をこう報じた。
©Elle
シャネルがハリウッドに
来たのは、彼女のシックな
ブランドを業界に提供する
ためではなく、ハリウッドが
パリに代わってファッション
の中心地となり、その
引力がシャネルをハリウッド
に呼び寄せたからだ
ということだった。
ユナイテッド・アーティスツ
は、シャネルがハリウッド
に長期的にコミットする
ことを期待して、
ミシンとドレスのマネキン
を備えた豪華なサロンを
用意した。
しかし、シャネルはそのサロン
を使うことを拒否したのだ。
後に監督となる
ミッチェル・ライゼン
と助手のエイドリアンは、
ゴールドウインのための
シャネルの処女作
「パルミー・デイズ」の
撮影を手伝うことになった。
シャネルはエイドリアンが
優れたデザイナーである
ことを見抜き、それを
尊敬したからだ。
©Elle
彼女は特に、1931年の
「マタ・ハリ」でガルボの
ために彼がデザインした
ワードローブを賞賛した。
歓迎パーティー
ハリウッドにある
ゴールドウィンの豪華な
イタリア風の邸宅で開かれた
シャネルの名誉を称える
レセプションでは、
マレーネ・ディートリッヒ、
クローデット・コルベール、
ガルボ、フレデリック・マーチ、
ジョージ・キューカーと
エーリッヒ・フォン・シュトロハイム
監督といった地元の名士たちが
シャネルを出迎え、
彼はヒールを鳴らして
シャネルの手にキスをしながら、
「あなたは......お針子さん
ですよね?」と尋ねたと
アクセル・マドセンは
記している。
シャネルは、嫌な気持ち
だった筈だが、彼のその
発言を許したらしい。
ミュージカル「パルミー デイズ」
ゴールドウインがシャネルの
最初の仕事として選んだのは、
エディ カンターと
バスビー ・バークレーの
ミュージカル「パルミー デイズ」
だった。
個人的な趣向だけれど、
バスビー・ バークレーの白黒
映画は忘れられないものだった。
タップをやったことのある
人なら、昔の映画、
フレッド・アステア、
女優ジンジャー・ロジャース
などの古めかしい、
バスビー ・バークレーの振り付け
を見ているはずだ。
バスビー ・バークレーは
天才的な振付師で、
映画ならではの演出、
特撮、カット割りなどを使い、
ミュージカル映画に舞台とは
違う独自の趣向を取り入れた。
©hometownstohollywood
ダンサー達をその真上から
カメラで見下ろし、隊列を
作り花が咲き乱れるような
万華鏡のような映像を造り出す、
いわゆるバークレー・ショット
の創造を作った。
シャネルの仕事は、
「パルミー デイズ」のスター、
シャーロット グリーンウッド
のためにドレスをデザイン
することだった。
しかし、コメディーが
強かったのでシャネルの
趣向ではなく、
気に入らなかった。
©hometownstohollywood
シャネルのハリウッド
訪問は話題を呼んで、
当代一流だった映画関係者、
美術監督の
ミッチェル・ライゼン
や映画監督の
セシル・B・デミルなどが
シャネルとともに仕事をした。
シャネルは
マーヴィン・ルロイ監督
の映画「今宵ひととき」
Tonight or Never 1931
1931年で
グロリア・スワンソン
が身に着けた衣装と、
ローウェル・シャーマン監督
の映画Lowell Sherman
「黄金に踊る」1932年で
アイナ・クレアが身に着けた
衣装をデザインした。
©Wiki
また、グレタ・ガルボと
マレーネ・ディートリヒの
二人が個人的な顧客となった。
女優スワンソン
エイドリアンはシャネルに、
映画のワードローブは
「フォトジェニック 」で
なければならず、繊細さは
スクリーンには反映されない
と説明しようとした。
クチュールでは、
マネキンはデザインを
引き立てて見せるため
のものであり、スクリーン
では、デザインは女優を
引き立てて見せる
ためのものだった。
フレンチリーブ
シャネルは、
グロリア・スワンソンが
オペラの歌姫に扮した
次の作品Tonight or Neverで、
さらなる称賛を得た。
スワンソンはすでに
「世界で最も着飾った
女性トップ10」の
一人に数えられていたが、
問題があった。
©fromthebygone.wordpress
スワンソンにはすでに
ルネ・ユベールという好みの
デザイナーがおり、
彼女はシャネルに
抵抗していたから。
パリに戻ったシャネルは、
ゴールドウインとの
契約条件を変更し、
ハリウッドのための
デザインはパリで行うから、
女性スターはヨーロッパに
来ればよいと伝えた。
当時、スワンソンは
すでにロンドンに滞在
していたため、カンボン通りに
あるシャネルのアトリエで、
今度は鏡で縁取られた
蘭の花のような色のガウン
のフィッティングを
受けることは容易だった。
©fromthebygone.wordpress
1931年の
「トゥナイト・オア・ネヴァー」
でシャネルデザインの
ガウンを着たグロリア・スワンソン。
フォトフェストより。
リー・ルエルによるデジタル彩色。
しかし、フィッティングの
間に女優が太って
しまったことを知った
シャネルは激怒し、
スワンソンに5ポンド
痩せるよう要求した。
やがて彼女は、
スワンソンがアイルランド人
の恋人でプレイボーイの
マイケル・ファーマーとの
間に密かに妊娠して
いることを知った。
女優は妊娠を隠すために
硬いゴムのコルセットを
つけるよう主張し、シャネルは
それがドレスのラインを崩すと
考えたが、シャネルは体重増加を
隠すことに成功し、スワンソンに
ガウンだけでなく、テーラードスーツ
の上に真珠のロープを着せる
ことで、彼女の持っていた
セクシーなルックスを
アメリカの観客に紹介
することができた。
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1931年の
「トゥナイト・オア・ネヴァー」
でシャネル・デザインの
ガウンを着たグロリア・スワンソン。
いくつかのシーンでは、
黒髪のスワンソンは、
クリステン・ウェルチが
観察したように、
「シャネル本人に酷似している 」
とさえ言われ、スワンソンを
「シャネルの理想の体現者 」
にしてしまった。
「トゥナイト・オア・ネヴァー」
は、スワンソンを
サイレント映画スターから
サウンドの時代へと
導く作品だった。
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「市民ケーン」の
グレッグ・トーランドが
撮影を担当し、
「リトル・シーザー」の
マーヴィン・ルロイが
監督を務めたこの映画は、
ゴールドウィンが期待したほど
の注目を集めることはなかった、
その理由には、スワンソンの
私生活に関する
センセーショナルなニュース
がついていた、それは
アンリ・ファレーズ・ド・
ラ・クードレー侯爵との離婚、
それに続くマイケル・ファーマー
との急な結婚が映画の
宣伝に影を落としたことが
挙げられている。
しかし、シャネルのデザイン
は高い評価を得た。
(続く)
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書
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枕草子英語
http://www.youtube.com/watch?v=e_lDccDs7ac&context=
C305ccb7ADOEgsToPDskIyCUpCaU2c3bpwzEDD3ffA
枕草子日本語
http://www.youtube.com/watch?v=yzzdvE6ayY4&
context=C305ccb7ADOEgsToPDskIyCUpCaU2c3bpwzEDD3ffAcow
Cow
http://www.youtube.com/watch?v=bwzswWqO-cA
Thank you