3月 ガブリエル・ボヌール・シャネル展2 V&A | 屋良有希のロンドン日誌 Yukki’s London Diary


屋良有希のロンドン日誌 Yukki’s London Diary


屋良有希(やうら. ゆき)、東京生まれ。アーティスト、ナチュラリスト、ロンドン住在。英国王立芸術大学院修士卒業(博物画生態学研究科)。大学臨時講師、ウェス・アンダーソン、を含む映画やTV、書、水墨、 出版の分野で活躍する、英国人の夫君がいる。関心事は自然と動物。 


 

屋良有希の

ロンドン日誌

Yukki's

 London Diary

 

屋良有希のアーティスト日誌」とし、過去、現在、未来の事柄、

エッセイ、またいただきました質問などをブログの中に

書いてもらうつもりでおります。

読者のみなさまに深くお礼を申し上げます。

今後ともよろしくお願い致します。

suekichibook フミコ. イチノ 

 

 

©By Yukki Yaura 屋良有希画

 

 

 

3月 

ガブリエル・ボヌール・

シャネル展2

V&A

ココ・シャネル 

 

 

シャネル・モードChanel Modesを開店

 

1910年、シャネルは27歳で

婦人用帽子職人の

ライセンスを取得した。

 

そして、パリ1区西側にある

ヴァンドーム広場に近い

パリで最もファッショナブルな

地区のカンボン通り21番地に

帽子専門店ブティック

「シャネル・モード」 

Chanel Modesを開店した。

 

 

©historyextra

 

このあたりは既にブティック

業界が確立されていたため、

シャネルはこの店では彼女が

作った帽子だけを販売した。

 

1800年代の帽子

1870年代頃には、女性用の帽子

に羽や翼、時には鳥全体が 

あしらわれるようになり

150年の間に、女性の帽子の

サイズと同じように、飾りや

装飾も多様化した。

 

©geriwalton.com

 

リボンは羽にフクロウの頭や、

ボルティモア・オオルリ、

ハチドリ、アオカケス、

ローラー、ブルーバード、キツツキ、

のような鳥の剥製が使われる

ようになったが、それだけに

とどまらなかった。

 

ネズミや小さな爬虫類などの

動物も帽子の上に乗せられ、

時には、フクロウの頭、

ダチョウの羽、スズメの羽、 

何房もの花やリボン、

そして4、5羽のウグイス

で覆われていた。

 

1890年代に流行したもうひとつ

の帽子は、アルザス・ボンネット

と呼ばれるものだった。

 

©geriwalton.com

 

それはボンネットに大きなリボンと、

時には毛皮の飾りを付けただけの

シンプルなスタイルだった。

 

 

女優が装ったシャネルの帽子

 

シャネルの名前がで始めたのは

1912年に「女の一生」などの

小説で有名なギ・ド・モーパッサン

の小説「ベラミ」Bel Amの戯曲化

で演出家フェルナン・ノジエール

の舞台女優ガブリエル・ドルジア

がでシャネルの帽子をかぶったこと

からシャネルの名前が売れ始めた。

 

その後、ドルジアは「レ・モード」

Les Modes誌に掲載された写真に

おいて再びシャネルの帽子

を使用している。

 

ブティック「ガブリエル・シャネル」を開業

1913年、30歳になったシャネルは

アーサー・カペルの資金提供で

港・ヴィラ・カジノ・ホテル等

を擁するリゾートの町である 

ドーヴィルにブティックを開業し、

レジャーやスポーツに適した

豪華でカジュアルな服装

を打ち出した。

 

ドーヴィルのブティック前に立つ

ガブリエル シャネル、1913年

© Collection Deauvilloise, Deauville (France)

 

シャネルの製品は当時主に

男性用下着に使用されていた

ジャージーやトリコットのような

安手の生地で作られていた。

ブティックの立地は最高であり、

ドーヴィルの中心にある

ファッショナブルな

通りにあった。

 

ここでシャネルは帽子、

ジャケット、セーター、そして

セーラーブラウス

のマリニエール(marinière

)を販売した。

 

妹たちの援助

 

シャネルは妹の

アントアネット(Antoinette)

と同い年の父方の叔母

アドリエンヌ(Adrienne)

という2人が献身的な

支援をしている。

 

シャネルの作品のモデルを

務め、シャネル製品を

宣伝するためにシャネルの

デザインの服を着て、毎日の

ように街の遊歩道を練り歩き

回ったのだった。

 

ロングスカートからパンツへ

 

シャネルが31歳の1941年、

第一次世界大戦が始まった。 

 

女性たちのファッションは

長いスカートから、動きやすい

男性のようなパンツスタイル

に変わっていった。

 

シャネルと彼女の犬

©hungertv Coco Chanel in 1930, with her dog, Gigot

 

シャネルは

そのパンツのデザインの新作を

発表すると、それは人々に

取り入れられていった。

 

ビアリッツにブティックを開業

 

1915年、シャネル32歳、ドーヴィル

での成功を再現することを決意し、

ビアリッツに本格的な店舗を出す。

 

ビアリッツBiarritzは19世紀

以来、王族貴族の集う 

リゾート地として知られていた。

 

ビアリッツのクチュール メゾン、1931年

なかなか素晴らしい所だったようで、

ヴィクトル・ユーゴーは

「私はビアリッツより魅力的で

より素晴らしい場所を知らない」

とまで言わせている。

 

© National Library of France / Frères Séeberger

 

スペインの富裕層の顧客に

近いコスタ・バスカの

ビアリッツは金持ちグループ

や第一次世界大戦で自国から

亡命してきた人々の遊び場であった

 

クチュリエール・仕立て屋

 

ビアリッツのブティックは

クチュリエール、つまり

仕立て屋、仕立て師のことで、

顧客の一人一人に、デザイン

から仕上げまで全てのサービス

を請け負うことで裕福な顧客用

のブティックだった。

 

ビアリッツの店舗は

フロントがなくカジノの

正面の別荘内にあった。

 

ここでは1年間の営業で、ビアリッツ

でのビジネスは成功を収め、

シャネルは1916年にカペルが

提供した資金借金を全額返済する

ことができるようになっていた

 

最後のロシア皇帝の従弟

ドミトリーとの恋

 

シャネルはビアリッツで

ドミトリー・パヴロヴィチ大公

Grand Duke Dmitri Pavlovich 

(1891 - 1941) 

と出あった。

ドミトリーは追放

されたロシア貴族の

ロシア大公で最後の

ロシア皇帝ニコライ2世

の従弟にあたる。

 

©Wikipedia

 

グリゴリー・ラスプーチン暗殺の

実行者として知られている。

 

ドミトリーは1991年の

ソビエト連邦の崩壊後、

王党派から帝政復古の活動に

ロシア皇帝として祭り

上げようとされたが、

彼はこの求めを辞退している。

 

ドミトリーはイケメンな外見からも

プレイボーイとして知られ、

ロシア社交界の中心でもあった。

 

ドミトリーは関係を持った

女性のことを日記に書き残して

いるが、その中でも

ココ・シャネルとの関係が最も

印象に残ったと記している。

 

ドミトリーはロシア時代の 

コネクションで、シャネルの香水

として有名な「NO.5」の調香、

開発で知られる

エルネスト・ボーを紹介するなど、

シャネルに少なからず影響を与えた。

ガブリエル シャネルとディミトリ パヴロヴィチ大公

 

© Collection Chanel 

 

こうしてビアリッツで始まった

ロマンティックなドミトリーとの恋は

密接な関係となって続いた。

 

 

「メゾン・ド・クチュール」

 

1915年「メゾン・ド・クチュール」

シャネルは、パリの文学界や

芸術界の人気者となっていた。

 

バレエ リュスやジャン コクトー

の舞台「オルフェ」の衣装など

をデザインし、コクトーや

画家のパブロ ピカソと

友好を持った。

 

1918年、シャネルは事業を

拡大して、同じカンボン通りの 

31番地に新店舗を開店した。

ガブリエル シャネルはカンボン通り

31番地の建物を購入し、そこに

クチュール ハウスを構えた。

この「31番地」の建物には

ブティック、サロン、アトリエが作られ、

それは今日も続いている。

 

© The Regents of the University of California / 

City of Paris / Bibliotheca historica

 

1919年までに職業を

「クチュリエール」、

この店舗をメゾン・ド・クチュール

maison de couture)として 

登記現代的なブティックを

目指す彼女は、1921年から、

香水のほか、衣服や帽子に

合ったアクセサリーを、次いで

ジュエリーや化粧品なども

販売するようになった。

 

©amanaimages

 

敷地もさらに拡大し、

1927年までに、カンボン通り

23番地から31番地までの

一画に相当する5件の

不動産を手に入れた。

 

 

シャネルの本物の恋

アーサー・エドワード・

“ボーイ"・カペルと

関係を持ち始めた。

 

 

(続く)

 

 

ありがとうございました。

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