ガブリエル・ボヌール・シャネル  ココ・シャネル | 屋良有希のロンドン日誌 Yukki’s London Diary


屋良有希のロンドン日誌 Yukki’s London Diary


屋良有希(やうら. ゆき)、東京生まれ。アーティスト、ナチュラリスト、ロンドン住在。英国王立芸術大学院修士卒業(博物画生態学研究科)。大学臨時講師、ウェス・アンダーソン、を含む映画やTV、書、水墨、 出版の分野で活躍する、英国人の夫君がいる。関心事は自然と動物。 


 

屋良有希の

ロンドン日誌

Yukki's

 London Diary

 

屋良有希のアーティスト日誌」とし、過去、現在、未来の事柄、

エッセイ、またいただきました質問などをブログの中に

書いてもらうつもりでおります。

読者のみなさまに深くお礼を申し上げます。

今後ともよろしくお願い致します。

suekichibook フミコ. イチノ

 

 

©By Yukki Yaura 屋良有希画

 

 

 ココ・シャネル 

ガブリエル・ボヌール・シャネル展 

 

生い立ち

1883年生まれる

1906年ヴィシーへ

バルサンの愛人となる

1909年帽子のブティック開店

 

 

2月

 ガブリエル・ボヌール・シャネル展 

ココ・シャネル

 

©V&A

 

ココ・シャネルとは?

ファッションデザイナーの

ココ・シャネルは、1920年代、

彼女は最初の香水を発表し、

やがてシャネルスーツとリトル

ブラックドレスを発表、シャネル

はジャン・コクトーの舞台衣装

をデザインし、パブロ・ピカソ、

作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキー

他パリの文学界や芸術界の仲間

との交流を持ち、過去から現在に

至るまで、シャネルのブランドは 

毎年数億の売上を上げる

繁栄を続けている。

 

ガブリエル・ボヌール・シャネル展

ココ・シャネル

 

友人が誘ってくれたシャネルの

展示会に久しぶりで

Victoria & Albert Museum

 を訪れた。

 

ココ・シャネル・ファッション

© copyright Drawing by Yukki Yaura 屋良有希画

 

気候は8度だったが、そんなに寒さを

感じさせない明るい日だった。

 

展示会は100%女性で、

列ができていた。

 

シャネルの初めの時代1920から

 1930年代は個人的に好感の持てる

時代だったけれども、1950年代

に入ると、それからは社交会ドレス

以外はあまり興味がなかった。

 

あっさり展示会の事だけを

書こうと思っていたのに、彼女の 

生き様や人脈、背景を見ていくと

かなり面白い。多分1回では

まとめることができないと思う。

 

©V&A

 

生い立ち

ココ・シャネル

ガブリエル・ボヌール・シャネル

 

(1883年8月19日~1971年1月10日)

ココ・シャネルは

 

父のアルベール・シャネル

(Albert Chanel)と母の

ウジェニー・ジャンヌ・ドゥヴォル

Eugénie Jeanne Devolle、

との子として、フランスの

メーヌ=エ=ロワール県

ソーミュールの、修道女会

Sœurs de la Providence

が運営する慈善病院、

貧困者を収容する施設である

救貧院(きゅうひんいん)で

ガブリエル・ボヌール・シャネル

として生まれた。

 

1800年代フランスの貧困児 

cherbourg-titanic.com

 

母親のジャンヌは洗濯婦

として働いていた。

 

当時のフランス、パリでは

洗濯は外部に頼むことが多く、

その仕事を担うのは主に女性で、

2~3割の女性がこのような

洗濯業に従事していたという。

 

ガブリエルはジャンヌと 

アルベール・シャネル

(Albert Chanel)の第二子で

上に姉のジュリアがいた。

 

当時の貧困家庭

©library.brown.edu

 

シャネルが有名になってから、

彼女の幼少期のことを聞かれ

ても、執拗に話したがらな

かっただけでなく、歳老いて

からも当時の思い出の為に

感情障害をきたした。

 

行商人で住居を持たなかった

父のアルベールと母ジャンヌ 

が結婚したのは1884年のこと

だった。

その結婚はジャンヌの家族が

金を出してなされたものだった。

 

当時の貧困家庭

©paris10

 

シャネルの出生届は、両親は立ち会えず、

代理人の手で行われたため、シャネルの

スペルが誤って登録されてしまった。

 

アルベールとジャンヌの間には 

二男三女があり、一家7人は、たった

一部屋だけの住居で、すし詰めで暮

らさなければならなかった。

 

12歳の時、母が32歳で結核に

より亡くなったと言っているが、

実際には貧困から来た、妊娠、肺炎

が原因であったと思われる。

 

©laceincontext.com

 

母親のジャンヌが亡くなった後、

父アルベールは息子2人を

農場労働者として働きに出し、

娘3人はオーバジーヌの聖母マリア聖心会

religieuses du Saint Cœur de Marie

が運営する孤児院に預けた。

シャネルにとって孤児院での

生活は苦い思い出だったらしい

が、ここで修道女から裁縫を

学んだことは、彼女の後の仕事に

大きな影響があったと想像できる。 

 

©laceincontext.com

 

シャネルが18歳になると

オーバジーヌの孤児院を

出なければならず、次に

ムーランの町のカトリック

女子寄宿舎に預けられた。

 

ココとは

 

6年間裁縫を学んだ後、

シャネルはある仕立て屋で

職を見つけた。

 

当時のお針子

 

そして副業として騎兵将校の

溜まり場となっていたキャバレー

で歌を歌っていた。

 

当時人気の娯楽の場だった

ムーランのパビリオンの

ショーを見せる飲食店

カフェ・コンセールと言われた

ラ・ロトンドLa Rotondeで舞台

デビューとなる歌を歌った。

 

それはスターたちの幕間の場を

繋ぐパフォーマーだったので、

給料は無く、その収入源

はチップであった。 

Cocoのニックネームは、

歌った歌が

「ココを見たのは誰?

Qui qu'a vu Coco ?」

からだったという。

 

©1-une-bien-belle-epoque-salle-1890

 

デビューを夢見る

 

1906年、シャネルは芸能人を

夢見て、温泉リゾート地と、

ミネラルウォーターで有名な

「水の都の王妃」と呼ばれる

ヴィシーに行った。

 

ヴィシーは皇帝ナポレオン3世

が温泉保養地として整備をすすめ 

たことで脚光を浴び、ここには

ルイ15世の娘、ヴィクトワール、デュマ、

ドラクロア、シャトーブリアンほか

多くの名士が湯治に訪れた。

 

シャネルがヴィシーを選んだのは

当時年間4万人、の湯治客が

ヴィシーを訪れるようになリ、

コンサートホール、劇場、カフェ

が林立していたからだった。

 

©thevintagenews.com

 

30年代に黄金時代を迎えたが、

その期間を通じて国内外から

やって来る湯治客をもてなす

ために整備されたホテルや湯治施設

、余興設備などが作られた。

 

シャネルはそこで歌手としての

デビューを夢見たが競争の激しい

ヴィシーで実績も実力も無い

時代遅れのシャネルには舞台の

仕事を得ることはできなかった。 

 

しかし、職を見つけなければ

暮らしができずその上、貸衣装

やレッスン代がかさんだ為、

グランド・グリーユGrande Grille

でdonneuse d'eauとして

働くことになった。

 

 

©galerie-roger-viollet.fr.

 

 

この仕事は、有名なヴィシーの

ミネラルウォーターをグラスに

注いで分けるという仕事をし、やがて

ヴィシーの行楽シーズンが終わると

シャネルはムーランの古巣

「ラ・ロトンド」に戻っていった。

 

バルサンとカペル 二人の男

 

ムーランでシャネルはフランス軍

の元騎兵将校かつ繊維業者の息子

であるエティエンヌ・

バルサンと出会った。

バルサンはプレイボーイと

して名を覇していた。

兵役後に両親の遺産を受け継ぎ、

十分な資産を抱え、シャネルが

23歳の頃、彼は

コンピエーニュ近郊に乗馬道と 

狩猟場で知られる

ロワイヤリューRoyallieuの

シャトーを購入し、そこで

競走馬の育成を始めた。

 

この計画に乗ったシャネルは、

バルサンの愛人となって

ロワイヤリューで生活を始めたが、

そこでの生活は自堕落なもので、

バルサンの富によって退廃的な

パーティーでの歓楽、美食に溺れた。

 

©virtual-history.com.

 

バルサンはシャネルを社交界の

場に立たせようとはしなかったが、

卑小なダイヤモンド、ドレス、

そして真珠を与えた。

 

乗馬とズボン

 

その間、競馬狂いであった

彼の下でシャネルは乗馬

を学び、馬に熱中した。

 

その経験は後のシャネルの

デザインに影響を与えている。

当時のフランスでは、富裕な

女性の服装は貴族女性の 

必需品でありコルセットと

共に彼女たちのファッションに

欠かせなかったのが、

ドレスの下に着用してスカートの

形を保つアンダースカートだった。

 

 

©a-l-ancien-regime

 

18世紀に流行し、

かのマリー・アントワネット

も着用したスカートを横に

広げるために籐や柳の茎、

クジラのヒゲなどを輪にして

重ねたものでその上に腕を

もたせかけることができた。

スカートがあまりにも広がった

ため、女性たちは扉をまっすぐに

通り抜けることが

できなかったという。 

 

王侯貴族の男性服は女性服に

劣らず華美で豪奢だった。

 

自らの特権的地位を誇示し、

着飾った姿は富と地位を証明する

ものであり、女性たちが敢えてこれ

を拒否することもなかった。

 

 

18世紀末のフランス革命では、

それまで支配階級であった

貴族に代わり、貴族と市民の

間に位置する上層市民階級、

産業ブルジョワジーが、政治・

経済的な権力の座に着いた。

 

サン・キュロット

 

衣服で市民に優位を維持して

いた「身分装束令」の

廃止は貴族衣装を

廃れさせていった。

そうして登場したのが、

船乗りや囚人の衣服である

長いズボンを着用した

サン・キュロット党派

のスタイルだ。

 

女性のサン・キュロット

wikimedia.org

 

キュロットとは半ズボンの

ことで、当時貴族の一般的な

スタイルであった。

そして、長ズボンを履く庶民を

貴族が馬鹿にして

「サン・キュロット」と呼んだ。

 

サン・キュロットSans-culotte

とは、フランス語で

「キュロットをはかないひと」

というような意味で、 

フランス革命の推進力となった

社会階層のことで、主に

手工業者、職人、小店主、

賃金労働者などの固定資産の

無い無産市民を指し、当時

のパリでは貧困層に属した。

 

©nationalclothing.org

 

フランス革命の到来は

こうしたサン・キュロットに

熱烈に支持され、暴動で

バスティーユ牢獄を襲撃

した襲撃事件や九月虐殺など、

はすべてサン・キュロット

によって引き起こされ

たものだった。

 

シャネル乗馬用ズボン

 

新しく登場していた自動車

と異なり、乗馬は上流階級

の婦人たちも参加したのだが、

乗馬時の服装もロングスカート

が普通であったために、

横座りで騎乗しなければ

ならなかったし、スカート

から足首を露出させない

ように乗馬用のブーツも

必要であった。

 

©katetattersall.com 

 

しかし、こうした作法には

無頓着で無知であった

シャネルは、現地の仕立て屋に

自分の体形に合わせて乗馬用の

ズボンを作るように求めた。

 

これはズボンが明確に男性用の

ものであった当時としては 

突拍子もない話であり、

エドモンド・シャルル・ルー

はシャネルが仕立て屋に

出した注文について

「彼女は自分がいかに過激な

ことを言っているのか気づいて

いなかったに違いない」

とコメントしている。

 

 

©katetattersall.com

 

愛する人との出会い

 

1909年、シャネルは

バルサンの友人の一人、

アーサー・エドワード・"ボーイ"・カペル

Arthur Edward 'Boy' Capel 

(1881 - 1919)と関係を持ち始めた。 

 

通称ボーイ・カペル、彼はイギリス

軍大尉でポロの選手であった。

 

©luxuryactivist.com

 

カペルは富裕なイギリスの

上流階級で、シャネルを

パリのアパルトマンに住まわせ、

シャネルの第1号店に資金援助した。

 

カペルはシャネルの生涯の中で

シャネルが唯一愛した男だった。

 

 

(続き)

 

ありがとうございました。

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水墨竹

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枕草子英語 

http://www.youtube.com/watch?v=e_lDccDs7ac&context=

C305ccb7ADOEgsToPDskIyCUpCaU2c3bpwzEDD3ffA

枕草子日本語

http://www.youtube.com/watch?v=yzzdvE6ayY4&

context=C305ccb7ADOEgsToPDskIy

CUpCaU2c3bpwzEDD3ffAcow

 

Cow

http://www.youtube.com/watch?v=bwzswWqO-cA

 


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